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俺たち、勝って、まだまだバレンさんとボクシングがしたいんです。2021.7.3伊藤雅雪VS細川バレンタイン後編


奥村健太をトレーナーとして起用したのはバレンタインだった。麻生興一(三迫)とのタイトルマッチを控えて、トレーナー未経験の奥村で大丈夫なのか、と不安視する周囲に対し、俺が見込んだ男だから大丈夫だとバレンタインは太鼓判を押した。

田部井要は、バレンタインがボクシングを始めた宮田ジムでのジムメイトだった。小学五年生から後楽園ホールに通い、専門誌を愛読し、のちに自身もプロデビューした田部井には膨大な知識の蓄積があり、加えて洞察力と分析力を備えていた。バレンタインは早くから個人的に影の参謀役として彼の頭脳を頼りにしてきていた。引退後、家業を継いでいた田部井を角海老宝石ジムのトレーナーに推薦したのもバレンタインだった。

チームバレンを結成後、「本気で生きる」を体現するバレンタインは自分に課す厳しさを二人にも求めた。ボクシング哲学に人生哲学、ストイックさ、情熱、本気。年長者である自分が彼らを育てるという使命感もあった。
バレンタインのことを、繁とか繁くんと呼ぶ田部井は、
「今の僕なら、繁くんの厳しさや烈しさが、愛情で、不安や焦りの裏返しでもあったとわかるし、うまく受け流して彼の恐れや疑問にヒントや道筋を与えてあげられる。僕と奥村に心を開いてくれているからこそ甘えてくれた部分があったんだと思います。でも駆け出しトレーナーだった僕には、彼が口に出せない気持ちを推し量ることや、要求に対応する経験も度量もなかった」
奥村も同じことを言った。
「バレンさんを勝たせたい。自分にできることは何でもしたい。でもその気持ちだけでは、バレンさんの期待と設定するハードルに届かなかったんです。トレーナーとしても人としても未熟、でした」

二人はキャパオーバーになった。
それをボクシングに再び自分の居場所を作ってくれた恩人に、面と向かっては伝えられなかった。
そのことをバレンタインは会長から聞いた。

……誰に話せなくても俺にだけは言える、俺たち、そういう仲だったんじゃねえのかよ……。

バレンタインはその時の心情を、「完膚なきまで叩きのめされた気分だった」と言った。
浩樹戦のときにチームの記事を書いてくれたから、加茂さんにはきちんと報告しないと。そう思っていたと、一部始終を話をしてくれたのは、チームの解散から数ヶ月したころだった。
バレンタインの失意はひどかった。
「俺もいけなかったと反省してるんです。感情を抑えられなかったり、言葉が過ぎたりした。たぶん根底にね、二人をトレーナーに起用したのは自分。俺の愛は示しただろと傲慢になっていたところがあったんだと思う。あいつらなら受け止めてくれるという甘えもあったと思います。
でもね、俺たち腹を割って話せる、そういう仲じゃなかったのかよ……。それが悔しくて悲しくてたまらないんです」
怒りと哀しみがない交ぜ。心情を話すバレンタインは、奈落の底に突き落とされて、暗闇の中、一人、膝を抱えて震えている小さな男の子にしか見えなかった。

「本音で話し合えないなら一緒にやる意味がないと思う」
二人と決別したバレンタインは、その後一年と少し、ベテランの洪東植(ホン・ドンシク)トレーナーに基礎を徹底して叩き込まれた。
二人で日本ライト級王者・吉野修一郎(三迫)に挑んだが、結果は敗北。その一戦のあと、様々な事情あってバレンタインは「感謝しかない」という彼の元を卒業することになり、後継者を誰にするかジム内で話し合いがあった。

「僕が繁を復活させます」


手を挙げたのは田部井だった。奥村もあとに続いた。
今年のはじめ、伊藤戦が内定するあたりのことだ。
田部井の意志を聞いたバレンタインは、「俺からも頼みたい。俺を見て欲しい」と頭を下げた。


きっと元には戻れない、そうずっと三人は思っていた。
だが田部井の両親と妻は、「必ず雪解けの時が来るよ」と言い続けていたという。

そんな時は来ないよ……。そのたび答える田部井は、だが「実は離れたあと、繁くんのことはずっと気になっていた」
奥村もまた、バレンとの濃密だったあの日々が「恋しかったですし、寂しかったんです」
バレンタインもまた、「あの二人の、担当選手に身も心も投げ打つような懸命さは、かけがいのないものだったこと。以前の俺は当たり前と思っていたその全力で向かってきてくれることがどけだけ幸せなことだったか、気づいたんですよ……」

離れていた期間にそれぞれが経験値を積んだ。田部井と奥村は何人もの担当選手を抱え、日本王者も作った。
「何よりほかの人と組んで、人との向き合い方を学んだと思います」
三人が三人、口を揃えた。

復縁するにあたり、田部井はバレンタインに決意を告げた。
「もうね、今の俺、出血一つに動揺していた新人トレーナーじゃないよ。プロのトレーナーとして繁くんに向き合う。だから俺と奥村を信頼して頼ってほしい」
その本気をバレンタインは「嬉しく、頼もしく」受け取った。
「田部井は俺がボクシングを始めたころから知っているわけです。彼の頭脳だけじゃなくてね、この共有した時間を埋められるトレーナーはほかにはいない。
奥村は何がすげえかっていうと、やっぱりハート。田部井もだけど絶対に手を抜かない。目の前の奥村が絶対に手を抜かないから、俺も絶対に手を抜けなくなる」

「ボクシングって究極は自分の我を思い切りぶっ通す人が勝っていくけど、ただがむしゃらに通そうとしても通らない。それがわかってきたし、駆け引きという言葉が嫌いなんだけどやっぱり必要なんだなと思います。それは人間関係もそう。40歳にもなっててめぇ何言ってるんだって話なんだけど、我をどう出すかとか、言い方をどうするか、そういうところまで考えられるようになったので、40歳のバレンは少し大人になったと思います」
 そう言って、バレンタインは少し恥ずかしそうに笑った。

「あの頃バレンさんのこと嫌いでした」と奥村が言えば、「俺もだよ!!」とバレンタインが返す。そうして三人でぷっと吹き出す。
チームの復活後、「俺、やっぱりこの人が大好きだ」とバレンタインの熱量に触れるたび思う、と田部井も奥村が言えば

「きつい経験をしたけど、だからこそもう何があっても揺るがない、最強のチームになったと思う」とバレンタインが言う。


復縁チームとして、今夜が初めて試合になる。

「俺の身体能力、洪さんの基礎とガード、田部井の頭脳、奥村のハート。一番いいところだけを追求して融合したスタイルに仕上がったと思います」
バレンタインは、40歳の今の俺が一番強い、と言う。

「今の彼は、細川バレンタイン史上最強の細川バレンタインです」
 二人のトレーナーも自信を隠さない。
そして「必ず結果を出す」と言った。

だって俺たち、勝ってまだまだバレンさんとボクシングをしたいんですよーー

                         (文中敬称略)

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角海老宝石ジム提供

計量前日。練習を打ち上げたチームバレン。

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ありがとうございます😹 ボクシング万歳