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無明、のち巌となりて

あなたが周りに反応するとき、自分本来の立ち位置から相手側へとズレルことになる。つまり自分から無関係な場所へ赴き、やがての苦しみを自ずから生み出しているのだ。

そうならないためには、自らの心を観察する必要があり、であればこそ周りに律義に反応を返している暇などない。

内省、内観には、己の状態を声に出して確認する。また、目を瞑って今の感覚を意識する二つの方法に加え、自分の状態を理解しやすく三つに分けて捉える方法がある。

貪欲、自分や周りに求めすぎる心。
怒り、自分や周りへの不平不満。
妄想、アレコレ考えて落ち着きのない心。

私達の尽きぬ悩みのタネの正体、それは自分勝手な比較や判断に他ならぬ。優劣、正誤、自分の価値観に基づく思い込みや決めつけ。
誰にでも生まれながらに備わっている判断能力がかえって仇となり、自らの足を引っ張るに留まらず、挙句の果てには「自分なんて」と、自らの首を柔い布で締め上げはじめる。周りとの無用な比較の成れの果て。

いちいち比較している暇があるなら、両方のいいところだけを自分のものにする。有意義な自分だけの人生のためにも、比較し上からマウントとって自分を正当化したいだけの、かわいそうな人たちに使う時間と労力の無駄をいますぐやめよう。

一時的な優越のために周りと比べるのはカッコ悪い。

苦しみの正体は執着『こうありたい』『愛してる』もこれに同じ。

決して動機を目的とせず、結果に執着しないように気を付けましょう。

自分の行動の結果についての評価は他人が勝手に定めるものであり、委ねてよいもの。

周りとの比較は、不安だから起こる自分の弱い心の現れであり、全ては安心のため、一時的なわかった感覚を味わう為の比較や判断、生存本能に過ぎぬのです。

そのことに気づけた瞬間、周りや自分の存在意義に気づける。

自分の意見を周りに押し付けなくていい。
周りの意見に惑わされる必要もない。

自分を決めつけなくていいように、周りもまたジャッジしなくていい存在。損得、善し悪し、優劣、無駄に判断するのをやめましょう。

互いの正しさを競わせていたのでは、永遠に平行線。

周りと分かり合えるかどうかのみ気にすれば、非常にシンプルに物事を捉えられ、そもそも分かりあえないなら、何も考える必要はないので楽。

お父さんやお母さんの言うことを聞かなくていいんです。

学校の先生や友達の言いなりにならなくていいんです。

会社の先輩や上司の命令は絶対じゃないんです。

それを決めているのはあなた。

あなたがそう思い込んでいる。

人は一人で生まれ、そして一人で死にます。

孤独からは逃れられないから受け入れるんです。

ただあなたは一人で自分を生きればいい。

もうそれだけで十分。

別の誰かにならなくていい。

何か特別なことをしなくても、あなたは特別。

そのことに気づけたなら、もうあなたは大丈夫。

自分を信じられれば、もう安心。

自分らしく、ありのままのあなたがそこにいるから。

自分探しはもう終わり

無常な世界を知る勇気

過去は過去、記憶は記憶、それ以上のものになりえない。
『継続は力』とは、ある時代のある分野のある人々の美学。

すべては時とともに移ろいゆき、いつまでもそうではありえない。

私達の思いは、日々幾万もの数におよび、つまり数限りない、片時も同じ思いの中にはいられぬのです。そのことにさえ気づければ、自分が思い悩んでいることがさほど大きな事柄ではないと確信できるはず。

そして、自分がそうであるならば、周りもそうであると気づけるのです。
これを無常な世界といいます。そもそも周りが気になるのは、自分が満たされていないから。そのためにはどうすれば自分が満たされるかを知らねばなりません。

そしてさらに、自分が満たされるための方法や種類を知らねばなりません。であればこそ、周りに気を使い、また周りにとらわれるというジレンマに巻き込まれる。でもそれでいい。

周りと自分との比較の繰り返しの果てで、自分と自分以外がふるいにかけられた結果、ようやく自分とは何かが浮き彫りとなり、腑に落ちるのです。

気づく時期には個人差があり、二十歳で気づく人もいれば、御臨終の寸前に気づく人もいるというだけのこと。

ですから、あわてて自分を知ろうとする必要はない。どうせその時が来れば、誰もが気づくからです。だからこれまで通り、気負わず自分のペースで気ままに生きればいいんです。

