著書『公教育をイチから考えよう』学びのレジュメ【323】
読書記録です。内容をレジュメ形式にして、自分が見返せるようにしています。概要をつかむのに役立つと思います。詳しい内容を学びたい方はぜひ本書をご覧ください。新しい視点がたくさん詰まっています。
第1章 公教育ってなんだ?
1 これでも公教育?
・近代法治国家
国が法律に基づいて人間の「発達の権利」を保障
社会の安定を目指すための未来を築き支える若者の育成
・混沌としたグローバル時代に求められる力
産業革命以来の産業化と都市化
→経済発展とテクノロジーの発達(正の側面)
地球環境破壊、異文化・異教徒の対立、国内外での貧富の差(負の側面)
産業化を支える事を目的とした教育への反省
社会に山積する問題を解決できない、ますます悲惨な状況を生み出しかねないと気づくようになった
・市民主導の公教育
子どもが潜在的にもっている力を最大限に引き出されているのだろうか
将来生きていくうえで必要な力を学校で身につけているのだろうか
公教育が未来社会の安寧と発展に貢献できる市民を育てているだろうか
・画一一斉授業から個別化協同化プロジェクト化
集団の同調行動は強調するものの、集団に属する成員の多様な個性を紡ぎ合わせることで生まれる協同の力を子どもたちに体感させることもあまり得意であったとはいえない
・公教育の役割とは?
個性を認められて自分らしく育つ
個性と能力を認められ、それを最大限に発達させる
・仕事とプライベートの時間に区別
趣味や友人との付き合いを通して気分転換をし、ものの見方を豊かにし発送の転換を図る
クリエイティブで批判的な見方を養い、仕事をより意味のあるものにし、仕事でも私的生活においても社会に貢献しながら生きることがオランダ人の理想
・本来の学びとは楽しいもの
楽しいところから創造力と批判的な思考力が生まれる
→テストで測れる能力ばかりに注目されている
・画一一斉授業が最も効率的なのか
個々の子どもの発達段階とニーズに柔軟に応じることができない
→日本の公教育が最小限の投資による効率化によって、塾産業や教育産業を助長させている
・経済成長に悪影響を及ぼす格差を是正するために
税と給付による再分配が必要
再分配の取り組みは子どものいる世帯や若年層に対して行われるべき
→ 世界各地における経済格差で、教育に投資できない貧しい層が増加
国の経済成長を止めることにつながる
税収の再分配、貧困層への教育支援に力を入れるべき
・公教育の荒廃
学歴偏重の社会意識(子どもの人間性尊重の欠如)
次世代教育の営利事業化
・教育の自由の剥奪
「発達の権利」の剥奪
貧困家庭の子どもたちが営利事業化された教育を受けられず、学力競争のスタートラインでハンディキャップを負わされる
・学歴社会と受験競争が日本の公教育の問題点
学校教育を優れた人材の選抜システムとしてみなす
・知識偏重の教育の根源
点数評価を中心とする入試制度の基盤になる教科書制度の問題
教科書の意義は大きいが、それを過度に重視することが問題
・教科書中心主義の問題点
①教科書の内容が正しいものとされる
教科書に書かれているかどうかでテストが作成される
②同年齢集団の平均的な発達を前提としている
(平均的な発達をする子どもは現実にはほとんどいない)
→子どもの発達段階には合わない
③教科書の内容が学者の見解を優先している
理論と実践のあいだの継続的な往還
④教科書への過度な重要視
紙面上の知識が自然や社会の生きた現実から離れる
⑤ヨーロッパ諸国にはない検定
⑥教科書を無償化する負担(学校の教育費にあてるべき)
オランダの教科書は教材群の1つ
学校の備品として置いてあり数年間使用
デジタル教材と組み合わせている
公教育以外に接することができない貧困層の子どもたち
→経済格差を教育格差に直接結びつけない
2 そもそも公教育は何のため?
