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将来に活かせる探究のパターン

前回の記事で「総合的な探究の時間」を無理矢理パターン化しました。

  1. 課題研究式

  2. ビジコン式

  3. 世直しスタートアップ式

  4. 地方創生式

詳しくはこちら

それぞれに良さ、面白さがあるので「総合的な探究の時間」担当の先生は、自校の生徒にどのパターンで取り組ませるか悩みどころです。
他校の優れた実践を見るとついつい真似してみたくなりますが、私はちょっと危険だと思っています。
その理由は別の機会に書きたいと思います。
まず本稿では、いくつかの探究のパターンの長所と短所を確認します。

※ 私の主観での長所と短所の捉えです。一般論でないことに留意ください。
※ 探究にはどれも共通する長所(例えば「主体性を高める」など)があると思いますが、今回それらは割愛します。

課題研究式の長所と短所

長所

  • 学問分野と繋がるので進学の目的意識が高まる

  • 教師が指導しやすい

  • 大学の協力を得やすい

生徒の興味関心を、学問の研究手法や内容で突き詰めていくので、自分の興味があるものを学び深めていくにはどうすれば良いのか、大学で何を専攻すればさらに深められるのか、などが見えてきます。
教師には誰しも大学時代に専攻した専門分野があるため、自身の専門分野を探究する生徒に対しては助言しやすいのも利点です。大学のゼミの先生さながら、手法や内容で先を見通せるので、自身が優位に立って生徒を導けます。
以前、中学校でこの方式の探究を行った際、近隣の大学のゼミへ生徒が直接訪問し、探究への助言を仰いだことも多かったです。
探究した学問分野が高校や大学の進路選択に繋がっていった生徒もいました。
高校生であれば尚のこと進学先の選択に影響すると思われます。

短所

  • 教師の専門外に対応しにくい

  • 文系の生徒が困りやすい

  • 理系のための実験用具が必要

自分の専門分野の生徒には指導を行い易い一方で、自校の教師が指導できない分野の生徒への支援が手薄になる面もあります。
SSH校では理系の生徒のために実験器具や薬品等の予算を組んで、実験と結果に基いたアカデミックな発表が行えていることも多いですが、予算のない学校で同様のことを求めるのは難しいかもしれません。
現在はプログラミング、Webデザイン、メタバースの活用や開発、SNSを中心とした映像製作などの分野に生徒の関心が集まりますが、それらを学問として指導できる教師が自校にいない場合は、外部との連携を模索する必要があります。
私は学生時代に近代文学を専攻した国語教師ですが、中学校で課題研究式の探究を指導していた際は、キャッチコピー、方言、映像製作、心理学を探究する生徒の担当が多く、門外漢の分野で探究手法や内容の助言を行うことが多かったです。
他校を見ても文系の研究は仮説検証で実験を行うことが少ないため、ポスターや論文のまとめ方や探究手法の型が十分に指導されず生徒が困惑することが有るようで、卒業後に「文系は若干見捨てられてる感がありました」と語るSSH出身の大学生の声を聞いたことがあります。


ビジコン式の長所と短所

長所

  • 課題とゴールが明確で取り組みやすい

  • 社会との接点がある

探究において「課題の発見」は重要かつ大変な作業です。
もちろん人によりますが、自分が何を探究するのかを決めるまでが難しく、課題研究式ではスタート段階で何もできない時間が長く続く生徒も多くいます。
本当はその時間こそ大切。探究テーマを決めるまでにじっくりと時間をかける方が良くて、その時間も含めて探究がはじまっています。
探究指導に慣れている教師はそのことを知っているので、じっくりと時間と労力をかけて待てるのですが、探究指導に不慣れな教師にはそれができません。
生徒が真面目に考えていないように見えたり、遊んでいるように見えたり、教師自身がどうすればいいのかわからなかったりして、モヤモヤし、苛立つことがあります。

ビジコン式は課題の設定までの苦労が不要です。「課題」は企業などの外部機関からを与えてもらいます。
生徒たちは提示された「課題」の背景にどんな問題が隠れているのかを探ることから始めることができます。

ゴールも明確です。
生徒にも「終わり」がイメージできるので、取り組みやすくなります。
「課題」を提示してくれた企業等に対して、解決アイデアを提案するのがゴールです。提案の形式はレポート、プレゼンなど様々想定できますが「提案する」というゴールは動きません。

「課題」と「ゴール」が明確なので、ビジコン式は取り組みやすい方式です。
協力してくれる企業等を探す必要があるので、取り組みにくそうに思われますが、実は逆だと私は感じています。

