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そろそろ、私の人生に「カタ」をつけようか。

 今春は、家を片付けようという意欲に満ちている。ストイックに暮らし極めたいなどと思っているわけではなくて、片付けって何だか楽しそうだな面白そうだなと思ったから。今、このタイミングで。

 長らくの友人・のぶP(料理家の中井伸子さん)が片付けに夢中になっていたり、Voicyにてミニマリストという生き方を選択している方々と話す機会が増えて、それが新しい刺激になったのもある。片付け道を歩む人々は、軽やかなマインドを手に入れたからか、楽しそうに語り、我が道を進み、仲間を増やしていく。

 ストイックとは程遠いが、より楽しく心地よく暮らしたいという欲だけは深い。片付けを通して自分の内面や人生をジャーナリングしてみたい、まだ把握できない思考や行動のクセを探ってみたい、片付けという山を登り切った時の景色が見てみたい。
 いつだって私を動かしてくれるのは、好奇心とミーハー心。人間なんて、そうそう変わらないものだ。変わらぬ欲望を抱えたまま、いつの間にか変わっていく。

 今の私は、そこまで片付けられない女ではない。一人暮らしの頃は、なかなかの引越し魔だった(東京だけでも足掛け20年で10回ほど)。その度に、強制的に持ち物を整理してきた。7年前にパートナーと暮らし始めてからは、2人で並走するために不要なものは、あれもこれも手放せた。しかし、家が片付いているかというと、まだまだだなと思う。自分の持ち物を把握し切れていないし、だから、大切に使い切れてるとも言えない。

経験も感情も物語らなければ、いつか消えてしまう

 そもそも、持ち物よりも、思考がマキシマリストな私。
 生まれてこの方、人生のどんな時期も、胸の内にはさまざまな感情が巡り、頭の中には雑多な思考が絡み合い混沌としていた。そのことに辟易しつつも、一方では、どこかで肯定感を抱いてもいた。
 経験も想いも思い出も何1つ捨てられないし、捨てたくない。あれもこれも抱えたまま、油絵を描くように色を重ね続けて生きていきたい。それは楽しくも苦しくて、痛みを伴うも豊かなものだと思っていた。いや、今もそう思っている。

 でも、色を重ね続けた油絵も完成をみなければ、きっと悔いが残る。これまで何周も感じたこと、考えたこと、経験したことも、私の内側で消化するのみならず、物語らなければ、整理もされず、十分に愛でることもできない。きっと、こぼれ落ちてしまう。全体像を永遠に見ぬまま、いつか消えていってしまう。

 人生100年時代の真ん中にきて、そんな思いがよぎるようになった。

 そろそろ、私は自分の人生に「カタ」をつけたいのだと気がついた。
 これまで、生きていく上で絶対に叶えたい夢や明確な目標なんてなかった。ただ幸せに生きていくことや、雨の日も風の日も、心に嘘をつかず、その時々、これだと思う道を進むのがいちばんだと思っていた。ただ、「カタ」をつけることは必要だと思った。

 では、どんな風に「カタ」をつけたいのか。一言では言い切れないけれど、とてもシンプルなこと。
 たとえば、自分のトリセツを作っておくこと。変化し続ける心身の扱い方、年齢を重ねる上での指針、仕事においての優先順位、人間関係についてのルール……etc.   自分がより心地よく生きていくためのトリセツを作ることは、自分に「カタ」をつけることの1つだろう。

 あるいは、残りの人生でやっておきたいことを、やり残していることを、今一度リストアップして、1つ1つ行動していくことも、自分の人生に「カタ」をつけることの1つだ。
  他にも、自分なりのいろいろな「カタ」のつけ方があるに違いない。

