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 日本語教室の一部の生徒は、7月に入って来年の進路実現に向けて少しずつ動き出しています。
 学校を調べたり、自分がこれからどういう道に進もうか考えた時、自分はその夢を叶えられるのだろうかという不安を感じる生徒も出てきます。

かつて日本の生徒たちが感じていたプレッシャー

 私も高校受験と大学受験の時は、謎の胃痛に襲われていました。あまり自覚はしていませんでしたが、密かにプレッシャーを感じていたのだと思います。

 日本の教育は過度な競争を子どもたちに強いていると、国連子どもの権利委員会から何度か見直しを求められています。その競争原理の中で、子どもたちは強い不安を感じています。

目の前の生徒にできること

 そういった過度な競争を見直すことは大切なことです。しかし、私が目の前に生徒にしてあげられることは何なのかを、高校現場にいる時からずっと必死に考えてきました。

 私が最後に勤務した高校は、大学受験をする生徒がたくさんおり、高校3年生の教室の雰囲気は異様でした。
 すべてのクラスや生徒がそうだったわけではありませんが、休み時間や昼休みも参考書や単語帳を開いては、必死に受験のための勉強をしていました。時には、授業が行われている科目は無視して、受験に必要な科目を勉強している生徒もいました。
 生徒たちが何かに怯えながら必死で参考書や単語帳と向き合っている様子を見て、「受験で生徒を不安にさせる教育って本当の教育なんだろうか」と思っていました。

 さらに、受験勉強を理由に学校行事に参加しない生徒が出てきたり、予備校に行くために学校を休むようなこともありました。そして、授業は大学受験に必要かどうかで判断されてしまうようになり、学校での勉強が大学に入るための勉強に成り下がっていました。

個別指導は不安に寄り添うチャンス

 昼休みや放課後に質問に来る生徒たちの中には、「どこも受からなかったらどうしましょう」と、自分が抱いている不安を密かに打ち明けてくれた生徒もいました。
 どこにも受からなかったら、まるで自分が価値のない人間だと捉えているかのように、大きな不安を抱えた受験生がたくさんいたのです。

 しかし、そんな不安に対して私ができることは、ただ話を聞いてあげて励ますことぐらいでした。
 励ますといっても、これまでその生徒がしてきた努力を認めたり、「物事には絶対というものがないから、結果とその人の価値は同じではない」という私の考えを伝えることぐらいしかできませんでした。

抱いている不安について「深掘り」してもらう

 私が勤める今の日本語教室では、これからの人生で自ら不安と向き合える力をつけてほしいと思っています。
 たまに、「不安に思っても仕方ない」とか「不安自体を否定するような言葉がけ」を耳にします。
 しかし、不安になっている自分を否定するとまたどこかでそれが爆発してしまう可能性があります。そこで、不安な自分を受け入れてその次にどうするかを考えてもらいたいと思っています。
 そのため、生徒からの不安だというシグナルを受け取ったら、その気持ちと向き合うようサポートしています。

 不安なことを書き出してもらい、思うことをたくさん言葉にしてもらい、その気持ちを整理していきます。

 日本語教室の生徒の場合は、日本の生徒が感じていたような「自分が志望校に受からなかった場合、人間としての価値がないのでないか」という不安があったようです。
 確かに、自分が設定した目標を達成したいという気持ちは大切です。そして、それが叶わなかった時は気持ちが落ち込むでしょう。

それが失敗だったかどうかはその後の行動で決まる

 しかし、失敗のない人生なんてありません。むしろ、失敗を何度か経験しておくことも強く生きていくためには必要だと思います。つまり、大切なのは「失敗しない」ことではなく「失敗した後に自分がどう行動に出られるか」です。
 仮にその瞬間は「失敗」と捉えられることだったとしても、その失敗をきっかけに大きな成長を遂げることができるならば、それは成功のための糧になったということになります(その逆も十分にあり得ます)。
 つまり、諦めた瞬間に失敗になるということです(どなたかの偉人の言葉にあったような気がします)。

 きっと、行きたい学校に行けないことが負けだと感じてしまうのは、周りの大人の言葉がけが影響していたりするので、そういった認識は大人として考え直さなければなりません。むしろ仮に合格できたとして、そこで満足してしまい気を抜いてしまっては全く意味がありません。

自分の経験を話す

 もし自分の経験が生徒の役に立ちそうなら、私の経験も話すようにしています。

①大学受験に失敗した話
 私も大学受験に失敗して、高校を卒業した後、大学受験のためだけの1年間を過ごすことになりました。
 高校卒業時点では失敗とされる経験ですが、その1年間で自分の意志で勉強することの大切さを学ぶことができたと同時に、何よりも日々の学習の積み重ねの大切さを身をもって知ることができました。

 もちろん価値観は人それぞれなので、それよりも現役合格が大事だと思う人がいても良いと思います。
 大切なのは、価値判断に善悪を付けるのではなく、最短ルートが良い人もいれば、まわり道をして新しい発見ができて良かったと思う人の両方がいて良いということだと思います。

②高校教員を辞めようと思った話
 工業高校に勤めた当初は、授業があまりにも上手くいかず辞めようと思ったこともありました。
 自分の授業をうまくできないことに腹が立ち、教員に向いてなかった、教員になる選択は間違っていたと考えることもありました。
 しかし、このままではいけないと思い、自分がこれまでに思い描いていた教育のイメージをすべての壊して、子どもたちと向き合うために試行錯誤を繰り返しました。
 そして、少しずつ授業がうまく進められるようになり、それが自信となりました。
 これをきっかけに、子どもの成長のために教育がどうあるべきなのかという、教育と向き合う機会にもなりました。
 今となっては、工業高校でのこの貴重な経験は私の教員人生の財産となっています。

 私の工業高校での経験については、「授業が成立しない学校で何をしたのか?(教員時代の記録)」をご覧いただければと思います。

 ただ、困難な状況であっても心や体に異変があったら逃げる選択も残しておかないといけません。工業高校から普通科高校に転勤した後、私は2回身体に異変が起きました。そこからは教育現場から少し距離を置いて、オランダという場所で教育について学んでいます。

今の子どもたちに伝えていること

 不安は成長しようとするからこそ生まれるものであり、その成長しようとする心自体はとても素晴らしいと伝えています。
 しかし、ほどよいプレッシャーを通り越して、大きな負担になっている場合は、心や身体に異変が現れます。
 そのサインは我慢したり見逃さないようにとも生徒たちには伝えています。
 一番大切なのは、成功することではなく、生徒が自分らしくいられることなので、何かおかしいと思ったら周りの人に相談したり、路線変更することも大切だと伝えています。

 結局大人にできることはほとんどなく、その子が自分でどう判断するのかを見守るしかありません。今の生徒たちが抱えている不安も、やがて大きな成長に変わるよう、これからも見守り役としてのサポートをしたいと思います。

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