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オランダの国際バカロレアの生徒が学ぶ「宗教改革」とは?【236】

 先日、オランダのIBに通う中学生(MYP生)がどのように歴史を学んでいるのかについて記事を書かせていただきました。今回は、日本の学校でも学ぶ「宗教改革」について、IB生がどのように学んでいるのかを紹介させていただきます。

 IBのMYPでは、いわゆる日本の中学生にあたる年齢ですが、学習内容は高校生並みです。私がサポートしている生徒は英語が第二言語にあたるため、IBでの勉強は言語面と内容面、2つの意味で苦労しています。私は日本語としての理解の部分でのサポートをさせていただいているのですが、そもそもの学習内容が難しいと感じます。

メインテーマ:「ドイツでのカトリック信仰は、一体何がおかしかったのか?」

 授業では学校で使われた資料を元に、日本語での解説をしました。学校の授業で説明された内容について見てみても、「宗教改革」に関する内容やその前後のつながりについてもあまり日本とは変わりないように感じました。ただ、中学1年生で高校世界史レベルの内容を学ぶので、日本語が母語となる生徒にとってより難しさを感じるところなのかもしれません。

「導入」:生徒への投げかけ

 初めに先生から生徒たちへの投げかけが行われます。その問いかけの内容は、「最近自分が行った悪い行為は何ですか?」「先生の行いとして悪いことを書き出してください。」というものでした。
 これは「贖宥状」や「95ヶ条の論題」と結びつけるための問いかけだと考えられます。

1500年代のヨーロッパへタイムスリップ

 歴史学習が難しいと感じる背景として、「時代の価値観が違いすぎて、当時のことが理解できない」ということではないでしょうか。スマホも車も家電もない生活で、人口のほとんどが農民を占めている当時の社会を想像するのは難しいです。そのため、歴史学習としてそれをどれだけリアルに感じさせることができるかが重要です。この授業では、当時のカトリック信仰について当時の人々が持つ価値観はどのようなものだったのかを説明しています。

カトリックの信仰「魂の救済」

 当時は「自然権(人間が生まれもった権利)」という発想もなければ、近代以降の「国民国家(自然権を守るための憲法や法律によって統治される)」という概念もありません。そのため、人々の道徳心の基本は宗教です。宗教が地域や国家の治安を維持する機能を果たしたため、宗教の役割は今以上に重要だということになります。つまり、物事の価値基準が神の考えや聖職者の判断に委ねられていたことになります。

 例えば、亡くなった人の魂の行き先がどうなるのか、それは人々の現世での行動に反映されるのです。私は宗教は専門ではありませんが、カトリックの信仰の基礎として、人間は罪を背負って生まれてくるとされています。そのため、肉体の死を迎えた時、魂の行き先が決められます。まず、生きていた時に「大きな罪」を犯していたら地獄行きになるそうです。また、正しいとされる行いをしていて、その人の魂が浄化されていれば天国へいくことができます。そして、その人の魂をこれから浄化する必要があれば、煉獄で焼かれ魂が浄化されるとしています。
 当時の人々にとってこの信仰が、共通する価値観となっていました。そのため、教会に通い神父の元でお祈りをしたり、罪を告白して神の赦しを乞うていたのです。そして、当時は教会単位で人々の村が形成されていたので、神父にはローマ=カトリック教会の指導者として社会の秩序を維持するという重要な役割がありました。ただ、その役割を悪用する人たちも出てきたという話につながっていきます。

 そして、中世でのローマ=カトリック教会の力は偉大なものとなり、社会の秩序を維持するという重要な役割も担いつつ、強大な権力を手にしていたことを生徒たちに理解させようとしていました。

支配的な力を持つ中世のカトリック教会

 先ほど述べたように、当時は政府と呼ばれるような組織がなかったため、教会が政治的な指導者としての役割を担っていました。ここで生徒たちと共有していた事柄として、

  • 神父は強大な力を持っている

  • 神父は人々の天国行きかどうかを制御できる

  • 秩序を保つ役割を担っていた

と言ったことがありました。ここで、カトリック教会が強大な権力を手にしていた背景として、生徒に理解させておかなければならないことがあります。当時は現在のように、ほぼ全ての国民が読み書きができるような時代ではありませんでした。当時の農民たちは読み書きができないため、カトリック信仰の教えは全て神父から伝えられることになるのです。これは神父による裁量が非常に大きいことを示しているのです。

教会組織の巨大化と崩壊

 神父は誰でもなれるわけではありません。修道院での厳しい修行を経る必要があり、性行為などは決して許されないとされていました。
 しかし、実際に結婚をして子どもを持つ者がいたり、聖職者としての教会の役職をお金で売買する者が現れたというのです。これは、宗教を私的に利用していることになります。このように権力にまみれ、役職として不十分な聖職者がいたというのも事実だそうです。

ドイツでのカトリック教会

 ここで、改めて生徒たちに「問い」が投げられます。それは、「ドイツに住んでいる人たちは何語を話している?」「教会で使われる言語は?」そして「言語の壁がどのような支障が生まれると思うか?」でした。当時のドイツでのカトリック信仰として、言語の違いも大きく宗教改革の要因となっていることに気づかせるために、このような投げかけをしているのです。

マルティン・ルターの登場

 そんな時、ドイツでのローマ=カトリック教会で行われている聖職者の不当な行いに対して、神学者であるマルティン=ルターが立ち上がりました。ここでの生徒たちへの問いかけとして、

  • 彼が教会に不満を持っていたのはなぜ?

