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雑記:愛

私は今まで数十年、特別な1人を愛する感情を持ち合わせていませんでした。

「かわいいな」「美人だな」と思うことは幾度とありました。感情的には憧れに近いものだと思います。恋するような気持ちとも違いました。私は恋というものを憧れながら諦めていました。自分の身勝手な感情を押し付けるようで気が引けていたのです。元々(今でもですが)、私は消極的な(ネガティブ)な人間でした。今でこそ前向きに振る舞っていますが、根本は変わらないものです。

私は無宗教ですが、「無償の愛」は大切な考え方だと思います。無償の愛が自身を最終的に心満たされる思いをさせてくれると信じています。誰に感謝される訳もなく、自分が与えたと思うだけの独りよがりな愛、与えたとさえも思わない愛、素敵だと思います。

私は両親、兄弟を愛しています。たまに不愉快になることも反発することもあります。ですが、大切な存在であることは変わりないのです。

私は仕事、自身の周囲の他人を愛しています。私と関わりを持ったなら、私にできることを最大限与えたいと思っています。

私は最近、生涯で初めて愛を捧げたいと思うことが出来ました。その人のすべてが愛おしく感じます。ともにいるだけで心満たされというのはこんなにも幸せなのかと思うほどです。

恋愛とはなんと恐ろしいものでしょうか。自分にこんな気持なる日が来るとは夢にも思いませんでした。ネガティブな自分がそれを凌駕するほど気持ちを抱くというのはなんとも滑稽であり、幸せです。

ただ、その人が幸せであれば良い、私がその人に幸せにできれば良いですが、私がその人幸せの断端にでもいれたらよいとうれしいです。

気持ち悪いでしょうか。いや、別にそうでも良いのです。

私は仕事の上で、全ての人に愛を捧げています。1人1人真剣に愛を平等に捧げているつもりです。私に関わってくれる人に等しく愛を与えています。仕事も愛しています。辛いこともありました。それでも今では自分の仕事が心掴んで離しません。

言い訳のようになりますが、私には愛せる仕事があるので今幸せです。私はその人に世界で1番幸せになって欲しいです。それが私であれば、私も幸せです。そんな欲張りは通用しないと思います。自分にこんな感情があると思わせてくれたその人に感謝しています。私の中で愛という概念を少し理解することができました。より一層、仕事や生活や自分や他人を愛して行こうと思うことができました。

愛は無償であるべきなんだろうと思います。与えた見返りを求めていては、損得でしかなくなってしまうと考えます。心でそう考えていてもできなくなってしまうと破綻してしまう、危うさもあります。自己満足かもしれません。それで良いと思います。自分が他人でない以上は慮って、愛するくらいしかないのでしょう。

私は少し切なくはありますが、その人のこれからの幸せな人生を祝福します。

「ありがとうございました、」

最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。他人の戯言にお付き合いいただき感謝いたします。

私はこれからも私に関わってくれた方に愛そうと思います。それが私の幸せと信じています。

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