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アメジストの魚5-3

これが優しいおとぎ話だったなら、
ハッピーエンドが決まっているような物語なら。

…なんて。
そんな不毛な想像をしてやめた。
僕を信じると言った彼女の声は少しの痛みと優しさが混ざって、重ねた唇の冷たさがハッピーエンドなんて存在するわけがないと現実を突き付けている。

数回触れた唇がそっと離れる。

「キスって甘いんだね。」

そう言って少し目を伏せるようにしてはにかむ彼女はさっきまでの涙を忘れてしまったようで、思わず僕らの呪いが解けたんじゃないかと錯覚してしまいそうになった。

「私、キスしたの初めて。」
「…え?」
驚きで上手く言葉が出てこなかった。てっきり恋人としているものだと思っていたのに。

「ファーストキス、茅尋にあげちゃったね。」
「えっと、ごめん…」
「あはは、何で謝るの?私からしたのに。」
「いやでも、ほら」
「ほら、何…?」
「……。」
どう答えるべきだろうかと思案する沈黙を彼女はどう捉えたのかくすりと小さく笑う。

「真面目だなぁ、茅尋は。私がしたかったんだから気にしないで。ね?」
「…うん」
「好きな女の子とキスできたのに嬉しくなかった?」
「嬉しくないわけないけど、色々困惑してる」
「純粋だね、可愛い。」
「そんなんじゃないよ」
「そんな事あるよ、茅尋は可愛い。」
「…はいはい、分かったよ。ありがとう」

根負けしてそう答えると、彼女は少し満足気な顔をして映画をもう一度再生し始める。

「ねぇ、明日海行こうよ。」
液晶を眺めながら彼女はそう言った。
「海?寒いのに?」
「寒いけど行きたいの。それにほら、また茅尋のバイクの後ろ乗りたいし。」
「懐かしいな、昔はよくドライブ行ったっけ」
「行ったね。また乗せてくれる…?」
「もちろん」
「やった。」

彼女はソファの上に置かれたスマホを手に取ると、手馴れた様子で目的地や経路などを探し始めた。

「行きたい所決まってるの?」
「んー、大体はね。」
「要、もう遅いし朝ゆっくり決めたら?」
「せっかく探し始めたのに。」
「朝なんてすぐだよ」
「…仕方ないなぁ、茅尋は寂しがり屋だからね。一緒に寝てあげる。」
「助かるよ」

テーブルの上を片付けてテレビを消す。

「電気消して平気?」
「ん、いいよ。真っ暗なのはちょっと怖いけど。」
「ならつけておこうか」
「ううん、いい。茅尋もいるしそれに今日は月が綺麗だから。」

彼女はそう言ってカーテンをほんの少しだけ開ける。そこからは一筋の月明かりが射してベッドを照らした。

「ほら、これで大丈夫。」
「ん、」
「おやすみなさい、茅尋。」
「おやすみ」

2匹の人魚はシングルベッドに身を寄せながら目を閉じる。意識は微睡みの中に落ちて、小さな寝息だけが微かに部屋を満たしていた。

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