見出し画像

抗がん剤とドラクエと私

乳がんの術後の化学療法で、私に投与される予定の薬剤は2つ。抗がん剤のパクリタキセルと、分子標的薬のハーセプチンだ。最初は2つ同時に週1で12回、その後はハーセプチンを3週間おきに9か月というスケジュールになっている。

使用する薬剤やこのスケジュールは、主治医のH先生が勝手に決めたわけでも、私が「じゃあ、これとこれで」と気ままに決めたわけでもない。日本乳癌学会の診療ガイドラインに則って、私の乳がんのステージやサブタイプに合わせて決められたものだ。勝手や気ままで決めちゃダメ、絶対。

そんなしっかり&がっちりと決められた化学療法の薬剤について、化学療法室の担当の薬剤師・Yさんからオリエンテーションを受けることになった。化学療法室の片隅にある、ちょっと薄暗い部屋で、テーブルを挟んでYさんと向かい合せで座った。

「まず申し上げたいのは、抗がん剤を必要以上に怖がらないでいただきたいということです」

グレーヘアーがすてきなYさんは、おっとりとした口調ながらも、ちょっとだけ声を強めた。

「抗がん剤を『毒』だなんておっしゃる人もいるようですが、本当に毒だったら体には入れられませんからねぇ」

確かにそのとおりだ。私が思わず「そうですよね」と相づちを打つと、Yさんは微笑んでくれた。あまりにも抗がん剤を怖がり過ぎると、過剰反応を起こしてしまい、点滴のボトルを見ただけで吐き気を催すこともあるそうだ。

「それに、この抗がん剤は1週間に一度の投与ができるものなのですから、反応に個人差はあれど、所詮その程度の強さの薬剤だと思ってください」

これまた確かにそのとおりだ。抗がん剤は毒でもなければ敵でもない。ただの薬剤なのだ。ちょっと扱いが厄介なだけで、所詮お薬手帳にシールで名前を貼られる程度のものだ。

しかしそれでも、抗がん剤の副作用が大変なのは事実なので、そのへんもYさんはしっかりと説明してくれた。

今回投与される抗がん剤のパクリタキセルの代表的な副作用は、脱毛と末梢神経障害。脱毛は辛いものではあるが、パクリタキセルの投与が終われば再び生えてくるし、髪が生え揃うまではウィッグで過ごせばいい。

問題は末梢神経障害のほうだ。これは簡単にいうと手足の痺れのことで、投与終了後にも残ってしまい、長い人だと投与後5年近くも痺れを感じてしまうらしい。

「それをなるべく防ぐために、投与時に手足を冷やすグローブを使っていただいています」

これは投与15分前から投与中にかけて手足を冷やし、血管を収縮させ、薬剤がその部分に行きにくくする対策だという。化学療法に対する超物理的防御。敵の強い魔法に対して、「マジックシールド」とか「みずのはごろも」などの防具で対抗する感じだろうか。ドラクエか。

また、パクリタキセルの副作用によって、便秘または下痢を起こすことが多いらしい。便秘 or 下痢。真逆じゃん……。

「ふだんの生活では、どちらの症状が起こりやすいですか?」

Yさんに訊かれて、食い気味に「便秘です!」と答えた。もともと胃腸全体が弱く、いろんな症状を起こしてきたけれど、もっとも私を悩ませているのは便秘だ(ちなみにこのときも2日間出てなかった)。

「では、便秘薬を処方してもらえるように、H先生にお伝えしておきますね」

Yさんはそう言って、もう一つの薬剤である分子標的薬のハーセプチンの説明へと移った。ハーセプチンのもっとも顕著な副作用は、初回投与後の24時間以内に起こる38℃台の発熱だという。これは4~5割の確立で起こるらしいのだ。

「その場合は、ロキソニンをお出ししますので飲んでください。何にしても、副作用をがまんするメリットはありませんから」

Yさんの口調がまたもや少しだけ強くなった。起こり得る副作用への対処薬はガンガン処方するので、ガンガン飲んでほしいとのことだった。熱や痛みがあったら解熱鎮痛剤、吐き気がしたら吐き気止め、便秘をしたら便秘薬……。副作用対策の作戦名は「ガンガンいこうぜ」じゃなく「ガンガン飲もうぜ」だ。ドラクエか。

そろそろドラクエのたとえがウザくなってきたが、副作用には「ガンガン飲もうぜ」のほかにも、「ガンガン報告しようぜ」の作戦も大事らしい。

副作用が出たら、その症状が小さいうちに主治医に報告して早めに対処することが、後々の健康につながるという。スライムがたくさん出てきたら、合体してキングスライムになる前に全部倒したほうがラクなのと同じだ。結局ドラクエだ。

「1週間に一度の投与は通院が大変だとは思いますが、1週間おきに医師に状況を確認してもらえるというメリットもありますからね。お辛いことはがまんや遠慮などせずに、先生にしっかり話してください」

Yさんがこう言うってことは、きっとがまんや遠慮をされる方が多いのだろう。がまんや遠慮は必要なときもあるけれど、抗がん剤治療では必要でないどころか、かえって邪魔になるのかもしれない。

ならば、この私の太ましい肉体に潜む、慎ましい気持ちは引っ込めたほうがいいってことだ。副作用が出たらH先生に遠慮せずに話ができるよう、今のうちから心臓に毛をボーボーに生やしておくべきだな。抗がん剤で抜けるかもしれないけど。

こうしてYさんとお話しをしたことによって、やっぱり抗がん剤治療は大変なものなんだなぁと実感してしまった。しかし、治療法がしっかりと確立し、そのための薬剤が揃っているということは、幸せなことなんじゃないかなーと思う気持ちもムクムクと湧いてきたのだ。

この世には原因がわからなかったり、治療法が確立していない病気は山ほどあって、それに苦しんでいる人もたくさんいる。ならば、たとえ辛い治療法であっても、その確立に至った道のりに感謝しながら、粛々と受けるのがいいに決まっているじゃないか――それが私の抗がん剤治療に対する結論だった。

そのことをYさんに言うと、「本当にそうですよ!」と頷いてくれた。

「その前向きな気持ちを忘れずに、一緒に治療を進めていきましょうね」

Yさんに言われて、「そうか、これが前向きってやつなのかー」と他人事のように思いながら、ヘヘヘと照れ笑いをしてしまった。ヘヘヘヘ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?