当たり前ですが、多くの企業が何からしらの課題を抱えているので、課題を出してくれる企業は沢山有ります。
「高校生に課題を提示してください」
「インターンの体験させてください」
というお願いをしてみると、応えてくれる企業は多いです。
卒業生でも、保護者でも、声をかけやすいところから声をかけてみると良いと思います。
民間の機関が運営するビジネスコンテストを活用するのも良いと思います。
コロナ禍で職場・職業体験が実施しづらくなり、中学校でもこういったインターンを採用する学校が増えているようです。
探究だけでなく、キャリア教育としての意味合いが強いためだと思われます。
学校や子どもと、社会との接点を持つ機会として役立てられています。

短所

  • 「課題の発見」がない

  • 「実行」がない

「課題の発見」というプロセスが不要なため取り組みやすいという長所がある一方、そのプロセスがないことが短所でもあります。
昔から文明の発達もイノベーションも「課題の発見」から生まれました。
誰かの「困った」を発見し、改善の方法を考えると価値が生まれ、ビジネスにもなります。
AI時代は、AIに何をさせるかを考える力こそが人間に求められると言われています。今後「課題の発見」は探究の中で最重要視すべきプロセスではないでしょうか。

「実行」がないのもビジコン式の欠点だと思います。
ゴールが「提案」なので、実働することが必須ではなく机上の空論となる可能性があります。
生徒たちのアイデアを企業が実現してくださることもありますが、生徒はアイデアを出して終え、仕上げはプロが行う場合が多いです。
実際は仕上げる際に、様々な調整や試行錯誤があるはずですが、生徒がその体験をできることは少ないです。
生徒に試行錯誤、四苦八苦、たくさん失敗する経験を積ませたいという学校には、ちょっと物足りないかもしれません。


世直しスタートアップ式の長所と短所

長所

  • 「課題の発見」がある

  • 実行と実感がある

私の勤務した高校では「誰かのために、自分で考えて、何かやる」を掲げて取り組みました。
「誰かのために」は、誰かの「困った」を発見することから始まります。例えば海洋ゴミ問題のような世界レベルの「困った」に着目する子もいれば、学食の混雑など身近な「困った」に着目する子もいます。
「こうすれば良くなる」というアイデアを考え、提案するだけで終わらず、実行まで求めました。
実行することで、計画の不備が見つかったり、当初の考えの浅はかさを感じたりと失敗と修正を繰り返すことが余儀なくされます。同時に成功した際の達成感や「誰か」が喜んでくれれば、大きな充実感も得られます。

私はこれをキャリア教育と捉えています。
「困った」はイノベーションの種。
「誰かのために」という利他の発想は、仕事の種、産業の種。
種を発見し、自分で発芽させ、育てる。
誰かからの「ありがとうフィードバック」が次のやる気につながる。
元イメージは小学校の係活動です。

私の住む福岡市には、子どもたちが学級にどんな係があれば楽しく暮らせるかを相談し、係を発足させる方式の係活動を実施する学校が多くあります。
「お笑い係」「お楽しみ係」「マンガ係」
など小学生らしいものが生まれます。
ところが中学校では、保健係、文化係など係の枠が先に決まっていて、そこに人間を当てはめるような係活動になります。
「組織」の仕組みや、役割を果たす「責任感」や「勤労感」を育てる仕組みなのかなと私は理解していますが、自ら種を発見し、発芽させる係活動に比べると幾分も受け身になりがちです。
高校生の探究は、小学生の柔軟な発想を持ちつつ、視野を教室外にも広げ、「自分は世の中の〇〇係」と考え、社会へ発信する。
必要に応じて自らで人を集め、組織化する。
「〇〇係」はやがて仕事や職の選択に繋がっていくと考えます。

