愚か者であることの何が悪いのか

今日ふっと思ったのです。

自らの生き方を見失い、周りに意識を使って己の在り方がおろそかになっている人たち。そしてそんな自らを見失っている彼らに、周りのことなんか気にするなと言っているインフルエンサーの人たち。

でもそのインフルエンサーの人たちにはわからない世界がたしかにある。
生まれてから死ぬまで、ずーっと誰の目にもあきらかに愚かな人生を生きているように見えたとしても、この世界にとってそれは大切なことなのです。

なにかしらの成功を手にした人たちにとっては、ごく当たり前に自分の気づきや努力の結果、沢山の人々から評価されていると思っているかもしれません。しかしながらそれすらも何かしらの世界のシミュレーションの一環なのだろうということ。

親切心や周りに良かれと思った上で、それが成功者たちにとっての自分軸に応じた表現や情熱なのであればそれはかまいません。
でももしそうでないのなら、例えば真理や答えを提示しているようでいて、一種のマウントなのかもしれないのです。

生まれながらに自分を生きることが物理的に不可能な状態で生まれ、そして一生そのような在り方を貫くことも、自らを生きることと同義です。

たまたま成功者として生まれているのにそのことに気づけないのであれば、結局は何もわからないままに生きる愚かな人々と同じであるということです。

だからこそ私たちが、成功者と呼ばれているような人たちを遠巻きに見た際、なにか薄ぼんやりとしたような心の違和感を感じるのは、そうした観点からなのかもしれない。

そうした点を鑑みるに、個人的にはむしろできないわからないをその生涯を通して体験する人々こそ称賛されるべきなのではないかと思ったのです。

もしこれを読んでくださった人の中に、たくさんの人々からフォローされて称えられているような人々に対して、個人的にネガティブな感情を抱いたとしても、そのことに自己嫌悪に陥らないでほしいです。

おそらく地球上では、何もわからずに生き、何も成し遂げられずに死んでゆくことさえも、それは自然な定めなのだと思います。

いずれにせよ、愚かであろうが、そうでなかろうが、むしろそれらのすべてが合一しているその様こそが、この世界のあるべき姿なのでしょう。

だからもう自らの愚かさを嘆かないでください。

少なくともあなたは自らが愚かであることに気づけている、それでいて尚、自らの宿命に立ち向かっている誇り高き人間なのですから。

いたずらに周りと自分を比較しないでください。

あなたは何も悪くないし、むしろ愚かさを受け入れるだけの強さを秘めた人です。すでに完成された存在なのですから、であればこそどうかありのままを貫いてください。

あなたの愚かさとは、愛そのものなのですから。

今日も素晴らしい一日でした。

ゆっくりおやすみください。


タイトルイラスト

hanesan4koma33さんよりお借りしています。
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