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SMよ、人生をひっくり返してくれ⑱ 広島のSMバーを訪ねて

また遠くまで来てしまった

自宅から通えるSMバーを探していたら、なかなか見つからず、ついに県境を越えて広島県までやってきてしまった。
高速道路で2時間。バーに行ったらお酒を飲むだろうから、ゲストハウスに泊まることにして、1泊2日のSM修行ツアーだ。

1日目の夜は、広島市内で20年以上営業しているというSMバー「Club Mazan(マザン)」を目指した。
繁華街を歩いていると、店が少し途切れる。暗がりに、突如として大きな金ぴかの仏像が現れた。文字通り、光り輝いて闇に浮いている。
驚いて上を確認すると、仏壇屋さんの古めかしい看板。どうやら仏壇屋さんが閉店後のライトアップとして、店の象徴となっている仏像にだけ照明を当てているようだった。大日如来だろうか。
その先に目をやれば、数軒先にも同じような店。キャバクラやフィリピンパブやお好み焼き屋がひしめく広島の歓楽街にはひどく不釣り合いに見えたが、ある種の人々にとってここが極楽浄土と思えば合点がいく。いやいや、今は深く考えている余裕はない。

「だ・か・ら、その『仏壇通り』の角を右に曲がってほしいんですよー」

電話の向こうでは、マザンの女性スタッフが、ちょっぴりイライラを滲ませながら、それでも丁寧に道案内をしてくれている。そう、私は道に迷っているのだ。あまりにも店にたどり着けないため、電話をかけて遠隔ナビをしてもらっている最中だったのだ。

どうやらSMバーというものは雑居ビルの上の階にあることが多いらしく、スマホの地図アプリだけでは「だいたいこの辺」というところまでしかたどり着けない。
広島の名だたる繁華街のひとつである薬研堀通り界隈は、ビルの隅々までびっしりお店が詰まっていて、建物の前まで来られても、壁面の小さな突き出し看板や階段手前のパネルだけでは目的の店を探しにくいのだ。

後から調べたら、広島は明治から昭和の初めにかけては全国でも有名な仏壇の生産地だったらしい。仏壇通りという呼び名は、老舗の仏壇専門店がたくさんあった名残りだそうな。

エロスとタナトスがごった煮になったこの街で、私は生まれ変わる。きっと。そのために愛媛からわざわざ車を飛ばして、ここまでやって来たのだ。

どこか懐かしい雰囲気の店

根気強いスタッフさんのおかげで夜9時ごろようやく店に到着。
黒くて重い扉を開けると――、カウンターの内側に座っていた女性と真っ先に目が合う。
「あー! さっきの?」
ハキハキした口調は、電話口のあの人だ。艶のある黒髪ストレートがきゅっとポニーテールに束ねられ、それが背中のあたりまでストンと垂れている。立ち上がると背は高く、太いアイラインを引いた目が丸く見開かれた。歳は30 代後半から40代前半くらいか、ベテランのS嬢様かもしれない。

私は先ほどのお礼を伝えて、店内をぐるりと見渡した。
マザンという店名は、Sの語源となったサド伯爵が住んでいた南フランスの小さな町と同じ名前だ。
確かに壁は一面レンガで覆われていて、ところどころにフランス窓のようなショーウインドウがある(塞がれているため外は見えない)。
だが、12、3席ぐらいのコの字型のカウンターがあるあたりで、一気に昭和のスナック感が増す。カウンターの内側、つまりスタッフさんのいるスペースにはなぜか革のソファがこちらを向く形で置かれていた。天井のレールからは5、6セットの縄がぶら下がっていていつでも人を吊るせるようになっている。壁には亀甲縛りのようなトルソーと鞭。
そして後ろを振り替えれば、テーブル席の奥に洋楽レコードの山。それもかなりの年代ものだ。

ふざけているのか、真面目なのかわからない。一言で表すならカオスだった。いろんな角度の「素敵」を詰め込んで発酵させた結果、「仔牛のロースト オタフクソース風味」のような独特の味を醸し出している。

すでに常連らしき3、4組のお客さんが来ていて、お酒を飲みながら談笑している。
どこに腰を落ち着けようか迷っていると、
「あらー、はじめて? まぁここに座って」
と、奥から市場の競りのようなダミ声が飛んできた。
この店のマスターらしいスキンヘッドのおじさんだった。マスターは、ずんずんとフロアを歩いてきて、カウンターの角にどっかりと腰を下ろした。自分の隣に座れという意味だろう。飛び込みで来た一見の客が心細くならないよう、しばらく傍にいてくれるということなのかもしれない。
私は素直に従った。シニアというにはまだギラギラした現役感がある。一見悪人顔だけど人のよさそうな笑顔は、俳優の六平直政に似ていた。
「ツバキちゃん、なんか作ってあげて」
と、先ほどのS嬢様にマスターが声をかけ、私はコークハイを注文した。女性はフリータイム2000円。男性は4000円だ。

