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○○するだけで、人生がよくなる

見るだけで気づきが得られるよ。
聞くだけで何故かお金が入ってくる。
うわべだけの言葉、こうすると稼げるよ、もっとこうするといいよ。

でもそんなふうにうわべだけだと感じているのは自分自身の心です。

結局は人間が何なのか、この世界が何なのかわからない限り、うわべだけという疑念は自分の中から拭い去ることはできない。

このように理を理解せぬ状態を”愚かさ”といいます。

とはいえ人間は一重に愚かに生まれるものです、何故ならそのことに深い意味があるからです。

だからこそ人間は常に満たされない感覚を持ち続け、そんな自分を未熟でダメな存在だと決めつけてしまう。

そうした自らの愚かさにすら気づけぬ人々に、こうしてみては?

そのように声をかけたり、手を差し伸べる人々が古来より一定数います。

現代でいえば、すでに一定数のフォロワーを獲得したインフルエンサーの人々です。

そうした活動をしている方にとっては、きっとそれが彼らの情熱なのでしょう。私が思うのはその彼らを見ている人々のことです。

自分とは無関係な彼らに同調しようとして、かえって自分本来の波長から離れている人たちのことです。しかも相当数の方がそうしたインフルエンサーの人々を見ているという現実。

自らの行動の後には必ず何かが起こる仕組みです、でも見る聞くは行動としては不十分だと思うのです。

自分本来の情熱として取り組んだ結果が、反射して目の前に現れる仕組みです。ですから毎日日課のように見ている自分とは無関係の情報収集のための時間、その10分間を自らの情熱のために使ってほしいなと思うのです。

その都度自分本来の情熱を理解する

周りの意見をよく聞くのは悪いことではありません、でもそれはつまるところ、どこかで自分のことなんてと自分を信じ切れていないことの裏返しです。

人間は楽をしたがるというのは誤った認識であり、人間とは本来、誰もが自分の情熱には夢中になれるのです。

でも多くの人々が自分の情熱を見失ってさ迷っています。

人間は誰もが自分を見失うと、まずはじめに自分が何をするべきなのかがわからなくなります。

ですからただ本当に、物理的に見えていないだけなのです。
人間は意識がちぢこまるとそうなるものなのです。

恐れと不安によって目先のことしか考えられなくなり、自分勝手になり、周りの状況も把握できなくなるのです。

そうして自分本位の生き方ばかりに意識をフォーカスし、答えを外に求めたりします。

本来であれば、自分を信じ、いつも心穏やかに過ごしてさえいれば、何事も自動的に運ぶのです。

でも現代の情報化社会の最中、多くの人が自分とは無関係の周りの情報へと意識をフォーカスし、自ら委縮した意識の中を生きてしまっているのです。

インフルエンサーたちの情熱

人は一人ひとり違っていて、各々がそれぞれ情熱を持っています。

そうであるにもかかわらず、人は時として、人に意見を押し付けるようなことを言ってしまいがちです。

でもそれらは致し方ないことなのです。

良い意味でもそうでない意味でも、人が人にできるのは心を突き動かす活動だけだからです。

その人たちの表現もまた彼ら(あるいは私)にとっては大切な表現なのです

だからこの人の言うことは正しい、間違ってるとかはないのです。

すべては自分自身が、周りのすべての情報をどのように受け取るのかというだけの話なのです。

情報というものは発信する側がいて、受け取る側がいるというごく単純な構造のものです。

そこには特に大きな意味などはないのです。

さいごに

自らが真の自分の情熱を生きたとき、あらゆる反応が世界から返ってきます。それらのほとんどが、自らが想像していたような反応ではありません。

ここで重要なのは、自らの情熱的な表現の後の反応に対して、自らのジャッジをしないということです。

こういう反応が欲しい。
こうなって欲しい。
あれは嫌、これも嫌。

私たちはあくまでも、情熱を発揮するだけでよいのです。

そのあとの結果は自分とは無関係なのです。

ですから、それらのすべての反応を律儀に受け止める必要はありません。

自分にとって嬉しいことであっても、そうでないことであっても、そもそもそれらに意味などはないのです。

なぜならば、私たちの情熱的な活動に呼応している人々とは、そしてその反応とは、それらは彼らにとっての情熱だからです。

つまりは、その彼らの反応に、私たちがとやかく無用なジャッジを差しはさんでしまうと、ありのままという自然なこの世界の理からずれる行為を自ら選択しているということになるからです。

私たちはありのまま自らを表現する、そして周りの人々もそのことに好き勝手に反応する。

ただそれだけのことなのです。

だから今後はもう、周りに好きに表現させてあげてください。

本当にそれでいいんですよ、ただ単にそういう時代が訪れたというだけのことなのです。


タイトルフォト

さび猫の冒険さんよりお借りしています。
ありがとうございます。

著者プロフィール

私、ナスノの簡単な自己紹介となります。
惹かれたら是非ご覧ください。

いつも本当にありがとう。 これからも書くね。