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Vol.508「パリ五輪斬首の何を批判すべきか?」

(2024.7.30)

今週のお知らせ
※「ゴーマニズム宣言」…パリ五輪開会式における「マリー・アントワネットの生首」の演出が物議をかもしている。ところが日本の「識者」からは、ろくな批評が出て来ない。中には「常識人に不快感を与える」から表現として芸術として良かっただの、「マンネリ化していたのがすべて吹っ飛んだ」だのと、狂っているとしか言いようのない評価まで出てくる始末である。日本の「保守」も「リベラル」もパリ五輪斬首の何を批判すべきなのか?本当の「リベラル」の定義とは何なのか?そして、実は過激なものだった「保守」思想とは?
※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…令和6年7月27日(土曜)、「愛子さましか勝たん!」が開催された。第二部の議論では、森暢平さんが眞子さまの渡米を「亡命」と表現された部分、矢部万紀子さんが、若い世代の感覚を読み取りながら、「天皇制そのものがなくてもいいんじゃないかという方向に向かいかねない」と述べられた部分が、重大問題という意味で心に引っ掛かり、印象に残っている。この点や、全体の感想含めて、自分が感じ取ったことをまとめて書いておこう。
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」…いま強烈に推している歌手やアイドルは誰ですか?ニコニコが復活したら「ライジング」の配信はどうなる?時代劇との遭遇はどんなもので、どんな方が好みだった?新型コロナ以外の風邪も「指定感染症5類」に引き上げる!?日本人は一体どうしてフランスという極左国家に妙な幻想を抱くのか?…等々、よしりんの回答や如何に!?



1. ゴーマニズム宣言・第537回「パリ五輪斬首の何を批判すべきか?」

 パリ五輪開会式における「マリー・アントワネットの生首」の演出が物議をかもしている。
 ところが日本の「識者」からは、ろくな批評が出て来ない。中には「常識人に不快感を与える」から表現として芸術として良かっただの、「マンネリ化していたのがすべて吹っ飛んだ」だのと、狂っているとしか言いようのない評価まで出てくる始末である。

 開会式のショーはそれぞれテーマがつけられた、いくつかのパートに分かれていて、問題のシーンは「Liberté」(リベルテ=自由)と題されていた。
 フランス革命の際、王妃マリー・アントワネットがギロチンにかけられるまで実際に投獄されていた建物「コンシェルジュリー」の窓に、自分の生首を抱えたマリー・アントワネットが立つ映像が映り、その生首がフランスの革命歌「サ・イラ」の冒頭を歌う。
 それに続いてデスメタルバンド・gojira(ゴジラ)がその続きを爆音で演奏し、コンシェルジュリーが真っ赤な砲火に包まれる。
 クライマックスには、あちこちの窓からギロチンの血しぶきを表現した真っ赤な紙テープが噴射され、ジャンヌ・ダルクに扮した女性が、その血を浴びながら気持ちよさそうに革命歌を歌う…というのが、そのショーだった。

 泉美木蘭さんがブログで紹介してくれたが、マリー・アントワネットの生首が歌っていたのは、こんな歌詞だ。

Ah! ça ira, ça ira, ça ira
les aristocrates à la lanterne!
Ah! ça ira, ça ira, ça ira
les aristocrates on les pendra!

ああ!うまくいく、うまくいく、うまくいく
貴族どもを街灯に吊るせ!
ああ!うまくいく、うまくいく、うまくいく
貴族どもを縛り首にしろ!

 このあとgojiraとジャンヌ・ダルクが原曲の通りに歌ったかどうかはわからないが、「サ・イラ」の歌詞はこう続く。

吊るすのでなけりゃ
奴らを壊そう
壊すのでなけりゃ
奴らを燃やそう
ああ!うまくいく、うまくいく、うまくいく
貴族どもを街灯に吊るせ!
ああ!うまくいく、うまくいく、うまくいく
貴族どもを縛り首にしろ!

われらはもはや貴族も聖職者ももたぬ
ああ!うまくいく、うまくいく、うまくいく
平等があまねく支配するだろう
オーストリアの奴隷もこれに従うだろう
ああ!うまくいく、うまくいく、うまくいく
そしてそれらの忌々しき連中は
地獄に落ちるだろう
ああ!うまくいく、うまくいく、うまくいく
貴族どもを街灯へ吊るせ!
ああ!うまくいく、うまくいく、うまくいく
貴族どもを縛り首にしろ!
そして全員を吊るしてやったら
奴らのケツにシャベルを突き刺してやれ

 これが、フランスが「Liberté」と題して全世界に披露したショーなのだ。
 フランス人にとって「自由」とは王妃をギロチンにかけ、貴族や聖職者たちを血祭りに挙げたことをいうのである。
 問題は、フランス人があの表現を「誇り」だと思っているということだ。
 開会式のショーでは、LGBTのダンサー(ドラァグクイーンとかいうらしい)が名画「最後の晩餐」のパロディを演じるシーンがあり、「キリスト教を揶揄している」という抗議の声が挙がっている。
 演出家は「多様性」を表現したかったと言っているようだが、これもやはり、フランス革命で宗教を否定したことに対する誇りが根底にあるのだろう。
 いずれにしても、それがその国の誇りだというのなら仕方がない。フランスが、王も王妃も貴族も聖職者もギロチンにかけまくった、人殺しの過去を誇らしいと思っているのなら、それを他国の者がどうこう言うこともない。

 しかしそれを見せられる側としては、特に日本人を始めとする今も君主制を採っている国民としては、眉を顰めたり、くだらないと思ったりするのは当たり前のことだ。きっとイギリス人だって、そう思っているだろう。
 イギリスの哲学者で「保守思想の父」といわれるエドマンド・バークは最初からフランス革命を完全否定し、『フランス革命の省察』を出版した。
 国家の歴史の上に長い年月をかけて醸成されてきた政体を、単に一時的な感情によるものかもしれない暴力によって倒すということに対して、バークは嫌悪感を持った。このバークの考えこそが、「保守」の出発点である。
 一方、フランスの「リベルテ」を英語でいうと、「リベラル」である。

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