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早起きと夜更かしはどちらのほうが得なのか?そもそも徳なのか、得なのか。

曖昧な、ふんわりしたエッセイのようなものが書きたいような気がしてnoteを始めました石田です、どーも。

みなさんは朝起きてスマホを手に取ったら何を最初に見ますか?

インスタグラムですか?

LINEですか?

日経ビジネスですか?

newspicsですか?

gmailですか?

暗闇の中で、ブルーライトを眩しがりながらスマホを薄目でチェックし始めますか?

まずは、カーテンを開けて、顔を洗って、白湯なり温かい飲み物で胃や腸を温め(石田はモリンガ茶)ベランダに出て、太陽に手をかざし、ストレッチをし、部屋に戻り、軽くヨガと瞑想をし、それからスマホをチェックしますか?

何時に起きますか?

早起きは三文の徳、いや、三文の得、どっちだ、教えませんよ、検索してみてください、ふふふふ

三文か、、、いくらでしょう?それは得なのだろうか?もしかして、夜更かしして思いついたものが世界に価値を生み、自分も豊かになれたのならば、遅寝遅起は三文以上の徳も得もあるのかもしれない。

そんなことにイチイチ突っかかる「突っかかり力」というのも過去にあった本の「鈍感力」のように時代によっては必要なのかもしれません。知りませんが。

何の話してましたっけ?

何時に起きますか?でしたか。その次には何時にご飯を食べますか?起きてからファーストバイト(初飯)までにどれくらいの時間がありますか?

僕は何だか起きてからファーストバイト(初噛)までの間ってすごく頭がクリエイティブな気がしてて、それこそ「朝飯前」ってそういうことなのかな?と。その朝飯前にやる抽象思考というのか、ひらめきというのか、クリエイティブはすごく本質的で価値のあるものがアウトプットされる気がしてるのは石田だけでしょうか?

寝る前と起きたては「変性意識」に入ってると言われてます。潜在意識にアクセスしてると言いますか、人間は脳みそを100%使ってしまうと原子力発電所一機分のエネルギーを使うと言われてます。なので省エネにして3%しか「意識化」では使っておらず、残り97%は「無意識下」として水面下で運用しているようなかんじです。その無意識下にアクセスしてるのが「変性意識状態」で、寝る前と起きたてはその状態である、と。なので、自分が今まで色々インプットしてきた無意識内のプールから、今自分が解決すべき問題とリンクするものを探し出して結びつけ、「イヒっ」体験、と言いますか、ひらめきが起こると。

さて、上記に囲った部分は本当なのか?囲ってみせるとあたかも何かからの引用風に見えますが、これは思いついたままに石田が書いたものです(思いついたままですが石田は信じてます)

僕は様々なメディアでそんなことを知り、それをあたかも科学のような、本当の情報のように認知し、これに限らず、そういって生きる上での実践的なメソッドをいくつか自分のものにしているわけだが、これらは本当のことなのだろうか?

プラセボ効果で本当のように感じてるだけなのか?

それならばそれをこのように発信することは間違った情報を広げているだけなのだろうか?

または、僕の説明を信じて誰かが「イヒっ」と言うのだろうか?

専門家でもない僕がこんな脳科学領域の話を書くものではないのだろうか?

科学者しか専門的なことを伝えるべきではないのか?

果たして、科学者は間違わないのだろうか?

諸説ある、なら、その中の一つ以外間違いなのだろうか?

天動説のような世の常識がくつがえることがあるならば科学とは現時点での最適解、仮説に過ぎない、ということではないか?

それならば、誰しもが間違う可能性があるなら、まぁ別に誰にでも好きに人生の処世術や成功メソッドみたいなのを語る資格があるのではないか?それともちゃんと世界や国が資格や免許を出さないと語ってはいけないのか。

いや、そもそも、何故人は自分の成功メソッドを人に語るのか?

称賛が欲しい?その情報をお金したい?その知を持って社会をよくしたい?

その情報が間違っていたら、社会を悪い方に持っていき、情報が詐欺だった、とし、称賛から軽蔑へと落胆されたとしても、

僕らには語る意味があるのだろうか。



僕は、あると思う。



なんとなくね。


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