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IBDP生と語る「死生観」〜Paper2の添削とディスカッション【294】

 先日、国際バカロレアのIBDPで学んでいる生徒のPaper2の添削をさせていただきました。今回のテーマは、「作品に描かれる『死』によって、作者が生きることの意味について何を伝えようとしているのか」です。作品によって描かれる「死」を登場人物にどのように投影しているのか、そしてそれが作品間でどのような違いがあるかを分析します。
 今回の記事では、文学作品に基づいて生徒と議論した「死生観」の内容を、授業記録として書きたいと思います。

 IBDP「日本語A」Paper2の試験とは、簡単にいうと試験で与えられる「問い」について、これまで読んできた作品から2つを選択し、その「問い」に合わせた比較小論文を書くという試験です。この試験は準備が大変で、練習を重ねて自分なりのコツをつかんでおく必要があります。
 しかし、この試験の対策を進めることによって、一定の価値観に縛られない「広い視野」を身につけることができると同時に、作品内に直接書かれていない作者の示す意味を探ることで深い思考力がつくと感じています。
 "Paper2"について詳細を知りたい方は、こちらを参考にしていただけたらと思います。

問いを分解する

 どんな論述試験でも同じですが、まずは問われていることを分解して、自分がこの試験で何を書かなければいけないのかを確認します。

 今回の場合は、
① それぞれの作品には「死」がどのように描かれているのか?
② 作者はどのようにして「生きる意味」を伝えようとしているのか?

です。

もう少し細かく分けると、
① それぞれの作品には「死」がどのように描かれているのか?
②「死」と作品の主題にどれぐらい関連があるか?
③ 作者はどのようにして「生きる意味」を伝えようとしているのか?
④「死」と「生きる意味」のつながりに関する比較

になります。

 このように、問いを細分化し、それぞれが評価規準にどれぐらい合っているのかを確認していきました。

理解が及んでいないところは必ずボロが出る

 生徒が書き上げた小論文の全体を何度か目を通して、作品の主題を確認しながら、評価規準にどれぐらい合っているかを探っていきます。
 IBの試験では、答えが用意されているのではなく、自分で論点を組み立てて根拠を示しながら自ら話を展開する必要があります。

 提出された小論文を読み進めていくと、主題とのつながりが曖昧だったり、問いに対する答えが定まっていないところがあります。それについて聞いてみると、やはり生徒自身もその時ははっきりと考えをまとめきれていないということが分かりました。自信のなかったところを指摘されることで、やはりその部分は論点が詰めきれていないことを実感することができます。

「死生観」に関してのディスカッション

 今回ピックアップされた文学作品は、カミュ『異邦人』と吉本ばなな『キッチン』でした。どちらも身内の死をきっかけにその後のストーリーが展開されていくのですが、その死との向き合い方の違いを使って、どのように論点を設定するのかがポイントになります。
 提出された小論文では、結論として「周りの人との関わりがあることで人は死の悲しみを乗り越えて生きる希望を持つことができる」となっていました。その根拠として、2つの作品が丁寧に比較されていたので、それがとても良かったと伝えました。

 1つ気になったのは、カミュ『異邦人』のムルソーについてです。作中で明確に示されることはないのですが、彼が母親の死や自身が起こした殺人事件、彼を取り巻く裁判での証人たちの証言など、カミュが描き出す「世の中の不条理」という主題に触れつつ「死」や「生きる意味」とのつながりが最後まで探りながら進めたところが一つ難しいと感じたポイントでした。ここについては、時間をかけてしっかり議論しました。

 10代でそこまで深く考えて書くというのは難しいかもしれません。しかし、そういったトレーニングを積みながら試験対策をしつつも、自分にとっての「死」や「生き方の意味」について先人から学び、人生を豊かに生きるためのヒントにしてほしいと思います。

 その中でも受講生は、「死というもの自体は悲しいことで、それを取り巻く人にも大きな影響があり、その人たちは、身近な人の死によって人生が変化していくことが学べました。」と話してくれました。
 確かに、私たちが生きるこの世界でも「死」は大きなものを持っています。しかし、必ず誰にでも訪れるものでもあり、ある意味、この世界の中で「絶対的なもの」になっています。だからこそ向き合って考えること、他者と対話することは重要なのだと思います。

 今回添削をする中で、書かれた小論文に対する評価やコメントをなどをさせてもらったわけですが、絶対に避けることができない「死」に対して、私たちはそれとどう向き合うべきなのかを考えさせられました。こうしたディスカッションので、生徒たち自身の考える力を養い、友達との議論の中で視野を広げていくのだということが改めて分かりました。

探究学習を体現する国際バカロレア(IB)

 探究学習についてもっと知りたいと思った時、私はIB教育に出会いました。現在、IGCSEの学習サポートなどもさせていただいていますが、やはり、「答えのない問いにどれだけ迫ることができるか」そして「私たちはこの世界の中でどう生きていくのか」を、学校教育の中で本気で学ぶ必要があると思いました。

 もちろん、完璧な学校というものは存在せず、どんな学校・カリキュラムにだって欠点はあるものです。しかし、少なくとも子どもたちの考える力を伸ばし、個人と社会の幸せを実現できるような大人になれるようサポートできる体制が必要だと思いました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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