誰もが教育を受けた経験があるため、自分の教育観の正しさを主張
(広く共通理解可能なものか吟味しない)
→誰もが納得し得るような「教育の本質」が提示されていなかった
何のための教育という共通理解がなかった
・本質洞察による原理の提示
教育の本質とは、よい教育とは
→絶対に正しい、よい教育はないということが大前提
誰もが納得しうる共通了解可能な教育の本質を明らかにすることはできる
・哲学によってたどりついた「自由の相互承認」の原理
欲望・関心相関性
わたしたちは世界の一切を、自分の欲望や関心に応じて認識しているという〝認識の原理〟
→絶対に正しい教育などはない(自分の経験に基づいた見方)
人間的欲望の本質
自由への欲望で争いが絶えない(戦争の原因)
→自由の主張や他者支配ではなく、「自由の相互承認」が必要
相互承認のためのルール(法)を定めることが人類が自由かつ平和に共生できる道(ルソーやヘーゲル)
哲学は物事や問題の「本質」を洞察することで、その問題を力強く乗り越えるための「原理」(考え方)を提示する営み
→ルソーやヘーゲルは、まさに人間の争いの「本質」をわたしたちの「自由」への欲望に見出し、そこからこの問題を克服するための「原理」(「自由の相互承認」の原理)にたどり着いた
・「自由の相互承認」の根底となる法、教育、福祉
「法」
理念的な自由の保障 ・公教育
一人ひとりが「自由」に生きられるための〝力〟を、必ず全員に保障するという使命をもって登場したもの
→明治期の日本は富国強兵と殖産興業のために公教育を導入
(本来はすべての人が自由「生きられることを保障)
①自由の相互承認の感度を育む
(自分の自由だけを主張することは自らの自由を失うことになる)
②公教育という〝制度〟を通して、一人ひとりの対等な「自由」を具現化
(公教育の根本的な使命)
「福祉」
法と教育による自由の保障が行き届かないところに福祉が役割を果たす
「教育」
公教育の本質
教育の機会均等、教養=力能の獲得保障を通し自由の相互承認を実質化
日本の教育において「一般福祉(すべての人に自由としての良き生に資することができる)」の原理が忘れ去られていない か
→教育の根本理念が経済成長におかれているのではないか?
本質(目的)論が理解・共有されてはじめて考えることができる
(そうでなければ、混乱や対立を招きかねない)
実践なき原理は空虚、原理なき実践は盲目(カント)
原理と実践を常に往還
①現代において自由に生きるための力は何か?
②その力はどのようにして育まれるのか?
③自由の相互承認の感動はどうすれば育めるのか?
④一般福祉を実現するための教育行政はどうあるべきか?
・集団統率的な教育
個に対する集団の優位を強要する危険性
・どちらかが絶対的に正しいということはない
教育における束縛・管理と自由・自律の問題は、バランス問題
・自由の相互承認の最も初歩的なルール
暴力には訴えないという原理を守る
第2章 個の違いを認める
3 オランダの公教育「教育の自由」
複数の学校から親と子どもでどこに通うか決める
1917年の憲法改正で教育の自由が確立
・オランダの「教育の自由」
理念の自由、設立の自由、方法の自由
宗教的、非宗教的な価値観(教育理念)に基づいて、一定数の生徒を確保できれば学校を設立でき、クラスや教材や時間割を設定して国からの教育費が支給される
・ヨーロッパで優勢だった画一一斉型の教育
権力者の言いなりになり、企業にとって都合のいい黙々と働く人を育てるという全体主義の教訓
学校共同体の自立と責任
日本には、教員(教育の専門家)と親権者(子どもの発達の権利の代弁者)がともに学校の運営について意見を交換できる場がない
法的権利のある委員会(教員の任免、教材)
・学校毎に異なる実践をしている
教育の自由と自由裁量権が認められているから特徴のある教育ができる
→子どもが転校やクラスを変えることが容易である
・学校が多様な教育を実践
子どもが自分にとってふさわしい学校を選べる
異なる教育的ニーズをもつ子どもたちが最大限の発達を保障される
・「教育の自由」と「学校選択の自由」
入試合格率で学校を選択するのではない
よい教育とは何かを子どもや親や教員に託している
・オルタナティブ教育
産業化と都市化によって伝統的共同体が崩れ、共同体のもつ教育力が低下したから
・近代の画一一斉授業
銀行型教育:一律に一方的に知識を伝達する
→生徒から教師への応答は想定されていない
(ブラジルの教育哲学者パウロ・フレイレ)
・公教育は何のためにあるのか?
