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自己顕示と自己表現

私達が自分の成長のために日々研鑽するのは己の欲のためではない。より正確に自分を表現するために起こる純粋で自然な心の衝動。

その心の動きを習気じっけという。

『習気』とは、仏教用語で、煩悩を起こすことによって心の中に印象づけられた慣習的な気分、習性を指す。この気分や習性によって、思想や行動などが生まれる。

我欲それ自体を何ら恥じる必要はない。
自らの成長の先にある、地位や栄誉や富に厭らしさを感じなくて良い。

もっと自由に上手にわかりやすく、より多くの人へ届けと願う。
学校に通う子供たちを誰が厭らしいと思うでしょう。年齢も関係ない。

他の誰かのため、自分が何かをしたいと願う純粋な心もまた自己表現に同じであり、何ら恥ずべき事ではない。

気をつけねばならぬのは、欲求や欲望といった直接的で物質的なものと、自分のピュアな精神的な心の動きとをゴチャ混ぜにしてしまうこと。

欲望は、こうなってほしいという願望、自分を必要以上に大きく見せようとする自己顕示欲。色欲や情欲は己を満たす為のもの、つまり癒し。

自己表現は自己実現の結果、他の誰かが影響を受けまた別の表現が生まれる為のもの、これらは全く別の心の動き。

お互いの表現に心響かせ合い、自己を実現し合う。
そうして互いにその結果を体験するのである。

自分を生きるとはつまり、自己表現と自己実現の先の体験、それを我々は人生と呼んでいるのだ。

すべての人々が表現者となれる時代、それだけに自分をどう表現しどう生きるべきかと思い悩む日々。

noteを上手に書く為に文章について学ぶ。
少しでも多くの人に読んで欲しいと願う。
言葉は自己表現、だから沢山の人に届くと嬉しい。

ありのままの自分を表現する、それだけのことなのにいつしか、
『もっと自分らしく』『より美しく』『相応しい自分へ』

加工した画像、取り繕った言葉、そうした事柄で自分をより良い存在に見せようとしてませんか? 自分自身に嘘偽りないと言えますか?

いついかなる時も自分に誠実でいられているでしょうか?

『思い』『言葉』『行動』
この3つが伴って三位一対となり、自分本来へと至る。

右往左往する日々にさようなら。
今こそ自分を取り戻せ。

あなたの思い。
あなたの言葉。
あなたの行動。

それを世界が待っている。

◆著者紹介

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