【短編小説】トランクスが盗まれた日

 トランクスが減っていることに気づいたのは、ほんの数日前のことだ。

 うちは母さんが洗濯物を畳んで部屋に置いてくれていて、平日は学校から帰宅してから自分で衣装ケースにしまっている。

 その日もベッドの上に洗濯物が置かれていたのだが、尿意に襲われていた俺は鞄を置いてからすぐトイレに向かった。無事用を足して部屋に戻った俺は、そこで違和感を覚えた。

 しばらく室内を見渡して違和感の正体を探して、俺はトランクスが減っていることに気づいたのだ。

 鞄を置きに入ったときは紺色のトランクスが上に置かれていた。しかしトイレから戻ってきたとき上に置いてあったのは、黒色のトランクスだった。

 正直、色が違わなければ気づかなかっただろう。俺は下着や靴下の類には無頓着で、数すら正確に把握していないから。

 それはともかく。違和感の正体を暴いた俺は、別の問題に頭を悩まされることとなった。ズバリ、トランクスを持ち出した犯人だ。しかも面倒なことに、犯人はほぼ一人に限られている。

この時間家にいるのは俺を除けば母さん、そして義妹の佳織かおりの二人だけ。母さんは絶対にありえないし、あったとして一度部屋に置いておく理由がない。となると残るのは佳織だけなのだが……こっちも俺のトランクスを持ち出す理由がなかった。しかし母さんとの二択なら、佳織のほうがまだ可能性がある。
 
 佳織に限って、義理とはいえ兄に恋心を抱いたなんてことはないだろう。そう考えるが、絶対にありえないと断言することはできなかった。
 
 誤解してほしくないが、べつに自惚れているわけではない。ただ、人の心に絶対はないと考えているだけだ。
 
 どう話しかけたらいいものか。この数日、俺は頭を悩ませ続けた。
 
 
そして金曜日。一週間最後の授業を終え帰宅した俺は、部屋着に着替えてベッドに寝転がっていた。
 
「はぁ……どうしたものか」
 
 ぼんやりと天井を眺めながらぼそりとつぶやく。
 
 なかったことにして今まで通りに接し続けるのが一番楽な選択だろうが、どうやらそれができるほど俺は能天気な思考をしていなかった。とはいえ確認する度胸も持てずにいる。なんという体たらくだろうか。
 
 いっそ外部犯ならここまで悩まされることはなかっただろう。
 
 ――コンコン。
 
 ひとり悶々としていると、突然ドアをノックされた。
 
 もう一度ため息をついてからのっそりと起き上がってドアを開けに向かう。
 
「よ。入ってもいい?」
 
 部屋を訪ねてきたのは、まさしく渦中の人物(俺の頭の中では)である佳織だった。
 
 白のスウェットに青っぽいグレーのショートパンツというラフな格好をした佳織は、ジッとまっすぐに俺の顔を見つめてくる。
 
 一瞬戸惑いながらも平静を装って「あぁ」と答えると、佳織は俺の横を通り過ぎて我が物顔でベッドに腰かけた。その行動を見て思わず苦笑してしまう。
 
 二年前の、互いの親が再婚して一緒に暮らすことになったばかりのころの佳織は、それなりに警戒心が強く部屋に招くことも訪ねてくることもなかった。それが今となってはすっかり打ち解けて、マンガを勝手に持ち出すくらい無遠慮になっている。
 
 不満はない。むしろ家族として認められているのだと思えてうれしい。
 
「なんか用か? 最近マンガ買ってないから新しいのはないぞ」
 
「マンガじゃないよ。ここ最近兄ちゃんがそっけないから、どうしたんだろうって思って聞きにきたの」
 
「……」
 
 なるべく普段通りに接していたつもりだったが、どうやら気まずくなっていたのを勘づかれていたらようだ。
 
「私、なにかした? そうなら謝るけど」
 
「あー、いや……」
 
 はたして、今トランクスについて尋ねるべきか否か。もしアンタッチャブルな答えが返ってきたら、俺はちゃんと受け止められる気がしない。やっぱり適当に流したほうが……。
 
 あれやこれやと考えて、ふと俺はかぶりを振る。
 
 せっかく佳織のほうから来てくれたんだ、日和っている場合じゃない。
 
 一呼吸おいて、俺は意を決して佳織に尋ねた。
 
「違ってたら悪いんだが……俺のトランクスを持っていってるのは佳織か?」
 
「……」
 
 俺の問いに、佳織はまるで時間が止まったのかと錯覚するほどの硬直を見せた。
 
 明らかな動揺。意図は不明だが、どうやら俺のトランクスを持ち出したのは佳織で間違いなさそうだ。
 
 しばらくして佳織はへにゃっと笑って「バレちゃったかあ」と呑気な声を発した。
 
「バレないように気をつけてたんだけどなあ」
 
「やっぱりか……。ちなみにだが、どうしてだ?」
 
 この返答によっては、俺と佳織の関係は大きく変わってしまう。
 
 速まる心臓の鼓動をうるさく思いながら、俺は佳織の答えを待つ。
 
「どうして、かあ。それはねー」
 
 佳織はおもむろに立ち上がると、ショートパンツに手を伸ばす。正面で結んである紐をほどき、ウエスト部分に手をかける。そして焦らすかのようにゆっくりとショートパンツを下ろし始める。
 
 ま、まさか本当に“そういうこと”なのか⁉ そうだとしても急に脱ぎだすとかあるか⁉
 
 あまりに想定外な香りの行動に動揺して硬直していると、ショートパンツの奥に隠されたものが姿を覗かせた。
 
「……へ?」
 
 そこにあったのは意匠の凝った女性ものの下着――などではなく、見覚えのある紺色のトランクスだった。
 
「実はパクって穿いてましたー。前マンガ借りに来たとき畳んであるの見つけて、興味本位で穿いてみたらすっごいよくってさー」
 
 情報量の多さに混乱している俺を放置して、佳織は平然とした様子で語り始める。
 
「普段穿いてるのより開放的で、なんていうかすごいリラックスできるの。この開放感を味わったらもとには戻れないよ……」
 
「だ、だからって俺のを盗むのはどうかと思うぞ?」
 
「だってお母さんに知られたら恥ずかしいじゃん。それに女性用調べたら微妙に高いし」
 
 兄のトランクスを穿くことにはなにも思わないのに、母さんに自分がトランクスを穿いていることを知られるのは恥ずかしいのか。どうなってんだ羞恥心は。
 
 佳織のズレた感覚に内心で突っ込みながらも、俺はホッと安堵した。俺が危惧していた展開にならなくて、本当によかった。
 
「兄ちゃんお願い、これからもトランクス穿かせて?」
 
 佳織は手を合わせて、あざとく上目遣いでこちらを見てくる。
 
 普通、年頃の女子なら男のパンツを触るのを嫌がるだろうに。本当にズレてんなあ。
 
「新しく自分用を買ってくれとは思うが……、まあいいよ。べつに足りなくなってるわけじゃないし」
 
「へへ、ありがとう兄ちゃん」
 
 佳織は清々しい笑顔を見せてから、「じゃあねー」と呑気な声を残して部屋を出ていった。
 
 今回の件は、良好な兄妹関係が築けている証拠として解釈しておこう。
 

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