国や社会は個人が構成する実体
個々人が最大限の能力を開花させることで、国や社会の持続や発展が可能
・イエナプラン教育
科目ではなく活動で分ける(対話、仕事=自立学習と協働学習、遊び、催し) 子どもが全人的に発達する場としての学校
社会の中で他者と関わり、共感したり協働したりしながら、常に他者との共存の中でアクティブに学ぶ場
→多数の落ちこぼれを生む画一教育のあり方に疑問を抱いていた人々から注目された
・画一一斉授業の最大の問題点
個々の子どもの発達のテンポやニーズに応じられないこと
学年制による平均的なレベルに合わせるのは、一見平等に見えるだけ
放っておいてもわかる子どもに、わざわざやらせているに過ぎない
逆に発達が止まってしまっている子は放置される
・ソ連のヴィゴツキー「最近接発達領域」
大人が少し刺激を与えたり手助けすればできるすぐ「次の段階」のこと
教育者の役割はそこに働きかけることにある
・異年齢学級
子どもたちの発達過程のばらつきは大きいのが当然で、同年齢の子どもたちがどの発達領域についても同じ能力を達成できるとは限らないのと同じ
子どもたちの多様性が増し、子ども同士の相互作用を生み出しやすい
学力面だけでなく、社会性や情動性の面でも、お互いの違いがお互いの発達を刺激したり、協働や共感を促進する
・オランダにおける異学年学級の位置付けと意義
落ちこぼれ問題(1960年代)は、日本でもオランダでも同様に起こった
留年生の問題、自己肯定感と追加教育費の問題
初等教育法の制定(1970年代)
学年ごとの課題ではなく、小学校終了時に到達すべき目標のみを設定
→それまでの過程は各学校に任せる
1981年以降に学年ごとの必修課題は設けられず、すべての子どもが達成すべき最低限の到達目標を中核目標として設定
一人の教員が限られた時間内ですべての子どもたちを指導することはほぼ不可能
→子ども同士の教え合い・学び合いが重要
学力発達以外の社会性の発達
職人・見習い・熟練者の関係を体験する
人間関係の形成準備と考える
学年制の同学年集団でのできる子できない子のレッテルをなくす
誰かがよく知っていたり、逆にあまり知らないことは当たり前
お互いに助け合い補い合うのが当然となり、お互いの強みを尊重し合いながらともに社会に関わっていくことを学ぶ
同質性の注目する学年制から、異質性に注目する異年齢学級
子ども一人ひとりに注目する(平均ではない)
社会の成員は、外見も考え方も性格ももって生まれた得意・不得意も違っていて当然だからお互いを尊重し合う関係
・インクルーシブ教育
優劣をつけて差別するのではなく、共生すること
・民主的シティズンシップ教育
「フレーデザームスホール・プログラム」
権威主義や勝ち負けの文化を問い直す
4 学びの個別化・協同化・プロジェクト化の融合
産業主義社会:言われたことを効率よくやる
→現在は、知識基盤社会(ポスト産業主義社会)
・自ら考え多様な人たちと協同して課題を解決していける力
複雑化する現代社会では、専門分野ばかりに閉じこもってはいられず、多様な職種の人と協力して課題に取り組むことが求められる
現在は職業がなくなったり新しい職業が生まれる
→「学力」は決められた知識・技能をただ蓄積するだけでなく、自ら学び学び続ける力へと質的に転換
・コンテンツ・ベースからコンピテンシー・ベースへ
知識や情報よりも能力
・「キー・コンピテンシー」
相互作用的に道具(言語・知識・情報)を用いる能力
異質な集団で交流する能力、自律的に活動する能力
・「グローバル化」
経済のグローバル化のよる世界最大の貧富の差
(対等性や平等性が失われて、民主主義の深刻な危機)
世界リスク社会としてのグローバル化
(ドイツ社会学者ウルリッヒ・ベック)
→高度産業主義の危険性は保障可能の限界を越えている
グローバルな協調体制と法整備が必要
・文化交流のグローバル化
グローバル社会における教育の本質
世界の人々と協力し合い、相互了解関係を見出し合えること
→学ぶ力としての学力と、自由相互承認の感動
・「アクティブ・ラーニング」とは?
