見出し画像

SMよ、人生をひっくり返してくれ⑭ SM体験で日常は変わったか

気弱な飲食店員から見た客

4月下旬に都内でSMバーへのデビューを果たし、GW中は愛媛の島に帰って取材や原稿書きをしながら、何日かは夫の店の手伝いをしていた。夫は野生イノシシを使ったジビエのラーメン店を経営している。この島での縄は、M男さんを縛るためではなく、イノシシを捉えるためにあるのだ。

日常が戻ってきた。

さて、SMバーで他人様をいたぶることにより、私の中の「怒れない病」は治癒したのだろうか。誰かから納得のいかない仕打ちをされたときに、ノン!と表明することはできるのだろうか。自分の中の攻撃性を暴走させないままで。

結果は、わずかにYESだった。

ラーメン店で接客をしていたときのことだ。今年のGWは喪が明けたように観光客が多く、中国やアジアからの団体客もいて、店の外に常に行列ができるほど混雑していた。
島の穏やかな自然が浄化してくれるのか、だいたいのお客さんは人当たりのいい紳士淑女が多い。しかし、お客さんの総数が増えれば、つっけんどんだったり失礼な人もいる。

何を言ってもこちらを見ず、「ああ?」とか「おう」しか言わない定年退職後らしきオジサンや、前にまだ人が待っているのに「ウチの子がお腹を空かしてるんですよ!」と割り込んで来ようとするお母さん、「コショウの瓶を振ってもコショウが出てこない」とガンガンとカウンターに瓶を叩きつけ、天板をへこませて去っていった男性二人連れ。

彼らはただの空腹やその他の理由で、腹の虫の居所が悪かったのかもしれない。だがそれまでの私は、こういう不機嫌な人たちに遭遇すると頭が真っ白になり、「ああ、一刻も早くこの火を消さなくてはならない」と焦っていた。消さないと大変なことになるぞという恐怖にかられるのだ。
例えるならば、バトルゲームの手強いラスボスが第二形態に進化する前兆を、為す術もなく眺めている感じに近い。きっとこの後で来るのは、想像を絶するスゴい攻撃だ。死んじゃうかも。

今、書いていて気付いたけど、これほどまでに恐れるのは、子どものころ、暴力を受ける予兆が親の不機嫌にあったからだろう。母が唇をかみしめると、1、2アクション後には手が飛んできていた。
私は今でも、自分と一緒にいる人がつまらなそうだったり、イライラしているように見えると、呼吸が苦しくなったり食べ物が飲み込めなくなったりする。それが自分の中で大切な人であればあるほど。頭でなく、身体が反応してしまうのだ。もちろん傍目にはバレないように楽しそうにしてますけど。三つ子の魂百までって本当なんですね、奥さん。

ラーメンだけど、麺じゃない、鞭なんだ

さて、普段はこのような瀕死メンタルでなんとか生きているが、SMを経験した私は違った。
お客さんと接しながら、自分の心の中に「架空の女王様」がいるのを発見したのだ。その女王様は漆黒のボンテ―ジ姿で片手に一本鞭を持ち、余裕の笑みをたたえている。お客さん一人ひとりを見定めて、

「あんたはいい面構えをしているねぇ」(穂先でさわさわ)
「お前には答える口がないのかい!?」(びしっ)
など、飴と鞭をくれているのだ。
そして時には脳内のお客様も、
「はうん♡」
などと甘い声を上げたりする。なんだかわいいじゃないか。(妄想です)

基本的にウチのラーメンを楽しみに来てくれるお客さんの存在は、誰であってもうれしいし、店を出る時には笑顔になっていてほしい。だから、この脳内女王様の言動は・・・なんていうかもっと別のエンジンが動かしているようだった。

ただちょっと驚いたのは、心に鞭を持っているとそれだけで相手の態度が軟化するのだ。会計のとき、無愛想だったオジサンがちょっと頭を下げたりする。知らずにこちらの目つきや身のこなしが変化しているのだろうか。