それでもなお、どうにかしたいと思うなら、今すぐできる好きなことから始めればいい。結果にこだわらず、素直に楽しみましょう。

楽しみながら好きを積み重ねている内、きっとなにかが変わっていることに気付けるはず。

心落ち着けて決断できないような状況に自分を置かないことが大事。

『君主危うきに近寄らず』の真意。

私たちは、人生をめくるめく選択の連続だと思い込んでいます。

でも、すぐに判断できないような事態に陥ってもその場で決めなくていいんです。

人生において緊急性がある事態って意外と少ないもの。

ひとつひとつの出来事を自分のペースで決めていいんです。

仮にそれが許されない日常であれば、それは自分にとって不釣り合いの現実、離れるに限ります。

あなたを下に見てくる人たち。

あなたにマウントをとってくる人たち。

朝から晩まで何から何まで分類し続けてる人たち。

そんな人たちとは、もうさよなら。

だってほら、違いを楽しめる気のいい奴らがこんなにいるよ。

こっちおいでよ、なんだ怖いの?

あなたに必要なのは、勇気だけ。

いくじなし

四苦八苦の正体

あらためて人生の目的に思い巡らせたとき、実はもうすでに目的を果たしている最中だったりする。

部活、学業、育児、仕事など。

それでもなお、人生により多くの豊かさを求めるのは、周りを見渡し自分に無いものを探し続けているから。

世にあふれる刺激が、自身の心に触れたとき、感情という反射が起こります。そして、その都度律儀に自分の感情に反応する。これが人生における四苦八苦の正体。もういい加減、感情というアプリを使いこなすとき。

自分の感情に苛まれたくないのであれば、日々を忙しくしてしまうこと。そうすれば、自然と周りの刺激などに触れる機会が減り、自分らしくいられるという一石二鳥。

最初と最後のきっかけや、動機としてはよいといえそうです。

自分の心地よさに意味を求めずともよいということは、自ずからおわかりのことであろうと思います。

『見ざる、言わざる、聞かざる』

周りを気にすればするほど、どういうわけかアレヤコレヤと、自分の中の妄想が肥大化していきます。その反応こそが、思考とされるものの癖であり、誰もが陥る出口のない迷路の正体。

頭で考えをめぐらせている間、何も行動を起こせないでいる不毛な状態。妄想はやがて思い込みとなり、行動に表れ習慣となる。

お父さんやお母さんに認めてほしいと、先生や周りの大人たちに褒められたいという、人間として当たり前の欲求が成績などのテストの点数やクラスでの順位という空虚で実態のないものへとすり替わっていく。

自分で選択し歩んだ過去を振り返り、誤った道だったと自己嫌悪。あるいは、そんなはずないと自己を正当化。そして意見を同じくする人達とヌルイ湯船のようなコミュニティで傷を舐め合う。

社会、地域、会社、学校によるマネタイズに子ども達が巻き込まれた結果、愚かな大人たちが、自分の分身を量産し、老いゆく自分の首を緩やかに絞めている。

すべてはありもしない妄想世界での競争によって生み出された出来事。

学校や会社での成績など、数値化されあたかも現実であるように思えるが、心を落ち着けて思い直せば、実際には大して大事なことでは無いと気づく。

他人のために自分の成すべきことを怠るのでは本末転倒。自分のやるべきことに専念することです。

乾いた心が求めるものや行為と、自分の本懐とを混同してはならぬ。

安らぎを求めた結果、競争を生み出したなら、今ここで負の連鎖を断ち切れるはず。前世の因縁、死んだあとのこと、こうした今確かめようのないことを思い巡らせずともよいと悟る。

手に入らないものを求め、いま現在大事な物を失いたくないと求める心こそ、虚しさの正体。

たとえ、この世の目に見えるものも、心も変わりゆく無常の定めならば、自分の思うままに変えゆけばいい。そのように考え方が変われば、自分のあり方が変わり、生き方が変わり、変えたいと願い続けていた周りが最後に変わるのです。

不苦不楽、楽でも苦しくもない、どちらでもない。

透明な自分、空の自分へと立ち戻れるのです。

もうそろそろ、目を覚ましていいのではないでしょうか?

もう十分、妄想の世界を味わったではありませんか。

いっそ目を閉じて、心の目を開こう。

心の静寂の中できっとこう思うでしょう。

争うでもなく、逃げるでもなく、自分の道があると。

そうして目覚めた道をゆけばいい。

いちいち周りに気を取られ反応をせずとも、自分の道を真っ直ぐ進め。

等身大のありのままの自分で、反応しない厳の心を備える。
汝、いまこそ厳となりて。

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