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科学と倫理のバランス-『ホモ・デウス-テクノロジーとサピエンスの未来』から学んだこと③ 【Aflevering.122】

 ユヴァル・ノア・ハラリ氏の著書を読み、私の歴史学習の認識は大きく変わりました。
 現在、彼の著書を読んで考えたことをまとめています。そして、その著書の1つである『ホモ・デウス-テクノロジーとサピエンスの未来』(以下、『ホモ・デウス』)について記録をしています。
 そして、この記事では「科学と倫理のバランス」という視点でまとめていきたいと思います。

科学技術の発展によって物理的に豊かになった「現代」

 『サピエンス全史-文明の構造と人類の幸福』(以下、『サピエンス全史』)には、贅沢品は時間が経つといつの間にか私たちの生活に不可欠なものになるという記述がありました。

 確かに電気やインターネットなどは、もはや私たちの生活になくてはならないものとなっています。つまり、かつての贅沢品は私たちの虚構の中に取り込まれ、それが虚構の一部と化して機能するからです。
 世の中が便利になる分だけ地球の資源は限りなく消耗し、環境も悪化していきます。しかし、人類はそれを止めることができません。

 「虚構」に囚われている状態は、思考停止状態と同じです。
だからこそ現実を捉えつつ、今の問題を解決するには何が必要なのかを考える必要があります。私たちは社会が発展した分幸せになったのか、本当に私たちが求めているものは何かを理解しているのかが分からないまま、生態系を破壊し、地球の資源を食い尽くそうとしている、とユヴァル氏が指摘しています。

科学と倫理のバランス

 『サピエンス全史』によると、ヨーロッパが近代に入るまで「未来は発展して良くなる」という考えはなかったそうです。
 しかし、近代に入って科学技術が発展するとともに、人々の世の中に対する考え方が変わりました。近代に入ってから人々は未来に期待するようになるのです。
 そう考えるようになった元が「近代のフィードバックループ」です。
 そして、現代はあらゆることが科学技術によって可能になり、今はまだ不可能なことであっても、いずれ科学が発展すれば可能になるだろうという期待そのものが資本主義やかつての帝国主義などと結びついてきた、とユヴァル氏は述べていました。この考察は、歴史を学ぶ上でとても印象的でした。ご興味を持たれた方は、ぜひこの部分をお読みいただければと思います。

 『ホモ・デウス』では、特に現代において「近代のフィードバックループ」の果てにある遺伝子工学の発展によって、人の存在そのものが変化すると書かれています。
 例えば、遺伝的な病気に苦しんでいる人の遺伝子を書き換えることによって治療が可能になるかもしれません。しかし、私たちが遺伝子などを意のままに組み換えることができるとしたら、どんな問題が起こるのでしょうか。

 遺伝子治療はどこまでを許容できて、遺伝子操作による必要以上に人間の生体を変化させるようなことを禁止するのかどうかを判断する準備をしておかなくてはなりません。

 そして、この倫理的な判断の根源は宗教にあると本書では述べられています。私が日本にいる時はあまり実感がありませんでしたが、人の行動理念は宗教の影響が大きいということがオランダに暮らして分かりました。
 ただ、現在では宗教が倫理的な判断の元となっているものの、私たちの生活の根底には科学技術があります。
 科学と宗教、どちらかだけを見るのではなく、どちらもバランスよく見ることが重要だ思います。
 私たちが生態系や環境などを守りつつ、自分たちの幸福も維持するために、科学による恩恵を受けながらも倫理観を失わないための宗教を大切にしていかないといけないと思いました。

最後に

 私は特定の宗教を持たない環境で育って来ました。
 しかし、オランダで生活する中で人の優しさは宗教の影響があるように感じるようになってきてから、宗教が人の行動理念に影響しているのではないかと考えるようになりました。
 互いの違いを認めつつ、科学と倫理のバランスを取りながら現実を見ることができれば、私たちの未来も明るいものになっていくのではないでしょうか。

最後までお読みいただきありがとうございました。

<参考文献>
・ユヴァル・ノア・ハラリ、柴田裕之 訳『サピエンス全史(上)-文明の構造と人類の幸福』(河出書房、2016)
・ユヴァル・ノア・ハラリ、柴田裕之 訳『サピエンス全史(下)-文明の構造と人類の幸福』(河出書房、2016)・ユヴァル・ノア・ハラリ、柴田裕之 訳『ホモ・デウス(上)-テクノロジーとサピエンスの未来』(河出書房、2018)
・ユヴァル・ノア・ハラリ、柴田裕之 訳『ホモ・デウス(下)-テクノロジーとサピエンスの未来』(河出書房、2018)

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