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書評|『僕は君たちに武器を配りたい』瀧本哲史(講談社)

初版が発行されたのは、マグニチュード9.1の大地震と大津波が日本を襲い、原発事故が発生した2011年3月からおよそ半年後。新型コロナウイルス禍に喘ぐ今と同じように、経済が冷え切り、回復の兆しはまったく見えず、世の中が閉塞感に覆われてきた時期だった。

私が本書を執筆することにしたのは、こうした厳しくなる状況の中で、一人でも多くの学生や若い人々に、この社会を生き抜くための「武器」を手渡したいと考えたからである。日本がこのような経済的に厳しい状況に陥り、若者の未来に希望が感じられない世の中になったことをいつまでも嘆いていても仕方がない。それよりもなすべきことは、このような厳しい世の中でもしたたかに生き残り、自ら新しい「希望」を作り出すことである。

東大法学部を卒業後、助手を経て、マッキンゼーに勤務したのち、エンジェル投資家として独立した瀧本さん。京大で担当する「起業論」の授業で大きなテーマにしていたのが「大学を卒業後、どうやって自分の価値を、資本主義の世の中で高めていくか」だった。病に倒れ、2019年8月に47歳で亡くなるまで、日本の将来を心配し、次世代の教育に情熱を傾けていた人だ。

高学歴・高スキルの人材が、ニートやワーキングプアになってしまう。日本ではなく、世界中の先進国で、そんな潮流が押し寄せている。かつて高収入を得られた付加価値の高い職業が、もはや付加価値のない職業に変わりつつある。そればなぜか。どういう現象が起きているのか。解き明かし、詳しく説明してくれる。

進んでいるのは全産業の「コモディティ化」。それは商品だけでなく、労働市場における人材の評価においても、同じことが起きている。だから企業は安く使えるほうを採用する。たとえ一生懸命に英語を勉強したところで「TOEIC900点以上」が並べば誰も同じ、その中でいちばんコスト(給料)が安い人が求められる。ホワイトカラーの労働力そのものがコモディティ化して「高学歴ワーキングプア」が生まれる仕組みになっている。それが現在のグローバル資本主義経済システムだというのだ。

単なる労働力として働く限り、コモディティ化することは避けられない。人より勉強する。スキルや資格を身につける。そういった努力はもはや意味をなさない。そんな世の中を生き残れるのは「スペシャリティ」だけ。そう指摘する。

スペシャリティの概念はコモディティの正反対である。「ほかの人には代えられない、唯一の人物(とその仕事)」「ほかの物では代替することができない、唯一の物」だ。ただし、スペシャリティになるためには、資本主義の仕組みをよく理解して、どんな要素がコモディティとスペシャリティを分けるのか、それを熟知しなければならない。

学校では教えてくれない資本主義の現在。日本人で生き残る4つのタイプと、生き残れない2つのタイプ。具体的事例をあげながら示し、詳しく説明してくれる。「入ってはいけない会社」の見分け方のレクチャーもある。

まずベンチャー企業で注意すべきなのは、新しいサービスや市場で、非常に業績を伸ばしているように見える会社だ。
「世の中でこれが流行っているから」と現時点で話題になっている業界の会社に就職する学生は多いが、それも非常に危険な選択である。

瀧本さんいわく、就職先を考えるうえでのポイントは「業界全体で何万人の雇用が生み出されるか」という大きな視点で考えるのではなくて、「今はニッチな市場だが、現時点で自分が飛び込めば、数年後に10倍か20倍の規模になっているかもしれない」というミクロな視点で考えること。まだ世間の人が気づいていないその市場にいち早く気づくことが大事だという。そして、そこで問われるのは「投資家的視点」を持っているかどうかだという。

日本では「投資家」にあまり良いイメージが持たれていない。だが、そのイメージこそが、今の日本人が資本主義についてまったくカン違いしていることの証拠であり、「投資」と「投機」の区別がないことがその理由のひとつだとする。

「投資」は、畑に種を蒔いて芽が出て、やがては収穫をもたらしてくれるように、ゼロからプラスを生み出す行為である。投資がうまくいった場合、誰かが損をするということもなく、関係したみなにとってプラスとなる点が、投機とは本質に異なる。また投機が非常に短期的なリターンを求めるのに対して、投資は本質的に長期なリターンを求めるところも大きな違いだ。

日本に押し寄せている「本物の資本主義」の波は、多くの日本人が考えている以上に激烈で、すべてを押し流すほど容赦のない勢いである。だからこそ、これからは投資家的な発想を学ぶことがもっとも重要だ。瀧本さんは何度もそう繰り返す。

なぜならば、資本主義社会では、究極的にはすべての人間は、投資家になるか、投資家に雇われるか、どちらかの道を選ばざるを得ないからだ。

だたし、学生が卒業してすぐに起業することはすすめていない。一度就職して、社会の仕組みを理解したうえで、コモディティ化から抜け出すための出口(エグジット)を考えながら仕事をして好機を待つべきだという。内容が濃く、アドバイスはきめ細かい。熱量が高いのだ。この本を読んで、書かれたことを実行するのは難しい、当てはまるのは限られた一部の人だけではないか、といった感想を寄せた人もいて、その「回答」として瀧本さんは『君に友だちはいらない』を書いたのだそうだ。それは、読んでもらうだけでなく、行動してもらうことを目的にしていたからではないだろうか。

東日本大震災の発生からおよそ半年、世界がリーマンショックに見舞われた3年後。今と同じようなもやもやが漂っていた時期に出されたこの本を結ぶにあたって、瀧本さんは自分にとっての「運命の一冊」を読者に紹介している。

君たちはどう生きるか』は満州事変(一九三一年勃発)の後、日本がどんどん軍国化していく時代に書かれた。吉野源三郎は、この本を通じて、軍国主義に向かう日本に生きていかざるを得ない少年少女たちに、「自分の頭でじっくりと物事を考える大人になり、けっして希望を忘れるな」というメッセージを残したと私は考えている。

「むきだしの資本主義」「本物の資本主義」の世界に足を踏み入れる若者に、瀧本さんは心の中で「君たちはどう生きるか」と問いかけてみたのではないか。そして思ったのではないか。『僕は君たちに武器を配りたい』と。



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