短所

  • 将来につながる学問的な追究を保障できない

  • 各教師に臨機応変な判断が求められる

世直しスタートアップ式では、学問的な追究を保障しづらい面があります。学問的な追究ができないわけではありません。しかし、生徒が進学したい分野と探究で求められる学問の一致があまり起きないのです。
例えば、マンションの駐輪場でカラスによる被害が多発し、住民が困っているので、カラス対策をするというテーマで探究をはじめる生徒がいます。
カラスの習性の理解など生物学の見地から解決に迫ってくことが可能です。または、動物心理や色彩などの学問的な学びもあるかもしれません。
課題研究式であれば探究テーマが「自身の興味」から始まるので、カラスの習性を探究する子はそもそも動物に興味がある子です。学ぶほどに興味が増し、進学先の選択につながることが多くあります。
しかし、世直しスタートアップ式では「困った」から探究をスタートするので、カラスの習性を探究する子が動物に興味があるとは限りません。運動に興味があり、大学ではスポーツ科学を学びたいと考えている子が、たまたま自宅マンションの駐輪場でカラスに困っていただけかもしれません。
この場合、探究のプロセスを学んだり、試行錯誤を経験したりと探究で学べるものは多くありますが、カラスの習性を学ぶこと自体はこの生徒が将来追究する学問ではありません。
もし、この生徒が「野球をやっている弟が肘を痛めて困っている」から探究をスタートするのであれば、探究内容は進学後の学問につながるでしょうが、そんな都合の良い「誰かの困った」に遭遇するとは限りません。

世直しスタートアップ式では、生徒がどんなプロジェクトを考え出すかわからないため、教師は「指導者」ではなく「伴走者」になります。
自分も知らない分野を一緒に探究する必要があります。
また、教師が探究をコントロールしないため、千差万別の想定外の状況が生まれ、教師には判断が迫られます。
例えば、探究の過程で学校外の人に連絡をとる必要が出てきた際は、生徒にとらせるのか、教師がとるのか、学校長名で依頼状が必要か。
土日に生徒だけで訪問させて大丈夫な相手か、自分もついていくか。
募金を実施したいと生徒がいれば許可するか、クラウドファンディングは実施して良いか。それはどの生徒の探究でも許可されるのか。それとも基準があるのか。
まさに「伴走者」として一緒に試行錯誤するしかありません。
教師自身の成長機会と考えられれば、これは長所にもなります。


どの探究のパターンが将来に活きる?

どの方式も組み合わせたり、アレンジしたりすることでより良い形になっていくと思います。
それぞれに長所と短所があるので、これから探究プログラムを開発する場合は、どれを選べば良いのか迷ってしまうかもしれません。

また、これから探究プログラムを開発する高校では
「どの探究が入試に役立つの?」という見方をする先生もいるかもしれません。
一つ私がなるほどと思った話を紹介します。

2021年の夏に産業能率大学さんが主催する高校の先生方向けのセミナーにお呼びいただいた時のことです。
産能大さんのセミナーは運営のスタッフに学生が参加されています。運営スタッフをすることが学生にとっての学びと位置づけられているのではないかと思います。
「おもしろいなぁ〜」と思いながらリハーサルを終え、本番前に控室でお昼ご飯を食べました。
そこで偶然、京都大学の先生とご一緒し、お話を聞かせていただく機会を得ました。その際に「なるほど」と思ったことです。

  • 京都大学も産業能率大学も総合型選抜など特色ある入試に積極的

  • でも、入試で見ているものの傾向が異なる

  • 京都大学は課題研究などを積んだ子を見る気がする

  • 産能大はプロジェクトを発信・実行した子を見る印象

  • 両大学が4年後に学部を卒業した子に求める姿の違い

  • 京都大学は研究職に進める学生の素地を求める

  • 産能大は起業できる学生の素地を求める

多分に私の解釈が入っていますが、ざっくり言うとこういうお話でした。

私は大学入試のために探究に取り組ませることは考えていませんでしたし、進学、就職に限らず、高校では皆が探究に取り組んだ方が良いと考えています。
探究のプロセスを学ぶこと、試行錯誤すること、「誰かの困った」を解決しようとすることが皆の人生において大切な経験となると考えるからです。

でも同時に、頑張って取り組んだ探究がその子のキャリアに有効活用できるならば、それは良いと思います。
ですから自校の生徒の高校卒業時や大学を卒業時の、社会に出る際の姿を想像して、高校時代に探究でどんな経験をさせるべきか見極める必要があります。

冒頭にも書きましたが、他校の優れた探究の実践を見ると真似したくなります。
しかし、無闇に真似をするのが危険だと私が考えている理由の一つがこれです。
他校と自校では生徒たちが将来目ざすもの、なりたいもの、就きたい職の傾向が違います。

自校の生徒たちに何を求めるのか、目ざす姿、積ませたい経験を職員間でしっかりと共有し、それぞれのパターンの長所と短所を確認した上で、自校の生徒たちに合った探究プログラムをつくっていくこと大切だと思います。
探究のゴールの発表の姿の見栄えで選ぶことではありません。

他校の実践を無闇に真似することが危険だと考える理由は他にもあるので、別の機会にまとめます。

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