一番効果を感じたのは、これも会計時のことなのだが、ある男性客が私が渡したはずの伝票を「え、なんか伝票消えちゃったんだけど~」と言ってきたときのことだ。
髪が少し長く、ラフな服装。ちょっとノリの軽い兄ちゃんといった風貌で、別段怒っているとかではなかったと思う。しかしその言葉尻と表情からは「そっちのせいでしょ」というニュアンスがとれなくもなかった。

これまでの私なら「ああ、自分が渡しそびれたか何かで粗相をしたのだろう」とうろたえ、状況を確かめもせず脊髄反射的に「すみません!」を連呼していた。そして「またやってしまった。だから自分はアルバイト的なこともできない欠陥品なんだ」と自分を責めるのだ。

しかし、この日は心に女王様がいた。
女王様は男性客に「え~」と言われてもびくともしない。女王様は誰の不祥事かということは特に気になさらないようで、

「ああ、そうですか」

と・・・、気づけば、私の唇が実際にそう動いて発言していた。

吉村氏に往復ビンタをしたときと同じ、女王様に身体が乗っ取られたのだ。伝票がなくても、別に大したことではない。So what? 何を食べたかお客自身に聞いてレジを打てばいいじゃないか。
なんの感情も沸かず、自分でも驚くほど淡々としていた。凪いだ海のようだった。

お客の兄ちゃんと目が合って、時間が止まった。
心なしか、その目は掴む場所を失って、きょとんとしているように見えた。

そして会計後、店を出ようとした兄ちゃんはわざわざ戻ってきて
「あ、すんません。俺のポケットに入ってました」
と謝ってくれたのだ。テーブルに出した車の鍵でもズボンのポケットに入れるときに、一緒に伝票も入れてしまったのだろう。

これが、女王様を心に宿した功績かどうかはわからない。単にこの兄ちゃんがいい人だったという可能性もある。
いずれにしても自分の心が「自責の嵐」に吹き飛ばされなかったことが、ただただうれしかった。

怒り発散の実験 ネイチャー編

GW中は、小さな実験もやってみた。
M男さんのお尻に怒りをぶつけられるようになった今、「対人間でなくても怒りを発散させられるのでないか?」と思ったからだ。

ちょうどむしゃくしゃする出来事があり、私は近所の山に入った。
林道の脇に積み重なった倒木があり、そのうちの何本かは私の二の腕くらいの太さだ。乾燥して脆くなっているし、これなら折れるんじゃないか。

私は自分の身長ほどの長さのそれを思い切り振り上げて、アスファルトに打ち付けた。聞く相手がいなかったので、声は出さなかった。

・・・・・。

ブンッ、
ベキッ!!

肩に固い衝撃が響いて、木は真っ二つに折れた。
しかしSMで鞭を振ったときのような爽快感はない。残っているのは、木が地面に当たったときの鈍くて重い響きと、繊維をむき出しにした倒木の痛々しい割れ目だけ。
ぶつけたはずの苛立ちを鏡のように可視化されて、腹の中のドロドロを「やっぱりお前汚いな」と見せつけられたようで、かえってイライラが増す。二度、三度続けてみるとさらに腹立たしさが増幅され、まさに苛立ちのエコーチェンバー状態になってしまった。

なぜか?

たぶん、破壊が破壊のまま残るからだと思う。
当然のことながら、植物が「はうーん♡」などあえぐこともなく、喜びに昇華されないからだ。前回M男さんを絶賛したのはこの点である。M男さんは私の攻撃性を快楽に変換してくれるんだからすごい。怒りの空気清浄機なのだ。

帰り際、大きな岩にキックしてみても、足が痛くなっただけで憂さは晴れなかった。何年も前、ストレス発散のために皿を割ることができるバーをテレビで見たことがあったが、あれは私には向いてないかもしれない。

SM、あと少し続けてみようかな。そして鞭・・・本気で買おうかしら。

そう思っていた矢先、新たな人物から連絡が来た。
今度は、関西在住の子持ち美人妻Hちゃん。Hちゃんも私と同じ虐待経験者だった。

(続く)

カラス雑誌「CROW'S」の制作費や、虐待サバイバーさんに取材しにいくための交通費として、ありがたく使わせていただきます!!