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「かもしれない」の科学コミュニケーション ~科学の「未知の窓」をどう伝えるか~

桝太一氏が日本テレビを退社し、同志社大学の助教になるというニュースによって「科学コミュニケーション」や「科学を伝える」ということについて注目度が高まった。

雑誌『現代化学』の1月号では、その桝氏が「桝太一が聞く『サイエンスコミュニケーションの今』」という企画でノーベル賞受賞者である大隅良典氏と対談を行っている。

「人と違うことを恐れず夢中になれることを見つけよう」というメッセージについての質問に関して、大隅氏が以下のようなコメントをしている。後半の「科研費の申請書…」以降の箇所は「科学を伝える」ことにおいて、考えを深めなければいけない点だと感じた。

大隅 講演会で「本当に人と違うことをやってもいいんですか?」と聞いてくる子供がいるんです。そのくらい、今の日本人に欠けていることかもしれません。確かにみんながやっていることなら安心感がありますが、それは科学とは真逆の考え方です。科学は他人と違った見方をしたり、他人がやらなかったことをやってみて新しい発見をするものですから。ですが、自分ではおもしろい成果が出たと思っても、社会が認めてくれない場合は研究費を返しなさい、と言われて科学をやっていても楽しくないですよね。科研費の申請書なんかでも研究の社会的なインパクトを書かされるのですが、私はそれも止めた方がいいとずっと言っています。たとえば、オートファジーの研究をしたらがんが治るかもしれません、のように「かもしれない」と加えたらどんなことも言えてしまいますよ。

【対談】桝 太一が聞く「サイエンスコミュニケーションの今」
科学を文化に 大隅良典 × 桝 太一 現代化学 2022年1月号 p23

科学を伝える際に「かもしれない」をどのように扱えば良いか。今回のnote記事では、「かもしれない」の科学コミュニケーションについて考えてみたい。


この点について考えるにあたって、思い出した話がある。それは、以前参加した日本サイエンスコミュニケーション協会(JASC)の年会にて聴いた、多摩六都科学館の高柳雄一館長の講演だ。なお、その講演録は以下の文献に掲載されている【高柳雄一「最近、科学の話をするとき、意識したこと」日本科学コミュニケーション協会誌 Vol.9 No.1 p23-p29 (2019)】。

高柳氏の講演では「ジョハリの窓」を用いて基礎科学の重要性を説く箇所があった。「ジョハリの窓」とは自己理解に関する心理学のモデルのことだ。心理学者のジョセフ・ルフトとハリー・インガムが提唱したもので、彼らのFirst nameを繋ぎ合わせて、そう呼ばれているそうだ。とある先生は、「オグシオ」みたいなもの、と言ってた。

ジョハリの窓は、以下の4つの「窓」から構成される。

  • 開放の窓:自分も他人も知っている自己

  • 盲点の窓:自分は気がついていないが、他人は知っている自己

  • 秘密の窓:自分は知っているが、他人は気づいていない自己

  • 未知の窓:誰からもまだ知られていない自己

これを科学研究バージョンにすると、

  • 開放の窓 → 誰でも知っている問い/成果の恩恵

  • 盲点の窓 → 他者が知っている問い/成果の恩恵

  • 秘密の窓 → 自分だけが知っている問い/成果の恩恵

  • 未知の窓 → まだ誰も知らない問い/成果の恩恵

とでもなるだろうか。研究費を獲得するためにアピールするのは科学研究の「秘密の窓」だろう。「この問いを解決すれば、こんな良いことがある」といった具合で説明される。

ただし、基礎科学の場合、「こんな良いことがある」の部分が一般社会への恩恵にすぐに繋がらない場合が多い。しかし、100年後に恩恵に繋がるかもしれない。これはいわば、科学研究の「未知の窓」だと理解できる。ラムズフェルド風に言うと、「Unknown unknowns(未知の未知)」とも言えるだろう。

まだ誰も知らない問いや、その成果の恩恵、つまりは科学研究の「未知の窓」をどうアピールすべきか、どう伝えるかは、科学研究自体の問題であり、科学コミュニケーションの課題だとも思う。

さらに難しい点は、そこには「未知の窓」にどのくらいの費用を投じられるか、という費用対効果の問題もつきまとうことだ。高柳氏はその点について以下のように語っている。

費用対効果の効果を考えるとき、やってみないとわからないこともあるという議論ではなかなか前に進めません。(中略)でも、科学の歴史を見てみると、やってみたおかげで、すごい成果が出た事例がいくらでもあります。しかし、いくらでもあるから、やってよいという話にはならない。

高柳雄一「最近、科学の話をするとき、意識したこと」
日本科学コミュニケーション協会誌 Vol.9 No.1 p23-p29 (2019)

科学研究推進の是非は、KnownとUnknownのせめぎ合いの中、さらには、費用対効果と好奇心の狭間で議論されていく。特に、ビッグサイエンスに位置付けられるよう基礎研究では、その点が極めて重大な問題となるだろう。


ちなみに、桝氏は『現代化学』2月号にて、山中伸弥氏と対談している。こちらも興味深かかった。

なお、今回は科学コミュニケーションの「科学を伝える」という側面のみに着目しているが、僕は「科学を伝える」はあくまで科学コミュニケーションの一要素だと考えていることを付記しておく。


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