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『学習する学校 子ども・教員・親・地域で未来の学びを創造する』第8章学校に入っていく【292】

 ここからは第2部の学校に入っていきます。第1分では、教室の中でできる「学習する教室」を作るために必要な考え方やアプローチについて学んできました。第2部からは、教室から学校という視点に移して「学習する学校」づくりに必要な姿勢を見ていきます。

「学習する学校」を生み出す

 学校という組織を、子どもたちの健全な心身の成長を促すものにしたい場合、どんなことから始めたら良いのでしょうか。学校組織あるいは所属する自治体が大きいことで、どこから手をつけたら良いのかわからないという考えをもってしまうことがあると思います。私も現職の時にそのように考えていました。当時は、教育委員会の方針が変わらないとできないとか、管理職レベルの人が動いてくれないとどうにもならないと考えていました。
 しかし、本書を読むにつれて、もちろん自治体レベルでの変化も必要ですが、スタート地点はそこではなく、個人的な取り組みによる小さな変化だということが理解できたのです。予算的な問題に関しても、予算が最重要の資源ではなく、人同士のつながりから生まれる環境の変化が重要だと考えられています。

 不必要だという認識も持たれているにも関わらず、改善されないまま積み重なる業務による自転車操業から脱却するために、組織学習は時間を効果的に使うアプローチだとされています。組織学習によって、柔軟な思考をそれぞれがもつことができれば、権威者の決定を待つことなく、実態に合わせた組織の変化をもたらすことができるのです。
 そういった変化は、苦難を強いることが必ずありますが、むしろ苦難のない状態は何の進展もないと考えることができるのではないかという指摘もあります。

学校の目的

 本書では、学校の目的をよく考える上で必要な問いかけがいくつか用意されています。政治や経済、個人の幸福などさまざまな観点からの問いかけがありますが、私たちが勘違いをしているケースとして指摘されていることをいくつか載せておきたいと思います。

 子どもたちが労働市場に出る時に、具体的にどのようなスキルが求められるのかははっきりとは分かりません。そのため、かなり先の労働環境まで考えた教育をしようとした場合、無意味なものになってしまわないかという考えがあります。
 また、子どもたちの未来に必要なスキルを考える時に、教員は過去の経験から判断する傾向があり、自分の経験に偏りがちだそうです。
 近視眼的には点数や成績を良くしたいという気持ちが働きますが、本書では、将来的に民主的社会を形成する社会への高い意識をもてる市民の育成をすべきだと述べられています。
 こういった議論の前提として、正解はないものの、誰のために学校はあるのかということについてしっかりと対話する必要があります。

 私たちは自分の経験から価値判断をしてしまいがちです。そういった前提に立ち、本当に望む目標はどういったものなのかをよく考えなければいけません。
 アメリカやフィンランドでの改革の例がここで紹介されていますが、根本的な問題に目を向けることで改善できるかどうかが比較されています。

倫理的努力としての学校教育

 教えるという行為は、常に何のために教えるのかという目的も考えなければならないとされています。技術的な側面も重要ですが、教育活動としての倫理的な原則にも配慮する必要があると書かれています。
 このような倫理的な問いかけをしないと、問題の根本的な部分に目を向けることができず、何か問題が発生した時に他者のせいにしてしまいます。

 学校教育は、宗教的・国家的なまとまりを作る目的から、民主的な社会を形成するための自立した市民を育てることにシフトしています。
 この変化を大きな枠組みとして整理すると、「民主的な社会への文化的な適応」「知識へのアクセス」「自ら学ぶ気持ちや子どもの内面的な成長」「教員や学校が倫理的な側面から考える姿勢を維持する」ということがポイントとしてあげられています。

振り返りのための問い

 倫理的な側面をこれから身につけようとする時に役立つ問いが紹介されています。私たちは問うことで考えるきっかけを得ることができ、それが対話へとつながっていきます。詳細は本書で確認していただきたいのですが、テーマとして取り上げるだけでも効果があるのではないでしょうか。

・自分の教え方や学校の現場について批判的な見方ができているか(生徒のニーズを無視していないか)
・自分の学校の学習条件を変えるために働いているか
・学校教育の目的は何かと問い続けているか、それとも学校教育の手段だけを問い続けているのか
・継続的な探求に深く関わっているか(データや情報の活用)

倫理的な問いかけ

 自身の取り組みへの問いかけの他に、過去の組織学習に関する問いが紹介されていたので、その中でも印象的だったものを記録しておきます。

手段と目的の区別(ニール・ポストマン)

 列車を定刻通りに走らせることは可能だ。しかし、その列車が私たちの思うところに行こうとしていないのなら、なぜそんなことにこだわる必要があるのか。その列車がどこに行くかを知らず、それがどこに行くかに深い興味をもっていないのなら、なぜそんなことにこだわる必要があるのか。

『学習する学校 子ども・教員・親・地域で未来の学びを創造する』第8章より

望む変化にあなた自身がなりなさい(ガンジー)

 学校のさまざまな条件を刷新するために、個人としてやるべきことを見つめ直さなくてはならない。
 そうした変化を誰か他の人がリードしてくれるものとただ指をくわえて待っているのではないか。

『学習する学校 子ども・教員・親・地域で未来の学びを創造する』第8章より

問いかけとしての哲学

 最後のまとめとして、私がヨーロッパで哲学的な問いかけや考えることの重要性を学びました。日本にある時は、教育的トレンドを追いかけ、考えるよりもとっとと結論を出して取り組む方が良いと考えていましたが、じっくり考えていろんな側面からの思考を想定することやそのことについて対話することが政策決定においても重要だということが分かりました。また、多様性に配慮することで、問題が難しく感じることがありますが、いろんな角度から物事を見られるというメリットをいかすことができれば、子どもたちもそのような視点で物事を考えられるようになり、民主的な社会の形成につながっていくと考えることができるのではないでしょうか。

<参考文献>
・ピーター・M・センゲ他著、リヒテルズ直子訳『学習する学校 子ども・教員・親・地域で未来の学びを創造する』(英治出版、2014)

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