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【散文】7・戦車はケルビムの炎の翼

 炎の戦車は旧約のエゼキエル書の中に登場する、四つの顔を持つ奇怪な生き物=ケルビムの幻視に由来する。エゼキエルが捕囚たちと川のほとりに立っていると、突然激しい風が大いなる雲を巻き起こし、火を発し、周囲に光を放ちながら近づいてくるのだった。

 その火の中には、琥珀金の輝きのようなものがあった。またその中には、四つの生き物の姿があった。その有り様はこうであった。彼らは人間のようなものであった。それぞれが四つの顔を持ち、四つの翼を持っていた。
 脚はまっすぐで、足の裏は仔牛の足の裏に似ており、磨いた青銅が輝くように光を放っていた。また、翼の下には四つの方向に人間の手があった。四つとも、それぞれの顔と翼を持っていた。翼は互いに触れ合っていた。それらは移動する時向きを変えず、それぞれの顔の向いている方に進んだ。その顔は人間の顔のようであり、四つとも右に獅子の顔、左に牛の顔、四つとも後ろには鷲の顔を持っていた。
……

エゼキエル書 第一章より

 異形のものはそれぞれに翼を持っており、一対は上方に広げられ、一対は互いに触れ合って、一対はその体を覆うようだったという。その間を松明のように行き来するものがあり、火からは稲妻が出ていた。
 とにかく幻視には「〜のようなもの」という表現が多用され、いわく言い難いもの、言葉で表現することのできないものであったことが読み取れる。

 炎の戦車はメルカバーとも呼ばれる。エゼキエルは『車輪の中の車輪』と表現している。エゼキエルは天界を垣間見た預言者である。このことから、魂を天界へ上昇させて、神の玉座に到達する秘儀との結びつきが強い。
 古いユダヤ教神秘主義には、天界への乗り物としてのメルカバーという発想があった。神秘主義的瞑想の中で、炎の戦車は秘儀参入者をいと高きところへと誘うのだった。

 タロットカードの7番「戦車」の中には1番から6番までのカードに記されていた寓意が、すべて含まれている。1番「魔術師」の持っていたワンドは戦車に乗った若者の手にも握られているし、2番「女教皇」の背後にそびえていた白黒2本の柱は、戦車を引く白黒2頭のスフィンクスとなって相反する対をなすものを象徴している。3番「女帝」の星々の冠は星の散りばめられた天蓋となり、4番「皇帝」の権力と支配の象徴であるスクエアは胸飾りとなった。5番「法王」の光と完全性は月に顔のついた肩当てによって象徴され、6番「恋人たち」の男性性と女性性の融合のシンボルは、戦車についた有翼円盤とコマの飾りに示されている。

 7というのは秘教において、一つの完成を示す数であり、そのサイクルすべてを集約するパワフルな数とされている。女帝の3と皇帝の4を足した数でもあり、女性原理と男性原理が結合した姿なのだ。
 7は特別な数である。知恵と自己充足を意味する、とピュタゴラスは考えていた。三角形は正四面体を作り、四角形は正六面体を作るが、7はどの立方体とも関係しなかった。それゆえ、7は自ら生まれた数であると考えられた。
 ピュタゴラスの時代、天空を移動する惑星は7つと考えられていたし、天球層の第7天は天上の楽園に達する直前の至上の喜びを表していた。7惑星の配列は星読みにおいて重要な事柄とされ、音階の7音も天界の数に呼応する神聖な宇宙の音楽に通じていた。虹のスペクトルが7色とされるのも、これに類するものだろう。

 戦車は戦争の道具であり、エネルギッシュでスピード感のあるイメージを持つが、タロットの絵柄は意外にも静的な印象だ。それは力強く牽引するはずの馬のポジションに、白黒のスフィンクスが座しているからだ。
 それは本来、ただ力任せでは御すことのできない、天界の乗り物メルカバーのイメージを引きずっているからかもしれない。描かれているのは、単なる戦争の道具ではないのだ。


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