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高校生「小論文」講座(教育学系):「問と答の距離(大田尭『学力とは何か』)」より【395】

 私は現在、オンライン家庭教師として学習サポートをしています。高校受験と大学受験の小論文やその他「国語・数学・社会」などのレッスンもさせていただいています。今回は、最もキャリアの長い「小論文講座」で行ったレッスンについて紹介をさせていただきます。オンラインレッスンの場合、基本的には1対1でのサポートになります。

「読む」スキルと「考える」材料をしっかり準備してから

 私のこれまでの指導歴や受講してくれた生徒たちからの口コミなどは以下に紹介しています。

 私が小論文指導で大切にしていることは、大きく分けて3つあります。

① 文章や課題の内容を正確に理解できているか(読む)
② 広い視野で自分の考えを捉えられているか(思考・分析)
③ 自分の考えを正確に表現できているか(書く)

 ①と②は一緒に基礎練習をしっかりと積んでいきます。この段階のスキルを十分に鍛えられていない状態で「書く」ことをしても、中身のない満足度の低い文章になってしまいます。第3段階の「書く」ことについては、特に②がしっかりとできるようになってから取り組むようにしています。

文字数は「結果的に」増えてくる指導

 小学生の作文などもレッスンで見ているのですが、保護者から「文字数が少ないような気がするのですが、もう少したくさん書かせたほうが良いのでしょうか。」と聞かれることがあります。
 私の考えとしては、「文字数に合わせて書かせることよりも、書いた内容についてもっと詳しく説明できる部分の文字を増やしていく」ようにサポートしています。その方が子どもたちは、自分の表現が曖昧なところに気づくことができたり、詳細に述べることで文字数が増えるとともに質の高い文章が書けたことに満足できます。

 そのため、今回もまだ担当して日が浅い生徒なので、①と②のステップを重視して取り組みました。

課題文「学力とは何か?」

 4月から3年生になる高校生のレッスンで、東京学芸大学のA類現代教育実践コース学校教育プログラムで出題された小論文に取り組みました。この課題文では、大田尭『学力とは何か』の内容が一部掲載されており、「問と答の距離が非常に短くなっている」ことが教育危機の本質だと書かれています。実際の過去問では設問は2つに分かれており、筆者が上記のように考えた理由を本文に即して説明するものと、筆者が指摘する教育の危機を克服するために学校の教員が持つべき授業観(小学校での実践として)について述べるものがありました。

 今回担当した生徒は、まだ本格的に添削をする③の段階まで進んでいないため、書き上げた文章の添削をするのではなく、課題文を読んで内容について理解がどれぐらいできているか課題文の問題提起に対してどんな論点を設定できるかという最初の2つの段階で話し合うようにしました。また、授業の中で出てきた疑問(PISAの結果、子どもの幸福度など)については、一緒に調べて今後の小論文で活用できるように情報をストックしていきます。

 このように、書く段階に至るまでの「読む・考える」力を鍛えることで、実際に書き始める時の構想がしっかりと立てられるようになります。ここまでができるようになると③の段階に進み、いよいよ「自分の書いた文章が相手に伝わる書き方になっているか」について確認できるようになります。
 「自分の考えがある、伝えたいことがある」という前提で文章が書かれた場合、一緒に見直しをする中で生徒自身が改善すべき表現を自分で見つけやすくなります。大して伝いたいことが思いついておらず、ただつらつらと書いていても進歩はありません。まずは、生徒自身の考え方をアップデートするのが重要だと考えています。

メインテーマ「問と答の距離が極端に短い」

 私が公立高校の教員として社会科を教えていた時、用語を書くことで点数がもらえるというテストに疑問を抱いていました。これは、ある意味で今回小論文で書かれていたテーマに似ていると思いました。
 これまでの教育の捉え方について考えてみると、いわゆる私自身が受けてきた教育の形態では、知識を定着させられていることが適応力の高さや情報処理の能力が高いことの証になるので、それが社会で求められる力の証明として進路につながっていました。
 しかし現代では、その能力はコンピュータが代替しつつあり、むしろ情報を使って新しい価値を生み出すことが求められるようになってきました。当時の私は感覚的なものでしかありませんでしたが、そういった社会の変化を感じつつ、未だに正解主義の中で学び続けるのには限界があるように感じていました。また、当時授業をしている中で、どれだけ説明を工夫したとしても、テスト前の生徒たちがあまりにもつまらなさそうに勉強する様子を見て、「これは考え直すべきなのではないか」と感じたこともきっかけの1つでした。

 例えば、フランス革命期を学んでいて「フランスで1804年に公布された、法の下の平等、私有財産権の不可侵、信仰の自由などを規定し制定されたものは?」→「ナポレオン法典」と答える流れがまだあります。もちろん、最近の定期テストを見てみると少し変わっているところもありますが、まだ知識を答えて点数になるという構造が残っているように思います。

