見出し画像

昆布と潮風に巻かれて

ごめん。お手数をかけちゃいます。

何の手数かといえば、私のnoteの記事を2つ読んでいただくことです。

今回書くことは、これまでnoteに書いてきた、「根室での地獄巡り」の話とつながっていますので、よろしければ下の記事を先にお読みください。

『サカナとヤクザ』と私と根室
涙は雪で溶かすのが吉

では、今回の話を始めます。



父が亡くなり、「父の商売の売掛金の回収」という名目で、11歳の私が母と根室を歩き回っていたときのことだ。

根室には1週間ほど滞在する予定だった。正直いって時間が足りない。父が根室の市街地だけでなく、根室半島の先端のほうにも商売を広げていたためだ。

市街地の宿を拠点にして動くと、半島の先端までは片道1時間ほどかかってしまう。しかもその一帯には、宿はほとんど存在しない。そこで、その地域に住むKさんのお宅に泊まらせてもらい、集金をすることにした。

Kさんは父の飲み友達で、昆布漁師だった。羅臼昆布や日高昆布といった出汁昆布とは違い、根室の昆布は「食べる昆布」だ。長昆布という、その名のとおり長くやわらかい昆布。おでんや佃煮などでおなじみのアレだ。

3世代7人家族のKさんのご一家が住む地域には、電車も通ってなければ、バスもほとんど通っていない。道路もメインストリート1本しかなく、車を見るよりもクマと出合う確率のほうが高そうな地域。

テレビもラジオもあるので、『俺ら東京さ行くだ』の世界よりはマシな地域だけれど、五十歩百歩というか、目くそ鼻くそというか。

根室の市街地からバスに乗る。バス停間の距離が恐ろしく長いので、1回の停車ごとに料金表示が100円単位で跳ね上がる。大人料金が1000円を超えたところで、バスを降りた。そこがどうやら、Kさん宅にもっとも近いバス停だったようだ。

外に出たとたん、塩分を含んだ空気が鼻の奥と肌に貼りついてくる。冷たいくせにぬるい。気持ち悪いな、と思っていると、母がバス停近くにある公衆電話で話している。しばらくして、Kさんが車で迎えに来てくれた。

トヨタのクラウンが、目の前に停まる。当時の国産最高級の車が、「車もそれほど走ってねぇ」「おまわり毎日ぐーるぐる」みたいな漁師町にいきなり現れた。しかも、そこから降りてきたのは、ねじったタオルを頭に巻き、ゴム製の胴長靴をはいたおっさんだった。

「よぐぎたね。乗んな」

全身の毛穴から酒くささを撒き散らしながら、Kさんは言う。ニッ、と笑って見せた口のなかには、金歯がいくつか光る。この地域のなまりなのか、酒焼けした喉のせいなのか、Kさんの話す「か行」は、ぜんぶ濁音だった。

車に乗ろうとドアを開ける。汚い。シートには筆で掃いたような泥汚れがいくつもついていて、マットには土や石が塊になって絡んでいる。そして、微かに生臭い。クラウンが気の毒になる。

「悪ぃね。ぎたねぇべ?」

Kさんが運転席に乗ってきた。さらに生臭さが強まる。几帳面な母がハンカチを敷いた上に腰掛けながら「掃除、しないんですか?」と訊いたら、Kさんは「しねぇ」と即答した。

「ぎたなくなったら、新車にすっがら」

つまり、車を買ったら掃除はせず、汚くなったら新車に乗り換える。最近のエコやSDGsにかかわる人が聞いたら、卒倒ものだ。

Kさんが車の掃除をしないのには、いろいろな理由があるだろう。漁で忙しいとか、だらしないだけだとか。しかし、もっとも大きな理由は、ここの昆布漁師たちの稼ぎがハンパではないことだ。

昆布漁は、1年のなかでもせいぜい4~6か月ほどしか行われない。その時期に、漁師たちは一般的なサラリーマンの給与の3、4年分ほどを稼いでしまう。しかも大して娯楽のない地域なので、使い道のない金が貯まる一方。そうなると、高級車を使い捨てするぐらい、どうってことなくなるに違いない。

ちなみに漁師たちは、休漁期間――つまり1年の半分ほどを、ひたすら酒を飲んで過ごす。だから漁師にはアル中が多いし、肝臓の病気になる人も多い。

あとからわかったことだけれど、このKさんもアル中で、酒乱だった。口に含む水分のほとんどがアルコールで、ルーティンのように毎日奥さんを殴っていた。

アル中が運転する車から、外を見る。海沿いに、広い間隔を置いて豪邸が並んでいる。積雪に耐えられるように建てられた、頑丈な豆腐のような四角い家。どの家にも、海の近くにまで続く敷地がある。そこには、大きめの砂利がびっしりと敷かれていた。

「そごにごんぶを干すんだぁ」とKさんは言った。

長昆布はやわらかく、変形しやすい。ちょっとでもほったらかしにすると、昆布どうしがくっついて、売り物にならなくなる。そこで、船が漁から戻ってくる朝の4時ぐらいには、家族全員が起きて待っていて、採ってきた昆布をすぐに砂利の上に干すらしい。