ヒールレスラーの苦悩と鞭DIY社長

一口飲んで気を落ち着けると、マスターが話しかけてきた。
「でまた、お姉さんはどうしてウチに?」
この店では、女性は「お姉さん」、男性は「お兄さん」と一括して呼ぶのが習わしのようだ。プライバシーを守るためだろう。
「はい、いろいろあって人に怒れない体質になってしまいまして。その攻撃性……みたいなものをぶつける練習としてSMをやりはじめたんです。Sの初心者というか、まだ1、2回ですけど。家の近くにそういった場所がないので、思い切って広島まで足を延ばしてみました」
マスターはふんふんとか、へーと相槌を打った後、にこりとして言った。
「あんな、そういうときは『怒る』んでなくて『叱る』んよ。Mのもんが『もっと叱ってくださーい』って頼みこんでくるぐらいに躾けるんじゃ」
一方的に感情をぶつけてはいけないということだろう。私はちょっとうなだれた。
「そういうものなんですかね。怒ることも上手にできないから、まだそういう使い分けもわからなくて……」
すると、左隣で飲んでいた人懐っこそうな男性が「あ、俺もわかるかも」と会話に入ってきた。
「俺ずっとプロレスのヒールやってるんですけど、マイクで相手を罵倒できないっていうか。すごく苦手なんすよね」
連れの女性曰く、彼は他県で社会人プロレスをやっているとのこと。
YouTube動画を見せてもらったら、強面の覆面マスクをつけているが動きがときどき礼儀正しい。悪役を演じているにも関わらず遠慮してしまうということは、普段の生活でもかなり他人に気を遣っているのかもしれない。

「いやはや、ここはいろんな人が来るからね」
女性の一人客が珍しいのか、県内では「人類みなカープファン」という隣人愛が育まれるのか、マスターを挟んで右隣の男性二人連れも会話に入ってくる。
彼らは同じ大学の先輩と後輩で、先輩は現在会社経営、後輩は市役所に勤務しているが、もう15年もここに通っているのだそう。
すでにちょっと上機嫌の先輩が、おかしそうにクククと喉を鳴らす。
「あそこの社長なんか、自分が経営している会社の事務所で自作の鞭つくってるんですよ」
気づけばカウンターの中では、還暦は超えていそうな小ぎれいな男性が鞭を振り上げ、疾風のような速さで白いワンピーズの女の子を四方八方に打ちさばいていた。不自然に広いカウンター内のスぺースは、プレイをするためにあったのだ。
ヒュンヒュン、ビシビシ!と凍てつく音がする。率直に痛そうだ。男性はテニスのスカッシュをする悪魔のような、爽快さとサディクティックさが溶け合ったような笑みを浮かべている。女の子は20代くらいに見えるが――どこで出会ったのだろう。

いったい何が始まるのだ

ちょっとした社会科見学のつもり。さくっと1時間程度で切り上げるつもりでいたが、客の情報量が多すぎて脳のCPUが追い付かない。

私はここで何を学び、何を得て帰ればよいのだろうか。こういうエンタメ系のバーで学びなんて必要ないのかもしれないが、こちとら自宅の島からわざわざ泊りがけで来ているのだ。貪欲になってしかるべきである。

そんな私の心情を察知したわけではないだろうが、ふいにマスターが高らかに宣言した。
「よっしゃ、今日はボクがぶたれよう! お姉さんになら鞭で叩かれてもええわ。なんとなくピンと来た。誰でもええってわけやない、特別じゃけんね」
私の練習台になってくれるということらしい。巻き添えを喰らう形で、レスラー兄さんも私に鞭でぶたれることになった。

「でも、その前に――」
壁の時計を見て、すくっと立ち上がるマスター。
「ツバキちゃん、そろそろ始めようか」
ツバキさんともう一人別の女性スタッフも何やら準備を始め、プレイスペースが慌ただしくなった。何を始めるというのか?

マスターは、私とレスラー兄さんの連れの女性に笑いかける。
「お姉さんたちも最後に参加してもらうから、とりあえず見ててね」

(続く)

カラス雑誌「CROW'S」の制作費や、虐待サバイバーさんに取材しにいくための交通費として、ありがたく使わせていただきます!!