 小論文の視点からすると、「ナポレオン法典には歴史的にどのような歴史的な意味があったのか、現代社会とのつながりはどのようなところにあるかを答えよ」という問題の方が私は重要だと感じます。また、「近代の市民改革によって国家の権力構造がどのように変化したのか」など自分で論点を設定して説明することを科目の中で重視していく方が良いと思います。実際にオランダに暮らすようになってから確信できたことですが、今のインターナショナルスクールの理科・社会のアセスメント(テスト)を見てもそのような問題が中心になっています。
 公立高校で働いていた時も、IB(国際バカロレア)のワークショップなどに参加して新しい視点を取り入れるようにしていました。その中で私はこのような視点で試験を作成する方針を授業で生徒たちに説明し、練習問題などを通して定期テストでも対応できるようにしてきました。

 これは問と答の距離で考えると大きな違いがあることに気づくことができます。ただ用語を答えるだけでは、距離があまりにも短く、内容もつまらないものになります。しかし、生徒の興味・関心によるところもありますが、説明型の問題であれば、少なくとも「考えの組み立て、正確な表現力」という力は鍛えられます。また、この場合だと問と答の距離は遠くなって、その間にある思考する過程はきちんと保証されています。私が最も驚いたのは、この著書は1990年代に書かれたもので、既にそのような考えが90年代から出ていたことでした。教育に変革はこの年代から求められていたもので、やはり変化にはかなり時間を要するということを実感しました。

まとめ「幅広い視野は練習して身につけるもの」

 一般的な大学受験の小論文で出題される課題文は、今のそれぞれの分野で問題になっていることがテーマになっていることがほとんどです。教育以外にも、言語、文学、法律、行政、経済、経営、国際関係、農業などの分野における小論文の添削をしてきましたが、21世紀の予測不可能な社会の変化への対応やグローバルあるいはローカルな問題を私自身も再認識することができます。

 そこで改めて「専門分野を超えた協同」がとても重要なことだと感じます。例えば、過疎地域の公共交通機関について考える際に、行政としてどのような対応が必要かという狭い観点からだけで考えるのではなく、交通手段による環境の負荷の違い(理科・社会)について知ることや環境の変化によって住民にどのような心理的な負担がかかるのか(心理学や社会学)を知るためには、行政以外の視点も必要になってきます。そういった幅広い視野を持つことが小論文では重要なことであり、またそういった力が今の問題を解決へと向かわせるのに求められることだと思います。

 しかし、一般的な日本のカリキュラムで産業化時代(科目毎に細分化された一律の内容を一律の進度で学ぶ)と同じ形態で学んでいる生徒たちは、学校の授業の中でこういった視点が重要だということに気付かされることがなく、未だに正解主義(問題には必ず答えがある)の感覚が抜けないまま小論文を書いたり、社会に出てからもそのような考えで仕事をしてしまうケースが多いと感じます。

 一方で、私が現地で学ぶ子たちとこういったテーマ(教育・法律・環境など)で日本語で話をすると、いろんな意見がどんどん出てきます。私が特に面白いと感じるのは、言語としてあるテーマの文章を読んだ時に、「これは理科の授業で習ったことなんだけど、、、」「この話は確かアート(芸術)の時にこのテーマで話したんだけど、、、」といったように、科目の垣根を超えて考えることができることがよくあります。

 この違いについて、日本の生徒が海外の生徒に劣っているとは感じることは全くありません。日本のカリキュラムで学ぶ生徒に複数の視点で考える「練習が足りない」という、この一点だと思います。これは学習に限らず、社会に出てから現代社会の問題に立ち向かう時には必要な力なので、是非ともこのような視点を取り入れた学習をしてほしいと思います。小論文の授業に慣れてくると、日本の生徒たちも自分の考えを出せるようになっきます。

 以上、私が小論文対策の講座で感じたことをまとめました。授業の中でいろんな問いかけをこちらからするのですが、生徒たちは初めとても困惑するようです。しかし、「考える」ということが段々と楽しいと感じられるようになってくると、生徒たちは自分の考えをたくさん出すようになってきます。
 何かに取り組む時、正解があるというのはある意味でつまらないものです。「自分なりの視点で根拠を明確にして説明する」という自分で答えを探すことの魅力を感じたら、生徒たちの学ぶ姿勢が少しずつ変化してきます。小論文の添削をしていても「この話なら、この前授業で話した○○の内容について書けばよかったです。あー悔しい!」といった、生徒たちの成長したいという意志が感じ取れるようになります。
 これからも、生徒たちの思考力を伸ばすサポートができるように、安心できる環境をこちらが用意して、考えをアウトプットすることを楽しみながら進路を実現できるようにしていきます。

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