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先生あのねノート①「痛い人」の呪縛

先生あのね。私は「痛い人」って陰で言われてるんじゃないかって、ずっと怖かったよ。

私が5~6年生のときに、Uちゃんと組んで漫才をやっていたのを覚えていますか。
先生とクラスのみんなが笑ってくれるのが嬉しくて、味を占めて中学校でも続けていました。そしたら、「漫才の人」「ものまねの人」として知らない同学年の人から声をかけられるようになりました。その後も生徒会役員になって自己紹介コントを作ったり、ソーラン隊の隊長をやったり、学年全員の前で生徒会長とデュエットしたり、結構好き放題していました。今思うと恥ずかしくなることだらけですが、勉強ができて友達が多かったこともあり、「痛い人」と後ろ指を指されることはあまりありませんでした。「天才」「変人」と言われて色物扱いされることへのもどかしさはありましたが、受け入れられているならいいじゃない、と楽観的に考えるようにしていました。

高校は、小学校や中学校の友達のいない東京の学校に進みました。
正直、そのときは調子に乗っていたと思います。それまでは勉強ができることで周りから一目置かれてきたけれど、高校に入った時点で私は「天才」ではなくなりました。それから人間関係に悩み、取り柄のない自分にイライラするようになりました。
自分より可愛い人、自分より頭がいい人がわんさかいる状況でどう生き残るか考えた結果、またもや「いじられキャラ」の方向に進んでしまいました。演劇部として良いリアクションや気の利いた返しを求められることが多く、「ここ演劇っぽく読んで」と雑すぎるフリをかます先生もいたのですが、それに律儀に応えていたらまた「変人」といわれるようになっていました。
そこにきて初めてぶち当たったのが「痛い人」の問題です。

高校ではレポートや発表の課題が多く、発表で寸劇をすることもありました。とある授業で本気のモノマネを入れた寸劇をやったところ、大方笑ってもらえてとても嬉しかったです。そのとき、クラス全員からのコメントも匿名でもらうことになっていました。その中に、ずっと忘れられないものがあります。

寸劇がうるさくて不快でした。普通に発表して下さい。

確かにそうだな、と思ってしまいました。今までは周りの人が優しくて言われなかっただけで、内心そう思っている人はたくさんいたんだろう。そう考えたら、とても怖くなりました。それから、自分が演劇部にいて、演劇を好きだということに少し引け目を感じてしまいました。

その後、クラスの男の子を好きになって付き合い、別れたときに友達からこんなことを言われました。

痛いカップルだなって、周りの人が噂してた。

そうか、「天才」じゃない「変人」が恋をしたら「痛い人」になるのか。私が小学生のときからしょっちゅう恋をしていたことを先生は知っていると思いますが、高校生になって同じことをしたら「痛い」と言われました。意味が分からなくて、顔の見えない相手にそんな感情を抱かせてしまう自分がひたすら怖かったです。

でも、安心してください。大学に入って、誰も私を「痛い」と言わない環境に置かれてはじめて、「痛い人」というレッテルを受け入れられるようになりました。演劇が好きで目立ちたがり屋の私を「痛い」と冷笑したりせず、そのまま好きになってくれる人が意外と多いとわかったからです。
そうしたら、私や私の友達を「痛い」と言ってきた人に対して、恐れでなく興味が湧いてきました。その人は私にはない痛覚を持っていると思うからです。私が気持ちいいと感じる誰かの一面を、他の誰かは「痛い」と言います。痛みを感じる箇所が違うということは、今までの経験によって鍛えられた箇所が違うということだと思います。私を「痛い」と思う人は、私のような人間と接した経験が少なくて、そこの痛覚が鋭敏なのでしょう。それなら他にどんな人と出会ってきたのか、どんな経験をしてきたのか、知らない世界の話が聞けそうで少しわくわくしてきます。私のほうも彼らに対する痛覚が鋭敏なので、実際に話しに行こうとは思えないんですけどね。

長々とすみません。こうやって拙い文章を書いている今の私も、誰かから見たら「痛い人」なのでしょうね。
先生は面白くて人気がありましたが、「痛い人」と呼ばれる恐怖を感じたことはありますか?あるとしたら、どうやってこの恐怖と戦ってきたのでしょうか?
時間があったらお話聞かせてください。きっと参考にします。

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