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思考を文章化する

作家の村上春樹さんの6年ぶりとなる新刊長編「街とその不確かな壁」が、今日発売されました。
僕もさっそく購入しまして、読ませていただくのが楽しみでワクワクしています。

この「街とその不確かな壁」に関する、村上春樹さんのインタビュー記事も読ませてもらいました。

「街とその不確かな壁」は、1980年に村上春樹さんが発表した「街と、その不確かな壁」を書き直したものだそうです。
これまで、自作の書き直しに否定的だった村上春樹さんですが、「70歳を超して、そろそろ書き直してもいいかな」と思ったとのこと。

「当時は、考えていたことを文章に転換する能力が足りず、文章にできることだけを書いた」と村上春樹さんは述懐しています。そして、「最初の頃は書けることだけを書いて、でも、そのうちに通用しなくなっていく。きちんとした文章力がないとだめ」ともおっしゃっています。

現代の日本人小説家の頂点にいるのが村上春樹さんだと、個人的には思っていますが、そんな文豪でも、「きちんとした文章力がない」時代もあったんですね。

村上春樹さんがどんなプロセスを経て、あるいは、どんな訓練を積んで、「きちんとした文章力」を習得したのかはわかりませんが、村上春樹さんの足下どころか影にすら及ばない程度の物書きである僕も、村上春樹さんのおっしゃっていることがよくわかるんです。

子どもの頃から国語(だけ)は得意で、小学生の時は小学生なりに、中高生の頃は中高生なりに、小説っぽいものを書いていました。
大学生になると時間がたっぷりあったので、じっくりと長編小説を書いてみたりもしました(誰かに読んでもらうとか、どこかに発表するとかではありませんでしたが)。

そんなわけで、自分はある程度は文章が書ける人間なんだろうなーと自覚はしていましたが、コピーライターになってから、いかに自分が、然るべき文章の鍛錬もせずにデビューしてしまったかを痛感させられました。

クライアントからの、ダメ出しの日々。
それ以前に、社内からもOKが出ない毎日。
否定、否定、否定、否定。
心底、自分の文章力に対する自信を無くしました。

でも、もう、僕は追い詰められていたんですね。

大学を出て、何度かの転職を繰り返し、特に資格も免許も無く、それでいて二十代も半ばに差し掛かり、当時付き合っていた彼女とは結婚の話も持ち上がり…。

今さら、せっかくデビューができたコピーライターから逃げるわけにはいかなかったんです。

なので、もう、必死に勉強をしました。
具体的には、古今東西の名作と言われる小説を読み漁り、それらを写経のように書き写し、というのを繰り返しました。

そうこうするうちに、自分がセンスだけで文章を書いていたこと、文章には確固たるロジックやテクニックがあるのだということに気がつきました。

センスだけで文章を書いていると、どうしても独りよがりになってしまいます。
読者(広告の場合は「生活者」)を置き去りにしてしまうんですね。

頭の中で「こういうことを言いたい」と思っていても、センスだけだと文章化ができないんです。
つまり、「伝わる文章が書けない」ということです。

僕の文章トレーニング法をお勧めするわけではありません。
正しいやり方だったかどうか、自分でもわからないので。

ただ、やり方はいろいろあると思うのですが、「文章力を鍛える」ということをせずに書いていると、村上春樹さんのおっしゃる通り、いずれ通用しなくなります。
思考を文章にして、伝わる文章を書いて、読み手に届けるという「きちんとした文章力」が備わって、初めて、「書き手」になれるのだと思います。
プロ、アマ、問わずです。

前記した、名作を読み漁って書き写すというトレーニングを、僕は今でも続けています。
文章に正解は無いので、やっておかないと怖いんです。
自分の考えたこと、言いたいことが文章として世の中に伝わるか、今でも心配なんです。

村上春樹さんの「街とその不確かな壁」。
読み終わったら、この作品も書き写そうと思います。
あの村上春樹さんが書き直した作品なので、名作に決まっていますから。
村上春樹さんの思考を文章化した作品が、またひとつ誕生しました。


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