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「命の尊さ」と「無力感」

質問をくださりありがとうございます。
いただいた内容はこちらです。

SWの経験を重ねて、楽しいと思ったりやり甲斐を感じることもありますが、自分がSWに向いているのか成長できているのか迷う時も多く、出来てないことが多くて無力感を感じたりします。
辞めてしまいたいというよりも、こんな自分がやってていいんだろうかと思います。
そんな時はありましたか?乗り越えられるものでしょうか?
SWに向いてると思ってないなら辞めた方がいいのでしょうか?

コメントより

無力感を感じる経験

たくさんあります。
「生きる辛さ」「命の尊さ」を感じるとき。
何十年も家族の面会もない方を看取ったり
家族から暴力や性的虐待を受けていたり
自分の親や子供を殺害してしまったり
自分自身の命を絶ってしまったり
そんな出来事に遭遇するといつも無力感を感じます。

支援者も傷つきます。
心が痛くてたまらなくなる時があります。
「あの時に声をかけていたら・・」「もっと話を聴けていたら・・」
「違っていたかもしれない」

訪問した家で平成の時代にリアルな座敷牢で生活していた人に関わった時
訪問した家で家族から性的虐待を受けていることを知った時
入院後、回復してきたからと外泊して自宅で自ら命を絶った時
訪問担当してた方が生活保護を辞め仕事を始めると一緒に喜んだあと自ら命を絶った時
20代で思い出すだけでもいくつも思い出します。
30代でも、40代でも、もちろんあります。
自殺は社会問題になるくらいです。
入院中に病院を抜け出してという方もいます。

医療従事者、専門職も人ですから、とてもショックを受けます。
仕事を続けられなくなる人もいます。
自ら命を絶ったのに、ご遺族に「ありがとう」を言われたこともあります。
ご遺族から責めの言葉や気持ちをぶつけられることも当然あります。
ご遺族は気持ちをぶつける相手が必要です。
場合によっては、カルテ開示請求や弁護士さんと相談することもあります。
冷静を保つことは大変な事です。
無力感に襲われている時の仕事ぶりは怪しいです。
どうしても、命に敏感になります。
支援の中で感情移入しやすくなったり、冷静な判断が難しくなります。

管理職になると、職場の立場で接することが増えてしまい
ご遺族の方に寄り添えない自分に悔やむ気持ちは残ります。


40代でグリーフケアを体験

そんな経験をしてきて、グリーフケアという言葉を知るようになりました。
医師や臨床心理士とともに、職場にグリーフケアの仕組みができました。
冷静に対応しているように見える担当職員たちも心は傷ついています。
専門職の対応に問題があったならば、その事実を整理する必要がありますが
それぞれの役割を果たし、起きた事実を共に整理して受け止めることで
傷ついた心を癒し、抱えている役割を果たすことに前向きになっていく
そんなプロセスは大事だと思います。

20代30代はどうやって乗り越えていたのか?
気合いと根性?そんなものはポキっと折れます。
仕事の話は守秘義務があるので、誰にでも話せるものでもありません。
ご遺族の方々と共有して一緒に乗り越えることが多かったかもしれません。
専門職としてはスパービジョンの中で整理して受け止めていたと思います。


支援者こそ支援を受けよう

学生や若いSWさんと交流が多かった時によく伝えていたことがあります。
「向いていないんじゃないか?と思う人ほど向いてますよ」
向いてると自信ある人ほど、迷わなくなり自己判断が増えます。
そのSWの考えや価値観での判断が増えるということです。
支援を必要とする人の意思の尊重が怪しくなります。
支援は問題なく終結しても、実践を振り返る客観性は大事です。
「うまく支援できて満足感を感じた」時ほど怪しいと思った方がいい。
なぜなら
・うまくいくことだけがいい支援ではない
・結果じゃなく関係性やプロセスも大事
・支援を必要とする人の満足度が大事
・満足させることがいい支援でもない
その後の生活がどうなっているかまで見ないとわかりません。

つまり、いい支援ができていたのかはすぐにわからないものです。

支援者がよかったかどうかを判断するものではないということです。
どんな気持ちか、どんな選択肢があるか、どんな影響があるか
自分の事ではないのだから、迷うし葛藤するはずなんです。
だからこそ、ふりかえって客観視してみたり知識や技術を高める努力が大切です。

プロセス化、マニュアル化を求めることは悪い事ではありませんが
「人」「環境」「社会」などに働きかけるSWは、個別化は基本です。
マニュアル通りに仕事をこなしても、いい仕事はできません。
「成長したい」のならばスーパービジョンは大切だと思います。
支援者こそ支援を受ける姿勢を身につけたいものです。


決断するタイミングは人それぞれ

「辞める」も「続ける」もどちらも「あり」
辞めることが悪い事ではないと思います。
距離をとる事で、それまで見えなかった景色が見えることもあります。
苦しいけれど続けながら気付けることもあると思います。
言えることは
「しっかり向き合おうとする」から辛く感じてしまうし
「誠実に考えている」から向いてないのではと悩むのだと思います。

例外なく「中身の伴う成長」には年月が必要です。


そういえば、20代に燃え尽きてしまったことがありました。
九州の温泉巡り、滝巡りを1ヶ月車中泊で旅したことがありました。
30年ソーシャルワーカーを続けたけれど、未だ向いてると思えない僕です。

最後まで、お読みくださりありがとうございます。


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