不快感情も味わい、その恵みを享受しよう
「負の感情」の扱いについて、皆さんは普段どうしていますか?
「怒り」「悲しみ」「憎しみ」「混乱」「寂しさ」等々、一般的に負の感情として扱われることも多いこれらのような感情が自身の内側に生まれたときの扱いは、人によって異なることに最近僕は気づきました。
今思えば僕はこれまで、「元気・エネルギッシュで前向き」な状態でずっとい続けることを良しとして生きていました。
人と関わる上でも、自分自身の理想を叶えるためにも「いつも前向きでやる気満々な状態でいられたらいいのに」と思っていました。
確かにその状態は生産性高く、コトへ集中しやすい気もするので、僕と同じような考えを持っている人も決して少なくないとは思います。
しかし、ずっとエネルギッシュに前向きでい続けることは、天気で晴れしかないようなもの。
そのように、僕が理想としていた状態は人間にとってどこか自然ではない在り方なのだと、このところ思うようになりました。
自然界に色んな天気があるように、人間にとっても色んな感情を抱くことは自然なこと。
曇りや雨が自然にとって必要なものであるように、人間の感情もきっと人間にとって必要だったからこそ人間に備わっているという捉え方を最近するようになりました。
■快感情&不快感情の両方を味わい、その恵みを受け取る
僕は半年ほど前から、毎晩寝る前にその日あった良いことを3つ書き出す習慣を持っています。
これは元々はポジティブ心理学の分野のアイデアで、「スリーグッドシングス」とも呼ばれているそうです。
人生の中で嬉しかったことを探す習慣が身に付き・前向きな気持ちで就寝できることからも、個人の幸福感を高める上で一定の成果が見込めると思います。
このやり方も素晴らしい一方で、ここ最近の僕は快感情を抱いたことだけではなく、不快感情をいだいたことについても日々振り返るようになりました。
本能的に不快感情を避けて快感情を追いかける側面も大いに人間にありますが、それだけではなく「不快感情にも様々な機能があり、意図的に理解することによって、自分の源と繋がる命からの大切なメッセージを受け取ることができる」という視点も持つようになったからです。
■不快感情から恵みを受け取れるようになると強い
不快感情はその不快さから、本能的につい避けたがってしまうものですが、その感情が自分自身へ伝えたがっているメッセージを理解することで、自分の命の求めているものを知るための大事な材料とすることもできます。
怒りや悲しみを感じたら「自分は何が本当は『ある』と思っているのか?(「本当は『ある』はずなのに、無い…!」となっているから怒りや悲しみが生まれる)」のように、自分自身が内側から求めているものへ着眼できる自分で在りたいと思いました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
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