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自分の声と向き合う

なんとなく、「この人とは合わないな」と思う瞬間がある。表情とか、雰囲気とか、さまざまあるのだけれど、一番は、話し方だと思う。


表情や雰囲気は良いのだけれど、どうにも話し方が気になる人がいる。言葉遣いや表現もあるのだけれど、たぶん、それ以上に声色や声の大きさが大きい。あ、けっこう笑い方もあるかも。

決してそれらが失礼とか、不愉快とか、そういうわけではないんだけれど、ちょっと「合わない」と思ってしまう。


もちろん、こちらの気分にも影響される。僕はちょっと暗い声が好きだ。ハキハキ活舌が良いよりも、ボソボソ何話しているかわからない方がいい。

でも、気だるい朝には明るい声がほしいときもあるし、にぎやかな声にほほえましく思う時もある。


それでも、そのときの一時的な気分というよりは、直観的に「この人とは合わない」というのを、話し方から勘づいてしまうことがある。

大抵は初対面の一瞬なので、そこで交流を絶ってしまうのはちょっと早合点な気もする。でも、大体正しい。


人によっては、握手をしたり、ハグをしたり、キスをしたりして、直感的に何かを感じ取る場合もある。

でも、僕の場合は圧倒的に声だ。(これらの機会がないということもある)


裏を返せば、僕の声も、誰かにとっては違和感を感じさせるものなのだろう。これって、お互いそうなのだろうか。また、この違和感は関係性によって変わっていくものだろうか。


実は僕自身が自分の声に違和感を感じることもある。我ながら、なんか奇妙な話し方をしているな、と思うことがたまにある。大抵は、何かを隠そうとしているときである。特に緊張や敵意を隠そうとしているときである。

こう見えてけっこう好戦的というか、怒りを持ちやすい性質を持っているので、それを隠そうとすると、気味の悪い声になる。

きっとほかにも、人を不愉快にさせるような声色をしていることはあるのだろう。


声だけは、嘘をつけないと思う。声優のような仕事をしていれば、ある程度コントロールできるものだろうが、これは演出表現上のものであって、コミュニケーションにおけるそれではない。

常に相互作用を続けるコミュニケーションの中で、声に現れるもの、声に現すものの力は大きい。


たぶん声は、コントロールできるようになることを目指すことが大事なのではなく、自分の声を見つめることの方がよっぽど大事なのだろう。

録音された声を恥ずかしく思う人が多い中、自分の声を素直に聞くことは、とっても難しいことだと思う。


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