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SMよ、人生をひっくり返してくれ⑲ 女性の肌に触れるという冒険

壁の時計を見て、すくっと立ち上がるマスター。
「ツバキちゃん、そろそろ始めようか」

隣に座っていた”先輩”曰く、ここ広島のSMバー「Club Mazan(マザン)」では、営業時間中に何度かショータイムがあるそうだ。それはお客参加型のパフォーマンスで、楽しみにしている常連さんも多いようす。

ツバキさんは、カウンターの内側に並べてあるソファーにゆったりと腰を下ろした。客席から見るとちょうど舞台のようだ。
いったい何が起きるのだろう。
お尻が見えそうなデニムのショートパンツから、誘うように長い脚が伸びている。しかもむちむちの白い生脚。見た目のご年齢の割には張りがあって、すごく手入れしているんだと思う。「商品です」という感じの威風堂々とした太ももだった。
じっと見ていると危ない、吸い込まれる、オーマイガー!

情緒不安定になる私の前で、マスターはお客たちにテキパキと指示を出していく。
「じゃー、お兄さんとお兄さんは鞭で叩く役ね」
「あなたはその写真を撮ってあげてね」

お人よしそうなレスラー兄さんにも、役が回ってきた。
「ええと、お兄さんは・・・ピンクローターの役・・・大丈夫かな?」
と言いながらもマスターがお伺いを立てたのは、隣に座っていた連れの女性だった。どうやらツバキさんの秘密の園に性具をあてるという任務らしい。もちろんショートパンツの上から、ではあるが。
「えー、女の人にするならヤダな。男の人ならいいけど」
そうか、二人は恋人同士だったのか。マスターはうんうんと労わるように相槌を打ち、即刻
「じゃあ、やめとこうね」
と、指令を取り下げ、別の客に振り替えた。
この辺の機敏な対応は鮮やかだった。SM趣味の常連もデートの余興として訪れたカップルも、さまざまな事情の客が気持ちよく過ごせるのは、マスターの細やかな配慮があるからなのだろう。

まさかのラッキーチャンスに目尻を下げていたレスラー兄さんも、恋人の顔が曇るのを見て「じゃあ仕方ないや」と、借りて来た猫のようにおとなしくなった。

配役は、決まった。
「はーい、じゃあ始めますよ~」
マスターが声を上げ、音楽が大ボリュームで鳴り響いた。

あっけらかんとした破廉恥プログラム

まずはマスターの独壇場。紅に染まった縄でテンポよくツバキさんを縛り上げていく。ただでさえセクシーな丸出し太ももが片方ギリギリと吊られて、大胆な開脚状態となった。
しかしそれは、官能映画のようなしっとり&ねっとりとした湿り気はなく、引越しのサカイのような手際の良さだ。

「はいー、鞭の人来てくださーい」
マスターのだみ声が高らかに上がると、先ほど指名を受けた男性客がカウンターから2人ほど入ってきてバラ鞭を受け取り、ツバキさんを数回ぺしぺしと叩く。フォームなんてお構いなしのお遊び的な叩き方だが、お客さんは鼻の下を伸ばしてうれしそうだ。
「じゃ、ここで写真撮りましょー。お二人ともヤらしい顔してますねぇ」
号令と共に、スマホで互いの写真を撮る。

一見、破廉恥なことをしているのかもしれないが、場は妙にあっけらかんとして湿度がない。フォトセッションを入れることで客自身も「これは余興なのだ」という理性が働き、邪な心がスタッフの女性に向かなくなるのかもしれない。
まるでプールでビート板を持った小学生を指導するような、のどかでアットホームな雰囲気だけど、ここにはフェチ要素・エンタメ・安全性を両立するための英知が凝縮されているに違いない。