まずは家の片づけに「カタ」をつけてみる

 さて、何から始めようと考えた時に、やはり、思考や経験を整理するより前に、家の各箇所のモノを片付けることから始めるのが良いだろうなと思った。
 これは、心と体の相関関係と一緒だ。心の不調がどうにもならない場合は、体からアプローチすると状況はするりと好転するように、家の中を片付けてみれば、心も私の人生も整理されてゆくに違いない。

 焦らずに、一箇所づつ徹底的に片付けてよう。のぶPの教えに従って、まずは、冷凍庫から始めることにした。冷凍庫は、狭く独立した空間だ。入っている物の区分けもしやすいゆえに、カタのつけやすい。最初に手をつけて、やる気スイッチをオンにするには最適な場所なのだという。

 3月24日、朝8:30  Voicy「芳麗の女と文化の話café」の生放送にて、プレミアムリスナーである同志のみなさんとともに冷凍庫のお片付けをした。

 これが想像以上に、楽しかった!

 ライブの30分間で冷凍庫を片付けきることを目標に、手順は、王道の片付けマニュアルに準じて進めた。

  1. 入っているものを全て出す。(ジャンル分けしながら並べていくと直良し)

  2. 不要なものと必要なものを精査して、不用品は処分。

  3. ジャンルごとに整理して収納場所に入れ直す。

 詳しい手順や体験で得られた気づきなどは、プレミアム放送で語ったけれど、基本マニュアルなら多くの片付けの本に書いてある。一読すれば、誰でもすぐにできることなのだが、なかなか始められないのが本気のお片付け。

 実際に手足を動かしてみると、気づきや喜びがたしかにある。

 夫婦2人暮らしの我が家の冷蔵庫はそもそもモノが少ないのだが、それでも不要なものは多々あった(酒粕、板氷、冷凍のお惣菜など)。一方、ほぼ毎日、使用して循環していく食品もある(スムージーに使うブルーベリーなど)。

 意外だったのは、数ヶ月前、試しにまとめ買いで購入してみたヘルシーが売りの冷凍お惣菜がいっこうに消費できなかったこと。便利なのはもちろん、けっこう美味しいし、さまざまな種類があって今の食のトレンドも押さえている。
 食いしん坊で料理は好きだが、マメではない私にはぴったりだ。忙しい時、生活の乱れに負けそうになった時に、「これは使える」と思ったものの、実際は食指が伸びなかった。 

 忙しくても帰宅が遅くなっても、無意識のうちに冷凍庫より先に、野菜室を開けて、フライパンを温めていた。冷蔵庫にある食材を蒸したり焼いたりして、塩するだけならできるのだ。私は、フレッシュな野菜をシンプルな調理で食べることに、小さな喜びや美味しさを感じる。それがたとえ38円のしなりかけたもやしだとしても。 私の食には、すでに「カタ」があるのかもしれない。

 人生に「カタ」をつけてみよう計画の小さな一歩だ。

 まずはキッチン周りの「カタ」をつけよう。次は、野菜室、冷蔵室を片付けようか。その後は、パントリーと調理器具あたり?!   思い浮かべるだけで、すでにカオス。

 なかなか捨てられない場所、捨てられないモノには何が詰まっているんだろう。どんなパンドラの箱があるんだろう。

 そんなことをぼんやりと考えながら、夕食後にキッチンリセットしていると、モノだけではなく、思考や人間関係や仕事におけるあれやこれにおける、片付けたいもの、捨てたいものが次々に浮かんできた。

 さて、私の人生に「カタ」はつくのだろうか———。

 私が私に乞うご期待。


 芳麗の「カタ」つけダイアリー(仮)は、週1回、毎週日曜日に更新予定。自分の人生に「カタ」をつけよう…をコンセプトに、ラフなエッセイ形式で綴ります。これまで何周もした思考や経験を整理して、健やかな心身の扱い方、年齢を重ねる上での指針、仕事においての優先順位、人間関係についてのルール……etc
 より心地よく生きていくための自分のトリセツについて考えます。ぜひ遊びにきてくださいね。

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