ネット弁慶の立ち往生
おそらく最近SNSをはじめた人は、ネット弁慶という言葉を知らないだろう。今から20年くらい前の隠語で、主に2ch界隈で言われていた。
当時はネット弁慶の数は極僅かで、その子たちが書き込むや否や必ず怖い大人たちによって「半年ROMれ」と嗜められたもの。
スマホが普及する前、ネットにいたのは自分でパソコンを用意できたある特殊な人種のみで、今とは全く雰囲気が違っていた。
その後、2008年くらいからスマホが普及しはじめ、2010年くらいからブログが流行りはじめ、その頃からようやくネットをはじめた人も多いのではないだろうか。
旧Twitter(X)やYouTubeが伸びはじめるのもこの頃からだ。それからは、もうネットは阿鼻叫喚、一部の人達にとっては裏垢を量産し、憂さを晴らすだけの場所となってしまった。
寂しさを紛らわすため、承認欲求を満たすため、現実逃避の場所として。
1998年頃のワクワクする自由な電子の海は、人間の欲望を巻き散らすだけの場所になってしまった。寝食を忘れるほど夢中になった僕たちのインターネットはもう終わってしまったのだ。
無限の可能性にあふれていたあの場所はもう帰ってこない。これまでを知る僕たちはまだいい、元の鞘に収まり次に進めるから。しかし、進むことも退くこともできなくなった彼らは、この先どこへ行くだろうか。
ぽつり寂しく電子ネットの海で立ち往生する彼らのことを思うと、なんだか胸が苦しくなるのだ。彼らは、これからも虚構の世界で、表現という虚言を偶像で演じ続けるのだろうか。
半年ROMれの真意
何事であれ、誰であれ、はじめから全部わかっている人はいない。野球やサッカーのルールを知らず、ゲームを行うことは適わず。
個人で行える芸術活動なども同じであろう。手順や決まりがまずあって、それらを守って取り組むことに意味や意義がある。
ここ最近、海外の人が国内の観光地を訪れ、知らないことによりマナーが問題になる。もとより文化や風習が違うのだからこれは当然のこと。
『郷に入れば郷に従え』を押し付けることはできない。生まれて間もない我が子の尻を叩き、「ほら、歩け」と、大きな声を出す母親がいるだろうか?
…居るはずがない、できないものはできないからだ。何故なら、私たちは知っているからだ、生まれたばかりの赤子が歩けないことを。
それなのに、海外から学びに来てくれている留学生や、働きに来てくれている人々に、いきなり日本のやり方に従えというのは無理があるだろう。
何事もまずは師事し、見よう見まねで素直に従うことで何年もかけて体得できる。私たち日本人が長い時間をかけて学んだように一朝一夕で身につくことなどない。
親という字が、木の上に立って見守ると書くように。きっとすべての整合性が整うのには数十年単位で時間がかかる、政治とはそういうもの。時間をかけて取り組むしかないのだ。
まずは、心変わりが起き、次に考えが改まる、そして行動が変わり、やがて習慣となる。こうやってだんだんと文化風習となる。やがてわかるのだから、焦る必要はない。
半年くらい遅れても、大概のことは何とかなるものだ。
何事も急いては事を仕損じる
火急的速やかに問題を解決しようとする人たち。性急に周りを従わせようとする人は、周りのせいにし続けて生きてきた人。
自分は変わろうとせず、周りと敵対し孤独になり、身近な人間からアドバイスをもらえぬままいつまでも独りぼっち。
いい歳になるまで精神が幼いまま、これからも誰にも相手にされない。自分が変わった経験を持つ人は、周りに求めることはしない。自分が変わることで、周りがどうとでも変化することを知っているから。
どんなに海外の人たちによって日本の仕来りが破られようとも自分が正しく行い続けることの大切さを知っている。
やがてその姿が皆のよいお手本となる。無理やり従わせようとしたり、良い悪いの議論をするのは時間と労力の無駄。どうせいま好き勝手しているような人たちもいずれ寿命でいなくなる。
でも日本古来の文化や風習は今更なくなりません。どれほど数が少なくなろうとも、正しい心で生活様式を守り続ける人は必ずいるからです。
その人々がいる限り、たとえ住む場所が日本列島と今呼ばれている場所でなくなったとしても、何も問題はないのです。大和の心は、仮に別の星に移住したとしても失われることはないのですから。
この心をわからない人は将来への恐れや不安から、変化をいたずらに恐れ有耶無耶に振舞います。支離滅裂に周りに攻撃的になります。
自分のこともわからないくせに、周りにばかり迷惑をかけ続ける。
『何かをするのが当たり前』という思い込み。
『何かをしたほうがいいよ』という強迫観念。
あれやこれやと奔走しているうちにひとりぼっち。ネットだけでなく、実社会でも同じように弁慶の立ち往生。
…今一度、何もしないことの大切さを思い出したい。
いつも本当にありがとう。 これからも書くね。