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【小説】インクルージョン〜内包されたもの〜3

 失ったものを数え上げればきりがない。
 思考はとりとめもなく、イメージを数珠繋ぎに浮かび上がらせる。

 大好きだった母方のおばあちゃんは3年前に心臓の病気で亡くなった。住んでいた山小屋のような一軒家も今はもうない。小さい頃は長期休暇のたびに泊まりにいったものだ。使い込まれてとても落ち着く台所。大きな釜みたいなお風呂。季節の野菜が実り、色とりどりの花を咲かせる庭。干し柿や干し大根を吊るした軒先。おばあちゃんの作る山菜料理。私の愛したそれらはどこにもなく、あの家も跡形もなく取り壊されてしまった。

 次に浮かぶのはいとこの深雪ちゃんの姿で、手足がすらりと伸びた活発な少女だった。本当に私のいとこかと不思議なくらい恵まれた容姿をしていた。私と違ってぼんやりとしたところがなく、くるくるとよく動いたし、動くたびに世界が少しだけ鮮やかさを増したように見えた。魔法みたいだ。みんなが彼女に心を動かされる。彼女が難病におかされ、余命宣告を受けたと聞いても、私には到底信じられなかった。痩せた体を病院のベッドに横たえ、知人の誰にも会いたくないと言っているらしい。

 高校の時に仲のよかった沙織は、心を病んでリストカットを繰り返している。私は適当に手を抜いて、時々学校をサボったりしていたけれど、沙織はそういうことができない子だった。宿題を忘れて叱られることも、テストで赤点を取って補習を受けることもなかった。女子同士の微妙な関係性の中でいつも人一倍気を遣って、他人の話をうんうんと聞いている姿が思い出される。彼女について、私は何か知っていただろうか。裕福な家の子だったが、家族のことはあまり話さなかった。私はなぜもっと沙織に寄り添うことができなかったのだろう。

 脳内の映像はいつしか、マンションの植え込みに棲みついている親子の猫へと切り替わっていた。猫たちもまた、唐突に失われた。母猫は「みつこさん」、子猫は「もきち」という渋めの名前で呼び、時々食べ物をあげたりしていた。それがある日、姿が見えなくなった。あちこち探し回った後、胸騒ぎがしてもう一度マンションに戻ると、掲示板に貼り紙があった。
『当マンション内に猫が棲みついていると苦情がありました。保護しようとしたところ、逃げ出して掃除用具入れに侵入し中に閉じ込められたため、保健所に連絡して無事確保いたしました。お騒がせいたしました。』

 そこまで連想すると目眩がして、失ったものを数え上げるのをやめた。

*_*_*_*_*_*_*_*_*

 にがよもぎ博士の片方の目は義眼で、頬の左側に流した長い前髪で隠されている。隠された義眼の虹彩の部分が綺麗な暗緑色だということに気がついてしまい、私はついつい髪の毛に隠された奥を覗き込むようにしてしまった。にがよもぎ博士は、落ち着かないように生きている方の目を泳がせ、
「わたくしの、め、眼には石が嵌め込まれているのです」
と言った。まるで言い訳でもするように。
「綺麗……もっとよく見たいです」
 どうして、そんなに不躾なことをしてしまったのだろう。看板もない診療所の一室で、私は石に魅入られたように身を乗り出してしまった。にがよもぎ博士はへどもどと一層落ち着かない様子になって、要領を得ない説明を始めるのだった。

「わたくしの、ひ、瞳は、分類上はジェダイトに近い組成の石で、暗緑色のものをクロロメラナイトと言います。わたくしの、め、眼に嵌め込まれているのは、この石です」
「ジェダイト?」
「ええ、クロロメラナイトはジェダイトのいとこくらいに当たるでしょうか。……あなたがわかりにくいようなら、翡翠と呼んでも構いません。わたくしの、こ、こ、これは鉄分を多く含んでいて、このように暗い緑色になるのです」

 博士は「眼」と発音するのを回避しようとしているのか、「これ」と言って眼窩のあたりを指し示した。それでもやっぱり、眼を表す指示代名詞をうまく発音することができないようだった。
「ふうん」
 私は説明よりも、もっとその暗緑色の石が見たかったのだけれど、博士は私の視線を避けて顔を背けてしまった。にがよもぎ博士は心理療法士で、専門は催眠療法だと聞いている。ひとの心の問題を扱う専門家だというのに、なんだか博士自体が何かしらの問題にさいなまれているように見受けられた。

〈つづく〉

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