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人生の主人公にはならないほうがいい

「君の人生の主人公は君しかいない!」って言うじゃないですか。

その通り!って思いたい自分と、ほんとに?って思う自分がどっちもいるんです。今も昔も。どうしたってモブにならなきゃ生きていけない場面はあるし、脇役に甘んじる自分を呪ったりもしてきました。可愛い子ランキングから逃げて変人キャラに走った中学時代も。掃除の時間、明るい子たちが談笑するなか黙ってゴミ捨てに行った高校時代も。
だけど、脇役として流されてきたから出会えた素敵なものも間違いなくあって。与えられるまま勉強して大学に入って、わたしより賢くて面白い人たちに影響されてブレまくって、そしたら人生がちょっと楽しくなった。主人公になれなくたって、幸せであれる方法って何通りもあるような気がする。

で、最近は主人公にならないほうがいいとまで思ってる。そもそも、「主人公」って文言自体うさんくさいじゃん?わたしの人生、別に小説とか映画じゃないし。
誰かに読まれることを想定してないし、わたしの生きざまに誰かが感動しようが憤慨しようが知ったこっちゃない。誰かのために面白くある必要もないし、無理にキラキラすることもない。
主人公になろうとしたら、面白くない自分も輝いてない自分も認められなくなってしまう。自分で決めない自分を呪ってしまう。そりゃ自分で決められる人のほうがいいとは思うけど、ずっと自分の意思だけで生きる人生もつまらない。流されなきゃ見えない素敵なものも、委ねないと知れない気持ちいいことも、全部捨てちゃうことだもん。それじゃプレゼントもサプライズも意味ないし、他人を好いたり嫌ったりする必要もない。そんなの味気ない。明日飲むお酒の種類を考えてもらうとか、特に話題もなく長電話するとか、そういう余白はずっと持っていたい。
ひとりで完結した素敵な主人公を目指すより、いろんな人やものに揉まれてブレながら生きるほうがたぶん幸せだ。

一貫性とか成長とか、そういうものを求められ続けることに疲れちゃったんだと思う。それって物語の主人公としては魅力的な要素だけど、それを持つことで誰でも幸せになれるとは限らない。
わたしはこれからも自分で決めたり決めなかったりするし、ブレるどころが根っこからひっくり返っちゃうこともあるだろう。それで「つまんねえ」って失望されようが「もったいない」って呆れられようが正直どうでもいい。支配的な物語の枠に押し込められるのはもうたくさん。主人公としてのハッピーエンドじゃなくて、生身の人間として今幸せでいられる方法を探したいだけなのに。

とはいえ、ね。ヒロインとして大事にされれば嬉しいし、ヒーローとして持ち上げられれば悪い気はしない。主人公になりに行くのは嫌だけど、うっかりなっちゃえたらいいなとは思っちゃうんですよ。厚かましいね。はは。その欲もいい感じに満たしつつ生きられたら最高ですね。今のところ。

明日のお昼ご飯は友達にもらったレシピで作ります。楽しみ。じゃあね。おやすみ。


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