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人は清濁あわせ持つ、だから人間

体調不良や病は自ずから引き起こされるもの。その原因の多くは自分の意にそぐわぬネガティブな感情から端を発したもの。

自分に無関係なものを吐き出すために起こるネガティブ感情が、長年繰り返し蓄積されることによって、生真面目で不器用な人ほど自分のネガティブな感覚に弄ばれた挙句、やがて何らかの形で顕在化した状態を病という。

ではポジティブに日々を生きれば心身が快方へと向かうのか? ことはそのように単純ではない。

この世にネガティブにならない人なんていないし、そももそもネガティブはポジティブと同じだけ自分の中にあるものだから。

ネガティブという言葉の使われ方や、恐れや不安が必ず伴うことから、あたかもよくないことのように思い、特別なことのように決めつけている。

でも本来は、ネガティブは現実世界、つまりは目に見えている世界を生きる上で不可欠な力。

例えば、日常の恐れや不安、お金が無くなると食べ物が食べられなくなって餓死しちゃう、みたいに。

自分の中にとめどなくやってくる負の感覚は、このように人生を前に進めるための自然な感覚、だからこそ人間は基本的にネガティブなのです。

たとえイメージは悪くても人間にとって当たり前である負の感覚を恐れ不安にならないで。

ではポジティブは?

ポジティブは夢や映画やゲームの中のような世界、つまり精神世界での非現実的な力。

自分が無敵のヒーローや見目麗しいヒロインになったような正の感覚です。

その瞬間なんだってできちゃう万能感。

車の運転で人が変わったようになるのがこの状態。

ネガティブが鬱ならポジティブは躁。

よく言われるポジティブ思考、気分が良いときに行動すればいいよ、しかし現実では必ずしも良いことばかりではないのだ。

例えば一世を風靡した人が必ず数年後居なくなるのは、意欲的に活動した結果。つまりは、自分がポジティブな状態、躁の状態で活動し続けた結果、持続せずにさようならになったということ。

ましてや気忙しいこの現代社会、今を生きる誰もが時代や自分の中の感覚に翻弄され、その潮流の最中でジェットコースターのように躁鬱を繰り返している。

波動や周波数を上げようという真意

ポジティブ思考で波動(周波数)をあげよう!の大きな誤解。

波動(周波数)は高ければいいというわけではない、高すぎる状態を躁状態といいます。

低い場合は鬱状態、波動や周波数を上げようというのは、自分本来の周波数に戻そうという意味。

自分本来とは0(ニュートラル)にリセットされた状態。

これを心を整えるといいます。

自分の軸に戻るともいいます。

高くても低くても自分の軸とは離れていることになります。

気持ちが落ち込んでテンションが低い人に、

「頑張って!ポジティブ!」

なんて言ったらどうなるかわかりますよね?

状況は解決しないばかりか、長引かせるだけです。

鬱の状態からは何もできません、意欲が減退しているから。

現在進行形で気落ちしているんだから、その相手が何も考えずゆっくり休める環境を整えるのが周りができる唯一のこと、それ以外の行為は悪戯に事態を悪化させるだけです。

本来、波動は上げるのではなく、整えるものです。

陰陽の中庸に位置する、だから人間

人間は自分の状態やこの世の中を陰(-)か陽(+)かの二極だと思い込んでいるがそうではない。

人間は本来、中庸(ニュートラル)でありそのどちらでもない。

つまり自分本来。

その心の状態を明鏡止水と呼ぶ。

そしてこの心の状態のときにのみ、自分の創造を超越した現実が引き寄せられる仕組み。

何故か、それが自分本来、つまり人間の本当の力だから。

自分本来の中庸な状態、その時にだけ魂が接続する。

つまり神懸かみがかりが起こる。

この仕組みを知らぬ者を愚痴ぐちという。

この世では今この瞬間まさに99%の人々が、

「波動を上げよう!」
「ポジティブ思考で!」

と愚痴りながら右往左往し愚かさの中を懸命に生きている。

そんな彼らに魂の声は一生届くことはない。

それでも彼らは、たまたま気分よく過ごしていて思い通りの成功を収めたそのノウハウをシェアしようとします。

彼らはその時、確かに成功したかのような状態を体験し、あたかも成功の法則を理解したと勘違いし、その誤った情報を拡散しているのです。

この後に彼らに訪れるのは、成功なのか失敗なのかよくわからない曖昧な現実、そして彼らがその中で右往左往する未来です。

躁鬱状態ではそれ以外の現実はやってこないから。

この世には綺麗も汚いもない。

人生とは、自然体の自分が行動(表現)したときにのみ、自分の予想を超える現実がくる場合があるということ。

でもそれは必ずしもその瞬間に、私たちにそれとわかりやすい形でやってくるわけではない。

その時には、なんだこんなものかと思うようなことでも、それが始まりにすぎず、後に物凄いことへと繋がったりするのです。

つまりこの現実では何かが起こっても、それがどういう意図を孕んでいるのかなんて、自分たちには皆目見当もつかないということ。

あるいは人生の最後まで、結局なんだかよくわからないことだらけ。

何故なら私たちは、天の川銀河の太陽系の地球に住む一個人に過ぎないから。それこそ私たちの素知らぬ所で、私のくしゃみ一つで新たな星が誕生していたところでわかる筈がないのです。

つまりはそのまた逆もしかり、太陽フレアの影響で自分の髪の毛が一本抜けたとしても誰にも観測不可能(また髪の話してる)なのです。

ですからこの世のすべては意味のないものであると感じられるのです。

この世はどこまで行っても『くう』。

であればこそ、私たちはあれやこれや考えず、清濁せいだく併せ吞みながら生きていけばいいのです。

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なすの
ここまで読んでくれたことに感謝。 これからも書くね。