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誰にも認められなくても生き抜く方法

 世間にどんなに認められまいが自身の志を貫くことで、社会の新しい可能性を広げてきた人たちがいます。

 ゴッホは生前に売れた作品は1作品とも言われてますし、便器にサインを書いただけで展示しようとしたマルセル・デュシャンの『泉』は猛烈な批判をくらい、展示すらさせてもらえませんでした。

 しかし、ゴッホは今では名だたる作家となっていますし、デュシャンはアートとは何かを考えさせる革新を起こした人として知られています。

 こうした誰にも認められなくても自らの道を力強く進んでいけるような人になりたいと思い、誰にも認められなくても行動し続けられる方法について様々な本を参考にしながら考察していきたいと思います。

なぜ、人は認められたいと思うのか

 そもそも、人はなぜ他人から認められたいという欲求を持っているのかについて考えてみます。認知科学などを専門とする明治大学の石川幹人教授によると、

狩猟採集時代は集団から阻害されることは死活問題だった

そうです。
 集団から阻害されると食料の調達すら苦労するため、生活基盤が脅かされるということだったのだと思われます。

 行動経済学とマーケティングを専門とするニューヨーク大学のアダム・オルター准教授は依存度の高いビジネスの仕組みとして「社会的相互作用(ソーシャル・インタラクション)」が採用されていると述べています。他人から認められたいという欲求をビジネスに組み込むことで依存度を高めているということです。

 FacebookやInstagramに組み込まれている”いいね”の機能は、他人からリアクションをしてもらえているかを確認しなくなる効果をもたらし、他人から認められているかどうかを判断する基準になります。

 他人よりもいいねがもらえる=認めてもらえているという感覚に陥り、過去の自分よりもいいねが少ないと否定的なフィードバックとして受け取りやすくなるそうです。

 心理学の論文では、否定的なフィードバックは良いフィードバックよりも過敏に受け取りやすいとも言われています。

 人から認められることで心地よさを得られる一方で、認められないと安心の基盤が損なわれるため、人は他人から認められたいという欲求からなかなか抜け出せないのではないのでしょうか。

他人に認められることに必死になるとどうなるか

 他人に認められようとして努力をするということは、他人が期待することに則った行動をするということになります。他人が期待する他人が作り上げた人生を歩むことになります。
 これを、アドラー心理学では課題の分離ができていない状態と言います。

 たとえば、息子は俳優になりたいけれど、親は息子に立派なお医者さんになってほしいと思っていたとします。息子が考えるべき進路選択という課題を親は自分の課題であると勘違いをしているのです。

 これを課題の分離ができていない状態と言い、最終的に人生の責任を引き受けるのは息子本人なのにも関わらず、親が勝手に口出しをしてしまっているのです。

 仮に、親の言うことを聞いて医者になる道を歩んだとしても自分で選択した道では無いため、上手くいかなかったときに親に責任をなすりつけたくなりますし、時間の無駄だったと思うようになってしまうのではないでしょうか。

 また、他人に認められたいがために、自分で判断すること無く他人が指示する通りにしか行動していなかった場合、自分で判断する能力が衰えてしまいます。

 認められたい人が複数いれば、それぞれの期待することが相反するものの場合どのように行動すればよいのかわからなくなります。

 誰かの期待が無ければ、自分はどう歩んでいけばよいのか正しそうな指標が無いので、行動したくても行動できなくなってしまうのではないかと思います。

 『エッセンシャル思考』を書いたシリコンバレーのコンサルティング会社THIS Inc.のCEOのグレッグ・マキューン氏は、

自らの道を)選ぶことを忘れた人は、無力感にとらわれる。だんだん自分の意思がなくなり、他人の選択(あるいは、自分自身の過去の選択)を黙々と実行するだけになる。

と述べています。

 誰かに認められようとすることは、人生を自分の意思で歩んでいきたいという思いを妨げるものだと考えれば、誰にも認められていなかったとしても歩んでいけるのかもしれません。

まとめ

 自らの道を選択していくことはとても勇気のいることだと思っています。うまくいくかどうかどこにも保証はありませんし、最初から正解を見つけることはできないので、失敗も多く経験することになるでしょう。

 しかし、間違ったら失敗から学びを得て、ときには先人の智恵を参考にしながら実践していくことで、道は開けるのではないでしょうか。

 たとえ、上手くいかなかったとしても、他人のせいにしながら生きるのが嫌なのだとしたら、誰にも認められなくても良いから自分が正しいと思う道を進むのがよいのかもしれません。

 歩みを進めながら、この問いに向き合っていきたいと思います。

■参考情報


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