S嬢の胸を触りながら、ローマの石畳を敷くのだ

その他、SM的アクション、性具などを経て、最後にレスラーの彼女さんと私の出番だ。
「はーい、ツバキちゃんのおっぱいを触ってあげてください」
え、え、えええええ!? ちょっと緊張しすぎて何言われたか覚えていないが、そんな趣旨の指令だったと思う。

・・・わからん。どのような目的のもと、どのような意義を見出して、初対面の女人の胸に触れればよいのだろう。男性には意義があるのかもしれないが私にはない。むしろ触るのが怖い。

そんなとき決まって瞼に浮かぶのは、ウチの母のボディコン姿だ。
はるか遠い80年代。幼少期の記憶にあるのは、ショッキングピンクに金ボタンのバブリーなスーツに、同じピンクのルージュとマニキュア。出かけるときは黒いサングラスも追加される。当時流行っていたテレビドラマ「危ない刑事」の浅野温子に憧れていたらしい。
そんなファッションに負けないくらい、キレイな人だった。母は。

でもね、そういうキレイな生き物は、近づくと容赦なく牙を剥き、肉を引き裂いてくるんだ。たとえ我が娘であっても。

母の肌と私の肌が接触するとき、そこには儚い安堵があるときもあれば、強烈な憎しみと絶望と悲しみが発生するときもある。愛撫と暴力のコントラストだ。
それはロシアンルーレットのように、私のコントロールの管轄外で起きる。

もう30年も前の出来事なのに、女の人は今でもやっぱり少し怖い。だから、なるべくならその身体には触れたくない。生肌なんてもってのほかだ。

昔、伊香保だったか洒落で入った温泉街のストリップ劇場で、全裸のフィリピン姉さんが私の腕をむんずと掴み「触っていいよー」と花園に直タッチさせられたときは、衝撃で気絶するかと思った。
そんな事情を察知したのか、ライターの先輩(女性)がハグの練習をしてくれたこともある。たしか大阪の通天閣かどこかで飲んで、別れるときだったか。ご本人は覚えてないかもしれないけど、路上で、傷つかない距離感を意識してくれて、そっと腕を回してくれて、あれはうれしかったなぁ。
島に移住してからも、そこでできた親友が何度か同様の練習をさせてくれた。

そんなわけで、女性へのボディタッチは、もう何十年もリハビリ中なのだ。それをあの母乳の産地、胸、バスト、OPPAIですってぇぇ~!? 

しかし、途中下車はできない。だって、弱気な人生をひっくり返すために、私ははるばる広島までやってきたのだから。

私とレスラーの彼女さんは、ツバキさんの両脇に座るかたちで、それぞれの側の胸に手を伸ばした。私は一呼吸置くと、恐る恐る、半ばブラジャーが露出したようなツバキさんの膨らみに触れた。そこは想像以上に硬かった。ブラジャーがしっかりした作りなのだろう。

硬くて助かった。女性の生々しさに触れなくてすんだような気がして。
ツバキさんが余裕の笑みで「もっと触ってもいいですよ」と言ってくれた記憶がある。
助かった余力で、少し指先を動かした。肌の部分にまで到達する勇気は持てなった。
そして当然のことながら、急にツバキさんからビンタされたりつねられたりされる等の恐ろしいことは起きなかった。

女性=安全。それを体感するための一ミクロン単位の小さな一歩。
死ぬまでに何度これを積み重ねたら、身体に染みついた怯えは拭い去れるのだろうか。
しかし、ローマの道は一日にしてならず。ここは1枚の石畳が心のハッピーロードに敷かれたことを喜ぶべきだろう。

息も絶え絶えにミッション完了。
彼女さんは「あくまで付き合いで触りますね」というような、控えめな触れ方でささっと席に戻っていった。役割を終えた我々に客席から温かい拍手が沸き、ショータイムは終了したのだった。

そしていよいよ、私が鞭をふるうときがやってきた。

(続く)

カラス雑誌「CROW'S」の制作費や、虐待サバイバーさんに取材しにいくための交通費として、ありがたく使わせていただきます!!