Kさんには、私よりひとつ上の長女をはじめとして、3人の娘がいた。いちばん下の子は、当時7歳。そんな小さな子でも、学校に行く前に昆布干しを手伝っているという。

20分ほどでKさんの家についた。車窓から見てきたどの豪邸よりも、立派な家だった。とにかく広い。玄関なんて六畳ぐらいあった。広い玄関に、所狭しと散らばる靴。左右が揃っているのかどうかもあやしいほど、いろんな靴がいろんな向きに転がっていた。

「まぁまぁ、よく来たねぇ」

Kさんの母親である、おばあさんが出迎えてくれた。じつは、この一家の本当の主が、このおばあさんだ。おばあさんはここ一帯のトップオブトップだった昆布漁師の一人娘で、婿をもらい、漁場を受け継いできたのだ。

続けて、Kさんの奥さんもやってくる。片目のまわりが紫色に腫れていた。

「ごめんね。こんな顔で」

謝る奥さんの横で、おばあさんが「この嫁はいつまでもドジでね」と言うと、奥さんは俯いてしまった。

その日の夕食は、とても豪勢だった。大皿がいくつもテーブルに並び、どの皿にも料理がてんこ盛りになっている。Kさんの長女のSちゃんに「料理、すごいね」と言ったら、「いつもこんなもんだよ」と平然と返されてしまった。

「由子ちゃん、遠慮しないで食べな」

Kさんの奥さんに言われ、好物の豚の角煮に手をつける。軽く噛むだけで、肉がほろっと崩れる。一気に口にあふれる旨味たっぷりの汁。脂身も臭みがなく、クリームみたいにとろけて舌から喉へと落ちていく。

「スーパーさんが、いい肉を持ってくるんだよ」

私が肉にがっついているのを見て、おばあさんが教えてくれた。この地域には、生活用品や食料品を買えるスーパーがない。まだネットスーパーやネット通販なんてものも存在しない時代。だから、週に3回ほどやってくる、移動スーパーだけが頼りだという。

荷台部分に商品を陳列する棚を設けた軽トラ。それが移動スーパーだ。話を聞く限り、この地域にやってくる移動スーパーは、正確にいうと「移動高級スーパー」だった。

移動スーパーの人だって、商売人だ。この地域の家庭が「金余り」であることを知っているのだろう。高級食材ばかりを持ってきて、売り付けているようだった。

翌日、たまたま移動スーパーが来ていたのでチラッと覗いてみたら、大根が1本500円ほど。陸の孤島ともいえる地域への運搬費込みの値段設定だとしても、かなりの品質のものを販売しているようだった。

食事のあとで、大人たちはリビングで酒を飲みながらダラダラと話をしていた。私はその片隅にある巨大なテレビで、Kさんの娘さんたちとファミコンでゲームをしていた。

反射神経が悪く、何体もマリオを殺してしまった私は、Kさんの娘さんたちのプレイの様子を見ることに専念しながら、大人たちの会話をこっそり聞いていた。

「○○さんが、シケで死んでよぉ」

Kさんの父親である、おじいさんが言う。シケとは、風や雨の影響で荒れた海のことだ。つまり、○○さんという漁師が、荒れた海に漁に出て、死んだということだ。

「△△さんもだ。シゲでな」

Kさんも続けて言う。そんなにシケで死ぬ人がいるのか。漁師って大変だな――そのときは、それぐらいにしか思っていなかった。

でも、ふと疑問が湧く。なぜわざわざ、シケの日に漁に出るのだろう?

悪天候のほうが漁がうまくいくのだろうか? それとも、シケの日にしか取れない魚がいるのだろうか?

そのことをSちゃんに訊いてみたら、少し黙ったあとで、「わかんない」と答えた。素直な私は、Sちゃんを追い詰めることもなく、「そっかー」とすんなり納得してしまった。

しかし、素直さが次第に減ってくると、私にもわかってくる。荒れた海には、だれも近寄らない。漁師ならばとくに。シケた海の怖さを知っているから。

だからこそ、シケの日に漁に出る。それは、ほかの漁師が海に来ないからだ。人に見つからないからだ。

人に見つかってはいけない漁。それは密漁しかない。つまり、「シケで死んだ」ということは、「密漁で死んだ」ということだ。

私の母も漁師の娘だ。「シケの日に漁に出るバカなんて、ふつうの漁師にはいないさ」と言っていた。“ふつう”という部分を強調して。

「でもね、密漁ってなぜか、ほかの漁師にはバレるんだよ。どんなに隠しても。不思議なもんでね」
「へー。なんで?」
「わかんない。でも、バレる」

母がそれ以上話そうとしないので、私は仕方なく「そっかー」と言う。海のなかでひっそりと起こる変化や企みが、漁師には見えているのかもしれないな、と思いながら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?