教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称
元々は大学教育の質的転換のためであった
(プロジェクト型の学び、体験学習、フィールドワークやディスカッション)
協働的協調的な学び
子どもが自ら学ぶ選択の余地がない
管理されたり強制されるよりも、自由な学びを手にした時に条件さえ整えば力強く学び成長できる(×放任)
個別化による相互承認の感度
それぞれが違っていて当然という感度
単なる個別学習はインターネットでもできる
画一的なカリキュラムを一斉に指導するのは産業主義時代のもの
(大量生産・大量消費)
→画一一斉指導を中心とした詰め込み教育が合理的とされていた
(上質かつ均質な労働者の育成)
・協同的な学び(子どもたちの学力向上への寄与)
競争より協同
教師のファシリテート力、協同に向かう姿勢の醸成
学習コミュニティ内の安心感、相互信頼感など
・計画的な学び合いと自然発生的な学び合い
それぞれが別のことをしながらも、お互いにおだやかにつながりながら教え合い学び合う
個別化協同化は自然な学びで、一方的な学びはむしろ不自然な学び
・ダルトン(パーカースト)の二大原理「自由と協同」
デューイが協同的な学びを提唱する理由
①子どもたちの本来の欲求を最大限活かすのが教育の役割
(発見、創造、表現、コミュニケーション)
②民主主義の土台を築く
突然のグループワークは逆効果、抵抗感や孤独や寂しさがある
・学級:見ず知らずの者同士が、突然同じ空間に押し込められた空間
人間社会全体から見れば不自然な集まり
見えない集団力学(空気を読み合って生活している)
→突然のグループワークなどは、相互不安や相互嫌悪を高めてしまう
日頃の関係性を作っておく、一人でいる一人で学ぶことも尊重されるべき
・「アクティブ・ラーニング」関連書籍
西川純『すぐわかる!できる!アクティブ・ラーニング』
小林昭文『アクティブラーニング入門-アクティブラーニングが授業と生徒を変える』
杉江修治『協同学習入門-基本の理解と51の工夫』
佐藤学『学校の挑戦-学びの共同体をつくる』
第3章 ホンモノの世界の中で問い学ぶ
5 グローバル時代の教育ヴィジョン
・競争よりも共生、習うよりも学び続ける
みずからの意思や考えを持たず、教師が一方向に伝える知識を可能な限り正確に習得できる生徒が良い子とされていた
知識の詰め込みとその知識を数値で測定する試験によるエリート選抜
→自分の頭で未来や環境についての問題に取り組むよりも、組織の中で慣習と化したやり方を無難に踏襲していく
独創的なアイデアを生み出すのが困難となり変革のエネルギーの喪失
→自分が手の届く範囲の社会の中で無難に自己利益を守る傾向が深刻化
・関連書籍
ピーター・センゲ『学習する学校』
イエナプランのコア・クオリティ
『情緒的インテリジェンス』
内的フォーカス、他者への思いやり、外的フォーカス
個の自立、他者との共存、世界への理解
サークルになって集団で行われる数分の観察
・フェルトハウズ氏の観察サークル
1枚の瓦について議論
仮説を立てるための情報収集(観察)
指導者が先頭に立たない、指示を出さない、禁欲的になり、学習者の思考を活性化させる
情報提供は3分、考えたのは30分 → 考えた時間は無駄になるのか?
分かりきったことはさっさと教えて、その時間に他の勉強をした方がましだと思うのか?
瓦1枚にこれだけの時間を費やすことと、1つでも多くテストに出そうな問題を解く練習をしたほうがよいのか?
グローバル化によるさまざまな情報の中で、少しでも多くの知識を詰め込んでおかなければ時代遅れになるのか?
真偽の入り混じる情報洪水の中で生きた物事の本質に目を向けるために、みずから問いを発し、自分なりの答えを探す方法を身につけておくこととは、どちらが大切なのか?
