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書評|『新橋パラダイス 駅前名物ビル残日録』村岡俊也(文藝春秋)

政治雑誌の編集をしていた頃、企業スキャンダルが得意なジャーナリストのMさんが根城にしていたニュー新橋ビルに何度も足を運びました。

よく集まっていたのが3階、肉の万世です。忘年会をしていて、フロア中央にある共用トイレに財布を置き忘れてしまったこともありました。テナントで入る割烹の店主さんが拾って管理センターに届けてくださったおかげで、無傷で戻ってきました。

新橋駅前ビルといえば居酒屋のおふくろ。くさやを焼いて熱々を食べさせてくれ、これがうまかったのです。しかしお店があるのは地下1階。煙も匂いも結構なもの。カルチャーショックを受けました。ボスだった編集長のKさんがご主人と懇意で、何時間も飲み続け、明け方にこっそり裏口から失礼したこともありました。

JR新橋駅前のSL広場に隣接するニュー新橋ビルが建てられたのは昭和46年(1971年)、汐留口の地下通路と直結している新橋駅前ビルはその5年前の昭和41年(1966年)です。再開発の話は、何度も出たり消えたりしていましたが、もはや避けられないでしょう。著者の村岡俊也さんは、このふたつのビルに通い、さまざまなルーツを持つ「住人」に密着し、話を聞いてくれています。

ニュー新の行列店、オムライスのむさしやは昔から洋食店ではなかったのかと、この本を読んで知り、びっくりしました。2階の中国人マッサージ店が本格的に増えていったのは平成15年(2003年)くらいからだったとは。昭和の香りをぷんぷんさせながらも、変化し続けて、平成、令和まで生きてきたレガシーを記録した貴重な資料といえるでしょう。再開発が終わり、新しい建物ができたときに読み返してみたら、どんな気持ちになるだろうか。そう考えてしまいました。

渋谷東急文化会館も新宿コマ劇場と新宿東宝会館もすでになく、渋谷ヒカリエ、新宿東宝ビルになってしまいました。その後も渋谷、新宿だけでなく、原宿、日本橋、丸の内、虎ノ門、六本木、永田町、品川、田町、池袋と、東京のあらゆる場所で再開発が計画され、進められています。

あと気になる建物といえば、竹橋のパレスサイドビルでしょうか。建設許可がおりるように、毎日新聞に在籍していた三宅久之先生が経営陣から頼まれて首相官邸と交渉した。そんな話を聞いたことを懐かしく思い出しました。


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