  • 彼の宗教に対する見解は?

  • ルターが自分の思想を広めた方法は?

  • ルターの抗議はどんな影響を生み出したか?

などがありました。日本でこの単元を扱う時は、贖宥状の販売を決めたローマ教皇レオ10世に対する批判という部分が強調されています。彼は、贖宥状に関することが聖書に書かれていないことに疑問を感じたのです。しかし、今回の授業では、それよりもドイツでの聖職者への批判が強いように感じられます。

ルターとドナルド・トランプの共通点

 次に現代との照らし合わせとして、ドナルド•トランプ元アメリカ大統領との比較をしていました。ここでは、敵対する人たちもいる中で、当時の最新テクノロジーを活用して自身の考えを広めていった点について述べられていました。トランプ元大統領はTwitterを駆使し、ルターは活版印刷をうまく用いて自身の思想を広めたのです。

「宗教改革」の経過

ルターの思想とローマ教会からの破門

 ルターのカトリックへの批判はどのような内容だったのかを生徒と確認していました。

  • 贖宥状を買うことで魂が救済されるのではなく信仰によって行われるべき

  • 信仰を持つ人はみんな平等であるべき

  • 教会の教えは聖書に基づくべき

  • 聖書を解釈するための神父はいらない

 このようにルターは純粋な信仰心こそが重要であると主張しました。これが意外な反響を生み、カトリック批判が拡大する中で、教皇レオ10世はルターに対して発言を撤回するための勅書を出しますが、これをルターはヴィッテンベルグの広場で焼き捨て、それに続いて学生たちも教会法典などを焼き払ったとされています。ついにルターは、ローマ教会から破門されることになりました。

ルターの支援者と敵

 当時のドイツは、ローマ帝国の領地ではありますが小国が分立している状態です。その中には、ローマ教会を支持する君主もいれば、ルターにつこうとする者もいます。それぞれの思惑によって、ドイツ国内はさらに分断されることになります。
 ここで、当初ルターの考えを支持していた神聖ローマ皇帝カール5世(当時の小国分立のドイツを束ねる王)が、対立を収束させるためにルターに自身の考えを放棄するよう促しました。しかし、ルターはそれに応じなかったので、ドイツ国内から追放を言い渡されてしまいます。

 この時点でルターは異端者であり、国を追われる身となってしまいました。しかし、彼を支持していたザクセン選帝侯(皇帝を選ぶことができる権力者)フリードリヒがルターをかくまったのです。彼に守られながら、ルターは新約聖書のドイツ語翻訳を完成させたと言われています。聖書はラテン語で書かれたものしかないので、ドイツ国内では一部の者しかその内容を理解できなかったのです。これにより、聖書に基づく信仰が広がっていきました。

 この辺りの流れをスライドで紹介されていました。ただ、かなりこの辺りは端的にまとめられていたので、授業で先生がどれぐらい説明したのか分かりません。

農民の反乱

 ここでキリスト教徒の改革運動に賛同した農民たちが、農奴制の廃止を訴えて農民一揆を起こし、それはドイツ国内に広がりました。農民たちは修道院などを襲撃していきましたが、ルターはこれを支持しなかったのです。これは教科書の本文にちらっと書かれているような内容ですね。
 最終的には信仰や聖書の重要性を説いていたルターからの支持を得ることはできず、この農民戦争は鎮圧されてしまいます。

「プロテスタント」の由来

 教皇に忠実な君主たちは、ルターへの抗議に署名をしました。しかし、ルターの支持者たちはこの署名を反対したことから"protest(抵抗する)"という意味で、プロテスタントと言われるようになったのです。この辺りも紹介されていました。

「宗教改革」の決着は?

 その後、神聖ローマ皇帝カール5世によるカトリック諸侯の連合軍(スペインの軍隊も含む)とプロテスタントの連合軍の戦争が始まりました。結果は、カトリック側の勝利になります。そして、これ以上の対立がないようにプロテスタントの存在が公認されるようになったのです。これによって、領主カトリックかプロテスタントのどちらかを選ぶことができるようになりました。しかし、ここでは農民たちの信仰の自由は認められていません。この後も宗教対立は止まず、ドイツ最大の宗教戦争である「三十年戦争」に繋がっていくのです。

 この辺りに関してはかなりシンプルにまとめられていました。あくまで、マルティン=ルターという人物に着目した学習だったので、その後の流れまでは詳しく追わないところが日本と少し違うところなのかもしれません。とはいっても、日本とIBの比較としてではなく、担当する先生によってどこに焦点を当てるのかは変わってくるのが当然です。
 ちなみに、私は資料の読み取りなどが好きなので、新派の考えなどを色々並べたり、「エラスムスが卵を産み、ルターが孵した」の絵画を見せて一緒に考えていました。

テーマ型学習で丁寧に学ぶ意識を

 IB MYPで行われていた「宗教改革」は以上になります。大まかな流れやトピックの取り上げ方はほとんど同じでしたが、大きな違いとして当時の価値観や考え方を理解することに焦点が当てられていたような気がします。また、IBでは探究学習が主に行われるので、生徒への問いかけが多かったのではないかと思います。日本でも探究的に学ぶ授業を展開している先生方は、同じような授業展開をしていると思います。また、今後もIBの学習に関わって学んだことなどがあれば記録していきます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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