・日本のサイエンスのあり方への疑問
フェルトハウズ氏の言葉
教師があたかも自分だけが真理を知っているかのようにわかりきった「答え」を子どもたちに繰り返し唱えさせるだけの授業は、学校ごっこをしているに過ぎない
→学ぶことを学ぶ力の発達を支援し、学び続ける態度を養うことが真の意味の教育ではないか
教師から正解を習う教育で育ってきた人々が社会に出てどうなるのか
誰の目にも黒にしか見えないものに対して、権威や社会的地位のある周りにいる人が白と言えば白になってしまう
画一一斉授業と教科書中心によって、自分が見たまま考えたままを言えない文化になる
教科書は自分の周りのホンモノの世界との関わりを奪っていってしまう
・「おしゃべりの刺激-子どものための50の哲学的問い」
オランダの小学校の哲学授業
・人は泥棒でも愛してしまえるのか
・どのドアも開けられない鍵は鍵といえるのか
・誰か他人の未来を盗むことはできるのか
・絶対に変わらないものって何だろう
・白鳥は自分が美しいことを知っているか
→教員の役割は、子どもたちが自分の頭で考えるように刺激すること、人の意見に頼らず、自分で思考する力を自分で育てられるように支えること
属する文化の伝統を尊重することは大切だが、それをあまりに擁護すると、異文化交流や新しい問題に対して子どもたちは対応する力を持たないまま社会に出てしまう
・公教育のまとめ
①測定できる力から、測定できない力へ
②答えの丸暗記から、問いかける姿勢へ
③教師・教科書中心の教室から、生きた経験世界での学びへ
数量化できる学力だけでなく、考える、表現する、理解する、人の話に耳を傾ける、五感を使って情報を集める、自分の考えを見直す、独創的な解決法を探す、他者とともに議論し建設的に集団の利益にかかわる、など
6 学びのプロジェクト化と哲学授業
・評価をどうする?
どのような問いを立て、どのような探究方法で、どのような答えや成果を見出したか
成果物(プレゼンテーション、論文、創作物など)をルーブリック(評価基準表)で評価するときは、子どもとも話し合って調整する必要がある
→評価項目ではないからといって成果物の評価を低くすることはできない
(絶えず改変されるものが評価)
現代社会で自由に生きるための力は、決められたことをどれだけ多量に学び蓄積できるかということ以上に、必要に応じて必要なことを学ぶ力
・哲学とは?
本質洞察に基づく原理の提示
物事や問題の本質を見抜き、その問題はどうすれば最も根本から解き明かせるのか、その原理(考え方)を提示する
絶対の真理ではなく共通了解
「~とは何か」(そもそも) 本質観取(本質洞察)
哲学対話の具体的な方法
①価値観・感受性の交換
人それぞれであることを確認するだけではなく、
その中にある共通了解を見つけること(本質が見出せる)
②本質観取
幸福、懐かしさ、友情、不安、希望
教育、芸術(意味や価値に関する概念)
プラトンの恋、ルソーの良い社会や幸福
ヘーゲルの自由、ハイデガーの人間存在、バタイユのエロティシズム
③共通了解志向型対話
欲望・関心相関性を自覚的にさかのぼり明らかにする
テーゼ(正命題)とアンチテーゼ(反命題)をつき合わせ、
ジンテーゼ(総合命題)へとアウフヘーベン(止揚)する(弁証法)
欲望・関心相関性
わたしたちの知覚や価値観などの認識は、
いつでも必ずわたしたちの欲望・関心の色を帯びている
互いに納得できる共通関心を見出す
互いに納得し合える建設的な第三のアイデアを考え合っていく
状況に応じて具体的に考え合っていく(視野を広げていく)
第4章 明日の公教育へ向けて
・オランダの学校の役割
シチズンシップ教育や協働性の育成
学校をベースとし保護者を巻き込んだ共同体づくりと社会変革
・日本は入口の競争、ヨーロッパは出口
オランダのCITOテストとLVS テスト
テストに対して、日本では序列化と選抜するツールという意識が強い
・子どもたちは双葉
育つ力があるが、土や水や光の世話は必要
・大学の教員養成
大テーマ(教育原理、教育行政、教科教育法など)
小テーマ(デューイの現代教育との関係など)
授業ではなくオフィスアワーでのサポートが中心
半年に3、4回探究についての議論をする
・1960年代以降のオランダの取り組み
教材・教育方法の多様化と現教職員の再研修の仕組みをつくった
国立カリキュラム研究所と教育サポート機関
<文献>
リヒテルズ直子・苫野一徳『公教育をイチから考えよう』(日本評論社、2016)
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