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吉田修一「森は知っている」一言感想文

吉田修一は、本当に人を描く。詳細な心理描写というよりも、行動で描く。一人でいるときに何をするのか。自慰をするのか、ぼんやりと風景を眺めるのか。そして、誰かといるときに何をするのか。どんな言葉よりも、その行動に、その人が表れる。語り手でありながらも行動で語られる鷹野に対し、雄弁だ。だからこそ、その人物像が揺らぐ。様々な思惑が入り乱れる物語の一方で、徹底的に人が描かれる。壮大な陰謀がかすんでしまう。話が大きくなればなるほど、それらは霧散し、目の前の人物の行動だけが、心に残る。吉田修一の作品は映像化されるものが多いが、その要因の一つは、徹底的に行動で人を描くことだろう。それでも、映像化では描き切れないのが、我々の心で描く行動だ。読者は、自分の心象によって、物語の人物の行動を描く。心象にないものを描くことはできない。だからこそ、自分の心の中にある、ありあわせの素材を用いて造られた場面だからこそ、我々はその行動に人を見る。そして、自分の心の中に「人」のかけらがあることを知る。そうして読者は、この小説に共振し、深い感動を覚えるのである。




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