コロナ禍に始めたnoteも5年目
noteを始めてから、丸四年が経過していた。
2020年の4月8日に始めたらしい。
折しも日本が、世界がコロナ禍に入った頃だった。
2020年3月頃には日本中に自粛ムードが広がり、誰もが感染の恐怖に怯えていた。当時はまだ治療法はおろか、感染ルートさえ議論されていたころだった。
ちょうどその3月で全日制の教員を辞めることになっていた。
繰り返される営みの中で、もっと広い世界を見たい、新しい教育の在り方を模索したい、そしてそれを事業化して、新しい生活の糧を得て生きていきたい。そう思っていた。
当時は特にフリースクールに関心があったので、当座は全国各地のフリースクールを巡って、それを記事にしたいと思っていた。また、それをもとに、フリースクールを支援できる事業を始めたいと思っていた。
一方で、後ろ向きな理由もあった。そのまま高校教師として働くことへの不安もあった。
このままこの場所で、このような教育を行っていていいのだろうか。
自分の目指す教育、生き方ができているだろうか。
自分にとってやり残したことはないのか。悔いは残らないのか。
繰り返される営みに、もう耐えられなくなっていた。
ところが、いざ辞めるときになってみれば、卒業式さえできない状況だった。むろん、離任式もできず、多くの生徒が私の退職を4月以降に知ることとなった。
引継ぎ関係は1月頃から少しずつ進められたので、十分にできた。それでも、そこから半年くらいは、問い合わせがあることもあった。
4月を迎え、当座は雇用保険と貯蓄で何とかしようとするものの、まさに家から一歩も出られない日々が続いた。
あの頃は、コンビニに行くことすらリスクとされる頃だった。海外では外出するたびに全身を消毒することさえあった。
そこから少しずつ、そして確実に日本にも感染が広がっていくわけだが、飲食店はもちろん、経済活動がストップしていた。
当時は人気のない外を歩くにも、緊張感があったものだ。ましてや、買い物をするのにも気を遣っていた。今のようにアルコール消毒が形骸化してしまったのとは比べ物にならないくらいに、感染症対策が徹底されていた。それは科学的なものというよりも、社会的、心理的な営みだった。科学が、混乱していた時期だった。
もちろん、どこかに就職するという発想は難しかった。日々の暮らしがどうなるかもわからない。新卒採用の取り消しが多くとりざたされた頃だった。また、せっかくの身軽な身でやりたいことが山ほどあった。それらが全て、できなくなった。
一方で、長年の疲労を癒すためにも、延々と睡眠をむさぼった。そもそも、うつ病の症状は安定してきていたとはいえ、ワーカホリックな毎日から解き放たれて、すぐに心身の状況が落ち着くわけではない。
それが良かったのかどうかはわからない。
毎日、誰と話すでもなく、誰と会うでもなく、外出もできない日々。
そんな中で始めたのが、noteだった。
きっかけは覚えていない。そのころは、SNSもTwitterくらいしかしていなかった。
社会が停滞し、あらゆる営みが制限されていた時代。
そんな中で始めたのだった。
あれから4年。
コロナ禍の中で、絞り出すようにして生まれた、さまざまなSNSでの表現活動。
東京への移住。さまざまな職域での就業体験。
それでも、私はまだ、コロナ禍の影を引きずっている。
コロナ禍によって採用を取り消された新卒生。倒産した会社。整理解雇された会社員。衰退した産業。失われた教育の機会。
それらの傷はちっとも癒えていない。何からも補償されることがなく、ここまで来てしまった。全て過ぎ去った過去になろうとしている。
感染の危険ということは薄れても、私はまだ、コロナ禍の中にある。
コロナ禍によって受けた損害を、未だに引きずっている。
あれから4年。やっと入り口に立ったような気がしている。受けた傷は深い。それでも、歩んでいかなければならない。まだまだ不安定な日々が続くが、歩んでいかなければならない。
震災だったり、洪水だったり、感染症だったり、そういったものによって失われたものはたくさんある。その失われたものを嘆いても仕方がないけれども、失われたものを忘れてはならない。
その日々の記録を、こうしてインターネットの海に流すことで癒されることもあるのだろうか。何かの、誰かの役に立つこともあるかもしれない。
5年目がどのように綴られていくのか。未だ入り口に立ったばかりの自分には、皆目見当もつかない。
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