見出し画像

「たった3滴のお茶でもてなす」という茶道の世界をのぞいて来た

京都の宇治でたててもらった抹茶がおいしすぎて、困っている。

それは先月末に旅行で訪れた、お茶と宇治のまち交流館「茶づな」だった。

宇治川のほとりにあり、お茶の歴史を学んだり石臼体験などができる

イートインのような喫茶スペースだったので侮っていたが、泡がスタバのカプチーノのように滑らかで濃密だったのだ。はふーん、とろける。

抹茶セット 650円

驚いてお店の人に「茶せんでたててるんですか?」と聞くと、「はい、そうですが」と当然と言わんばかりの涼しげな京都スマイル。これがお茶所の矜持か。

おいしいものの罪とは、身の回りの「そこまでおいしくないもの」を色褪せさせてしまうことだ。帰宅後、私は自分の点てた抹茶が「そこまでおいしくなかった」ことに気づいてしまった。

仕事の気分転換に我流で飲んでいたのだが、泡が粗い、洗濯機の泡のようにボソボソしている。まぁ、器に抹茶の粉を缶から直接ぶちこみ、100均のミルクフォーマーで泡立てているのだから、当然といえば当然だ。しかも泡が飛び散るものだから台所の流しで立ったまま飲んでいる。京都の皆さまから見たら、未開人だ。

くうっ……。茶せんやちゃんとした茶器さえあれば、私だって自宅で「はふーん体験」ができるはずだ。

というわけで、創業100年になるお茶屋さんの扉を叩いた。

我が家から車で1時間ほどの広島県三原市。ここには戦国時代に毛利元就の息子が建てたという三原城があった。城下町ということで昔は茶道が盛んだったそうだ。だからJRの駅前には今も100年以上も続くお茶屋さんがあったりする。
「お茶の平野園」。改築や増築はしているのだろうが、まるで大きな蔵のような立派な店構えだ。まさにお茶教室に通う着物姿の人が似合う。

緊張したが、意を決して中へ。奥行きのある店内には、たくさんの種類のお茶や急須、かわいい茶菓子などが所せましとディスプレイされている。お店の人は、挙動不審できょろきょろしている私にも、とても親切だった。

私はその人に無礼をわびつつ、切実な想いを伝えた。正直作法はどうでもいい、純粋に飲み物として抹茶を楽しめるようになりたい。だからまずは、ここの抹茶を飲んでみたい。話はそれからだ。私はレジカウンターにあったメニューの「抹茶セット(お菓子つき)400円」を指さした。

すると店員さんはにっこり笑って、「じゃあせっかくなので、上手な人にたててもらいましょうね」とレジ裏の内線電話をかけはじめた。
「専務、今すぐ降りてきてください!」
声を潜めているつもりかもしれないが、よく通る声で誰かを呼びだしている。

まもなくして脇の階段から降りてきたのは、細身の50代くらいの女性。挨拶の笑顔もどこか控えめで、勝手な妄想ではエクセルとか事務仕事が得意そう。後輩の仕事までやってくれそうな感じだ。
「この人上手なんですよ」という店員さんに、「いえいえ、私なんてそんな……」とあくまで謙遜する”専務”。

しかし、その手首は黙っちゃいなかった。

普段は客席から見えない位置で支度されるが、今回はお願いして手元を見学させてもらったのだ。茶器に抹茶の粉を入れ、茶せんを持つと――

手首、高速回転!!
抹茶が激しく波立っている。器の中の乱気流、ハリケーン!!
ああ、既視感がある。チャップリンの「独裁者」だ。
ちょび髭が、床屋でシェービングソープを泡立てているのだ。
ハンガリー舞曲が頭の中で鳴り出した。
言えない、こんなことはいくら何でも。

そうこうしているうちに、奥義は終了した。
さっきまでの激しさはどこへやら、この撹拌は「最初が肝心」なのだとはにかむ専務。
「裏千家はクリーミーがいいので、こうやって」と泡の表面を茶せんでなでなで。その後、くるんと穂先を返してそおっと引き上げる。

はじまりは情熱的に、終わりはジェントルに優しく。一夜限りの大人の恋のようだ。でも、お茶席で相手は一人ではない。ダブルヘッダー、トリプルヘッダーと続くとさすがに腕が痛くなってくるそうだ。

早く飲みたかったので、写真が適当でごめん

どうぞと出してもらい、期待は最高潮に。
いただきますと言おうとして、ちょっとそぐわなさを感じる。
「こういうとき、なんて言ったらいいんですか?」
「頂戴します、ですかね」

では、頂戴します。

一口。とろける夢が、私を妄想の世界に拉致した。
舌から滑り込んでくる泡はとってもクリーミー。やさしいお茶の香りとほんのりした甘さが鼻をくすぐる。だが泡とは別に、液体としてのお茶もしっかりあって2層になっているのだ。

そして、ふたつの境界は溶け合って瀬戸内海のサンセットのよう。空と海の色がだんだん同化しながら美しいグラデーションとなり、水平線があいまいになっていくのだ。

お抹茶すげえ。幻覚さえ見せるのか。
私はすっかりお茶教の信者となり、茶せんや抹茶、煎茶用の急須など9000円近くを買い込んだ。茶せんは国産で5000円くらいのもあった気がするが、とりあえず始めてみたいというレベルなら中国産の80本立(竹のとげとげが80本で構成されている)1200円ぐらいでも充分だそうだ。

調子に乗って2階の高級茶器や古物も見せていただき、「お茶も流派によって色々」的な話を聞く。

専務が参加した小川流という派のお茶会では、出してもらった玉露がたった3滴ずつ。しかも味がわからなくなるため、お茶菓子もないまま先にそれを味わい、締めはただの白湯だったとか。

え、たった3滴って何それ。蛇口の締め忘れ? 砂漠なのそこは??

それは災難でしたねぇ、と口を開こうとして言葉を呑み込んだ。
専務がぱあっと顔を赤らめて、頬を両手で包んだからだ。
「そうしたら玉露のうま味が口の中にぱあああっと広がって、それはそれは……」
再び既視感。これはBTSファンの友人がライブを語るときの顔だ。うっとりがハレーションを起こしている。

摩訶不思議お茶教、一番の信者はこの人かもしれない。

カラス雑誌「CROW'S」の制作費や、虐待サバイバーさんに取材しにいくための交通費として、ありがたく使わせていただきます!!