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虚構と現実のバランス-『ホモ・デウス-テクノロジーとサピエンスの未来』から学んだこと② 【Aflevering.120】

 私の歴史学習の認識を変えてくれたユヴァル・ノア・ハラリ氏の著書についてまとめています。今回は、その数々の著書のうち『ホモ・デウス-テクノロジーとサピエンスの未来』を読んで私が考えたことを記録しています。
 前回は、遺伝子工学やサイボーグ工学などの発達によって、私たちの心や死の捉え方がどのように変化するのかについて倫理的な面から考えました。そして今回は、ユヴァル氏の著書でキーワードとなる「虚構」について考えてみたいと思います。

ユヴァル氏の主張(私の捉え方)

 人類のこれまでの歴史をどう解釈するのかについて書かれた『サピエンス全史-文明の構造と人類の幸福』にも書かれていたように、「虚構」というのは私たちが互いに協力し、大規模な人数でも共に生きることを可能にします。
 神や来世を信じる、国家や国王、貨幣や法律など、共に信じるものがあるから、人々は大規模な集団でも協力体制を持ち続けることができるのです。

 その一方で、虚構がなければ私たちは協力して過ごすことができません。この虚構に頼りすぎることは、私たちが現実が見えなくなってしまうことがあるため、虚構に振り回されない力が必要だと述べられています。

「虚構」と「現実」のバランス

 私たちが協力して生活するには、「虚構」なしにお互いが協力するシステムは作れません。しかし、虚構の背後にある「現実」に目を向けずに虚構をただやみくもに信じてしまうと、私たちは現実を正確に捉えることができず、虚構に振り回されてしまいます。

 つまり、私たちにとって「虚構」は不可欠であるが、「現実」を認識しようとすることも忘れてはならないのです。

「虚構」と「現実」のバランスの例

 私はこの「虚構」を知り、あらゆることが広く捉えることができるようになりました。
 そこで、私なりに「虚構と現実のバランス」を考えるための具体例を自分の経験などからいくつか考えてみました。

①「通貨」の役割
 私たちは、通貨というものをお互いに信用して使います。本当に通貨自体に価値があるのかと疑問を持つと、今の私たちの生活は混乱します。しかし、通貨自体に価値があると思い過ぎてしまい、その通貨を集めること自体が目的になると、現実を正しく捉えることはできなくなります。

②スタートさせてしまった企画
 一見無理そうな企画を立ち上げて、それを一度強引に始めてしまったとします。すると、その企画が途中で実施困難と考えられる場合でも、その企画を遂行することだけが目標になってしまい、本来その企画を何のために立ち上げたのかがわからなくなってしまうことがあります。

③学校現場
・学校では、生徒達の学習内容に偏りが出ないように1年間のカリキュラムを作ります。しかし、それを維持するために目の前の生徒の学びを疎かにしてしまうことがあります。例えば、クラスの中で学びが深まりそうな時に、「このままだと終わらないから」と、急いでカリキュラムを消化することを優先してしまうこともあります。

・成績の平均点が60点になることだけが目標になってしまい、テストの内容が生徒の学力を図るためではなく、平均点を調整するための問題になってしまうこともあります。1点刻みの成績を付ける場合、どうしても生徒に差をつけるようにしなければいけません。
 合否のみの判定であったり、数段階(高校では最終的には5段階になるのですが)に分けて生徒の評価を行うようにすることも視野に入れてほしいと思っていました。
 また私の過去の経験から、生徒の行動を、数値化する根拠として見てしまう教員もいました。例えば、授業中なぜ私語がいけないのかということを、人間的な気づきや成長につなげる指導をするのではなく、「成績や平常点が下げるよ」という注意をしてしまう、授業の手伝いをしたら平常点を与える、などと言っていたのです。成績というシステムの中で、生徒の人間成長を支えることを忘れてしまっているかのようでした。

→こういった場合、意外と生徒の方が大人な対応をして、不満や疑問を抱きつつも仕方なく教員に合わせてくれる場合があります。生徒たちの方が虚構に囚われていないと考えることができます。

④自分が行動するルーティーン(個人)
 日々の生活を充実させるために、その充実度の指標(ルーティーン)を自分で作成し、それを維持することが目的になりストレスを抱える。

→私のこれまでがそうであったように、毎日をどう過ごすのかを決めて、いつの間にかそれを維持することが目的となってしまい、ルーティーンを継続することが苦しくなってしまうことがあります。本来の目的を忘れないのが大切だと今は肝に銘じています。

「虚構」の中に生きる私たち

 いずれも、虚構を否定してしまうと人間が行動する指標がなくなってしまうため、集団そのものが混乱します。しかし、大切なのは人間が作り出したシステムが今の現状に合わせて機能しているのかどうかを捉え直し、少しずつ虚構の仕組みを変えていくことではないでしょうか。

 私は日本の教育現場から離れただけでなく、住む場所を日本から海外へ移しました。
 そうすることによって、日本で生活していた時に当たり前だと思っていたことが、実は他の文化圏では全く通用しないという経験をたくさんしました。
 自分を取り巻いていた虚構がどのようなものなのかを、他の虚構の中に入ることによって発見できたような気がします。これが、「価値観の多様性」という言葉に置き換えられるとしたら、自分の価値観とは違う生活をすることは、虚構と現実のバランスを取る上ではとても重要になります。
 時には慣れない生活でストレスを感じることもありますが、それ以上に自分がこれまでに過ごしてきた文化の良さであったり、自分たちに誇れるものがわかると思います。
 そしてこれまでに気づかなかった、かつての「虚構」のシステムの改善点も見えてきます。
 そういった意味で、子どもたちには物事を複眼的に深く考えられる力、異文化を受け入れられる力を育てることが大切なんだと思いました。

 私が子どもたちに関わる中で、人と違うことを恐れるのではなく、それぞれの違いを受け止め、それをどう問題解決に活かせるかを考えられるようにしていきたいです。

 この本で学んだことを、自分の教育活動にも活かしていきたいと思います。
 最後までお読みいただきありがとうございました。

<参考文献>
・ユヴァル・ノア・ハラリ、柴田裕之 訳『ホモ・デウス(上)-テクノロジーとサピエンスの未来』(河出書房、2018)
・ユヴァル・ノア・ハラリ、柴田裕之 訳『ホモ・デウス(下)-テクノロジーとサピエンスの未来』(河出書房、2018)

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