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SMよ、人生をひっくり返してくれ③ 女王様に相談だ

人に、怒りをぶつける練習がしたい。
そして、怒りのストッパーとなっている「昔の母の姿」と、それを嫌う「今の自分」を統合させるために、人をいたぶる側に回ってみたい。暴走しないように安全な方法で。

それが実現できるのは、SMのお店しかないのではないか?

だが、自分が女王様になるというイメージは持てない。はて、どうしたものか。やはり餅は餅屋ということで、その道のプロに聞くのが早い。私は藁にもすがるような思いで、知り合いの女王様・TさんにLINEを送った。

半年ぶりくらいの突然の連絡にも関わらず、SMに思い至った経緯を手短に説明すると、すぐにTさんは電話をくれた。
人によってはリアクションに困ってしまうような重めの相談でも、捻挫の手当みたいにさらっと答えてくれるのが、この業界の人たちの素敵なところだと思う。

Tさんの解答は、早かった。
「なるほどー。となると、SM倶楽部っていうよりもSMバーのほうがいいかもしれませんねー」
SMバーとは、お酒を飲むバーのようなところでありながらSMの設備が整っているようで、プレイをしたい人、ただ飲みたい人など、いろいろな目的の人が来るらしかった。
しかも、
「どんなMをいたぶりたいとかが分かれば、合う人がいれば手配しますよ」
とのこと。きっとバーで知り合いを紹介するみたいに、Mの方と引き合わせていただけるのだ。さすがの人脈、なんとありがたい!

しかし、どんな人がいいと聞かれてると、言葉に詰まってしまう。相手のイメージなど、まったく考えたこともなかった。
「こういうのは世界観が大切なんで、想像を膨らませてみてください」
確かこのようなアドバイスをTさんはくれたような気がする。

シンキングタイム10秒。いや、もっと長かったか。

脳内のスクリーンに、明確な映像が映し出された。

目の前にいるのは、善良な感じの専業主婦だ。
小花柄のエプロンに、似たような柄のスリッパ。それもちゃんと使い込んできれいに洗濯してあるの。子どもにも優しくて、もちろん手なんて上げない。ご近所さんへの思いやりもある。彼女のつくるシチューはとても手が込んでいて、それを食べるために旦那さんも会社から早く帰ってくるのだ。
家族の幸せを心から願い、疑うことを知らない、祖母の代から咲き誇るボタンが美しい庭付き一戸建てに住む、幸せそうなお母さん。

ああ、書いていてイヤになるが、そのときの願望だったので続けて書く。

そのお母さんの頭を・・・・・・スリッパでひっぱだきたい。

浮かんでくるセリフは、なぜか敬語だ。
「あらあら、平和ボケされて。何ですか? その弛緩した顔は。見ているだけで、気分が悪くなるんですよ」
Wedgwoodかノリタケのティーカップに入った紅茶を、頭からダラダラとかけるのもいい。

その相手は床に四つ這いで、私はバーのカウンターチェアで足を組んで見下ろしているのだ。

中年男性を上半身裸にして「ネクタイで首を吊れ」と要求するのもいとおかし。実際には吊らなくてよいのだが、躊躇して苦悶する姿が見たい。その際は、ハイヒールのかかとで背中を小突きたい。

私はTさんに、このようなことをざっくり伝えたのだと思う。なにしろ抑圧された精神の奥深くと、現実を行ったり来たりしながら話していたので、細かいことを覚えていないのだ。
ただ、はっきりと言ったのは
「性的な接触をする気はない。特に、自分の肌には一切触れさせたくない」
ということだった。
勝手な理屈なのは百も承知だが、心の中のSが、想像のMを汚らわしいと言っているのだ。ほんとすみません・・・。

ふんふん、と聞いてくれていたTさんは、ある結論に達したようだった。

「それだと、罵倒系ですね」

SMにも系統があって、相手の身体を切ったり縫ったりしちゃうような肉体改造系もあれば、以前私が取材したようなスカトロ系もあるし、その中でも私の症状がはまりそうなのが「罵倒系」ということのようだ。縛って鞭で打つだけがSMじゃないのだ。あ、もしかして正式名称は、罵り系・・・だったかもしれない。まぁ、いずれにしても言葉での蹂躙がベースになるジャンルなのだろう。

また、肉体改造系に行く人の中には、親から世話をしてもらえなかったネグレクトの経験がある人もいるようだった。虐待の経験がSMにつながるケースは、私以外にも少なからずあるのかもしれない。

というわけで、世界観はある程度掘り起こされた。これが実現するかは、女王様のみぞ知る――なのだが、万が一の「そのとき」に備えて、こちらのほうもセッティングを整えておかなければならない。

私はその日から、靴売り場でそれまで履いたことのないピンヒールを手に取ってみたり、罵倒のセリフのための参考資料を探すようになった。

今お気に入りの参考資料は「賭ケグルイ」だ。主人公の蛇喰夢子がギャンブル相手に浴びせる言葉攻めは、理知的かつ人が触れられたくない部分をえぐるようで非常によい。高校か大学のときに一度だけ読んだマゾッホの「毛皮を着たヴィーナス」は、夜の月に照らされる石像と美しい女性だけが記憶にあって、セリフは覚えていない。でも、再読したら何か発見があるかもしれない。

(続く)

カラス雑誌「CROW'S」の制作費や、虐待サバイバーさんに取材しにいくための交通費として、ありがたく使わせていただきます!!