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夕暮れにリュック

拓海が社会人になって5年目。大学ではどちらかと言えば真面目な学生で、それなりに勉強して希望の就職先に採用が決まったはずだった。これが自分の天職だと語っていた時期もあったのに、今は職場に向かう足取りは重い。バスが渋滞につかまらずにスムーズに走る日は、ひとつ手前のバス停で降りて、わざと遠回りして時間をかせいでいる。夜、眠りにつく時に、この静かな時間のまま止まってほしいと願うようになった。あのやる気はどこに行ったのか、どうして自分だけ取り残されてしまったのか、なにが悪かったのか。答えのない問いが、頭の中をぐるぐると巡っていた。

拓海が、その悶々とした気持ちを初めて打ち明けた相手が、佳奈だった。ふたりが出会ったのは、海岸線のゴミ拾いボランティア。今の職場で働き続けることに疑問を感じていた拓海は、なにか少しでも自分を変えるきっかけ探していた。
拓海と佳奈は、たまたま同じグループになり、話してみると同じ業種で働いていいることがわかった。業界ならではのグチは、ふたりの距離をあっという間に縮めてくれた。しかも、同じ大学の出身。佳奈の方が4歳年上だから、学生時代は重なっていない。それでも、「あなたたち、運命の出会いだね」と周りが盛り上がる勢いに乗ってLINEを交換し、それ以来、時々近況報告しながら、つかず離れずの関係が続いている。

「佳奈さん、ちょっと相談したい事があるんですけど、聞いてもらってもいいですか?」
呼び出したのは、拓海だった。普段のやり取りでは、弱音を吐くことがまったくない彼からのメッセージに、佳奈は少し驚いた。
「どうしたの?拓海くんらしくないね。いつもめっちゃ元気なのに。」
「いや、なかなか相談できる相手がいなくて。無理にじゃないんで、ダメならダメって言ってください。」
「そんなこと言われたら、断れないって知ってる?いいよ。せっかくだから、私のお気に入りの場所で話してみようか。元気になれるから。」

「ほら、ここ、いいでしょ。」
と、佳奈が連れてきてくれたのは、丘の上の公園。ベンチに座ると、夕陽を受けてゆっくりオレンジ色に染まっていく街が見渡せる。
「こうやって遠くまで見てると、空とつながって自分が大きくなれる気がするんだよね。なんでも受け止められる感じ。だから、心配しないで話していいよ。私でいいなら、なんでも聞くから。」
「ありがとうございます。ここ、初めて来ました。綺麗ですね。」
秋の気配を感じるような、涼しい風が丘を上がってくる。ゆっくり息を吐いて、拓海が空を見上げた。
「バスに乗る時って、リュックを前にかけるじゃないですか。抱っこするみたいに。最近、そうしてる時がなんか安心するんです。僕って、変ですかね?」
「相談って、リュック?そうね、変かどうかは分かんないけど、リュックを前に抱えて安心する感じは、なんか分かる気がする。私、子どもの頃に、ぬいぐるみを抱っこして寝てたの。夜ってなんか怖いけど、ぬいぐるみを抱っこしたら安心して眠れてた。その感覚に近いのかな。」
「ぬいぐるみかぁ。そう言われたら、この年になってやっぱり変ですよね。もう大人なのに。」
「ごめんごめん。そんなつもりで言ったんじゃないよ。そうだなぁ、その抱きかかえる姿に、なにか意味があるのかもね。守ってあげる行為をすることによって、自分が守られてるのを感じる、とか。心の奥にある守られたい願望を埋めてる効果、ありそうじゃない?」
「おお、佳奈さんの分析、心の専門家みたい。勉強してるんですか?」
「そんなんじゃないよ。でも、心のことって興味あるから、本は読んだりするかな。っていうか、拓海くん、ほんとはもっと話したいことあるんじゃないの?」
「さすが、お見通しですね。実は、仕事がうまくいってなくて。」

拓海は語った。1年ほど前から、職場で孤立した状態になっていることを。顧客との打合せに必要な情報を一人だけ知らされなかったり、それによって生じた問題が拓海の責任になったり。どうやら、ベテラン社員に目をつけられているらしい。最近になって、過去にその社員とのトラブルが原因で辞めた人も少なくないことが分かった。負けずに乗り越えて成長したい気持ちと、そこまでして耐える必要があるのかという疑念と、もうこれ以上耐えられないという弱音とが、拓海の心の中で渦巻いている。葛藤が重なると仕事でのミスが増え、さらに自己嫌悪に陥ってしまう。
「こんなことで悩む自分が嫌で、でも、どうしたらいいか分からなくて。職場で誰かに話したら、もっと居づらくなりそうで怖いと思ってます。実は、ゴミ拾いボランティアに参加したのは、何かを変えるきっかけを見つけたかったからなんです。」
そこまで語ると、拓海は視線を落とした。佳奈は、適度に頷きながら、余計な口をはさまずに聞いていた。

「そうか、拓海くん、つらかったね。職場の人間関係って、すごく影響大きいから。」
「ありがとうございます。佳奈さんに聞いてもらって、気持ちが軽くなりました。今まで、誰にも話せなかったから。」
「誰にも話せなくて、自分だけで抱え込むのは、とってもきついと思う。私でよければ、いつでも話して。聞くだけしかできないかもしれないけど、拓海くんの話ならグチでも何でも聞くよ。もっと、そのベテラン野郎に言いたいこととかってないの。このやろー、みたいな。」
佳奈が、握りこぶしを振りかざす格好で、続ける。
「あー!なんか私の方が腹立ってきた。こんな真面目で立派な拓海くんを苦しめるなんて許せない。」
「はは、ありがとうございます。聞いてくれるだけで、すごく嬉しいです。この際だから、全部言っちゃいます!って思ったけど、今だけは仕事のこと考えたくないって、ありですか?僕から相談しといて、なんですが。」
「えー、そう?うん、そうだね。あんまりネガティブなことばっかり言ってても、気持ちよくないもんね。じゃあ、何話そうか?せっかくここに来てるんだから、もっとゆっくりして行こうよ。」
「そうですね。じゃあ、何も話さないってのは、ありですか?」
「え?」
「もし、嫌じゃなかったら、ここに座ってくれませんか?」
拓海が、自分のひざの上をポンと叩いた。
「大丈夫です、何もしませんから。少しだけ、力を貸してください。自分が守られてることを取り戻したら、頑張れる気がするから。」

少しだけ考えて、佳奈は拓海の膝の上に乗った。ふたりが重なって、街を眺める。佳奈を包み込むように、拓海が両手を前に回した。
「手、つないでもいいですか?」
返事をする代わりに、佳奈はそっと手を重ねた。拓海が握りかえす。
「ありがとう」
無意識の言葉がもれた。佳奈の体から力が抜け、心地よい重さが拓海の胸に沈み込む。お互いの顔は見えていないけれど、ふたりは同時に目を閉じた。

ー 了 ー

突然、恋愛ものっぽいのを書いてしまいました。

最初にイメージしたものから、構想を練るうちに少し雰囲気が変わった気がします。話の展開も急ですね。
でも、とりあえず書き上げることを目指して、何とかここまで来ました。

バスに乗る時にリュックを前に抱えていて、「この抱っこする感じってなんか落ち着くなぁ」と思ったのが、これを書いたきっかけです。
無理やり会話に突っ込んで、そうなるような登場人物の背景を考えて、とやってみたら、こうなりました。

もっとじっくり練ったら、もう少しマシな作品になるんでしょうね。

タイトルを考えるのも、難しいです。

これもいい経験ということで、また頑張ります。

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