「かもしれない」の科学コミュニケーション ~科学の「未知の窓」をどう伝えるか~
桝太一氏が日本テレビを退社し、同志社大学の助教になるというニュースによって「科学コミュニケーション」や「科学を伝える」ということについて注目度が高まった。
雑誌『現代化学』の1月号では、その桝氏が「桝太一が聞く『サイエンスコミュニケーションの今』」という企画でノーベル賞受賞者である大隅良典氏と対談を行っている。
「人と違うことを恐れず夢中になれることを見つけよう」というメッセージについての質問に関して、大隅氏が以下のようなコメントをしている。後半の「科研費の申請書…」以降の箇所は「科学を伝える」ことにおいて、考えを深めなければいけない点だと感じた。
科学を伝える際に「かもしれない」をどのように扱えば良いか。今回のnote記事では、「かもしれない」の科学コミュニケーションについて考えてみたい。
この点について考えるにあたって、思い出した話がある。それは、以前参加した日本サイエンスコミュニケーション協会(JASC)の年会にて聴いた、多摩六都科学館の高柳雄一館長の講演だ。なお、その講演録は以下の文献に掲載されている【高柳雄一「最近、科学の話をするとき、意識したこと」日本科学コミュニケーション協会誌 Vol.9 No.1 p23-p29 (2019)】。
高柳氏の講演では「ジョハリの窓」を用いて基礎科学の重要性を説く箇所があった。「ジョハリの窓」とは自己理解に関する心理学のモデルのことだ。心理学者のジョセフ・ルフトとハリー・インガムが提唱したもので、彼らのFirst nameを繋ぎ合わせて、そう呼ばれているそうだ。とある先生は、「オグシオ」みたいなもの、と言ってた。
ジョハリの窓は、以下の4つの「窓」から構成される。
開放の窓:自分も他人も知っている自己
盲点の窓:自分は気がついていないが、他人は知っている自己
秘密の窓:自分は知っているが、他人は気づいていない自己
未知の窓:誰からもまだ知られていない自己
これを科学研究バージョンにすると、
開放の窓 → 誰でも知っている問い/成果の恩恵
盲点の窓 → 他者が知っている問い/成果の恩恵
秘密の窓 → 自分だけが知っている問い/成果の恩恵
未知の窓 → まだ誰も知らない問い/成果の恩恵
とでもなるだろうか。研究費を獲得するためにアピールするのは科学研究の「秘密の窓」だろう。「この問いを解決すれば、こんな良いことがある」といった具合で説明される。
ただし、基礎科学の場合、「こんな良いことがある」の部分が一般社会への恩恵にすぐに繋がらない場合が多い。しかし、100年後に恩恵に繋がるかもしれない。これはいわば、科学研究の「未知の窓」だと理解できる。ラムズフェルド風に言うと、「Unknown unknowns(未知の未知)」とも言えるだろう。
まだ誰も知らない問いや、その成果の恩恵、つまりは科学研究の「未知の窓」をどうアピールすべきか、どう伝えるかは、科学研究自体の問題であり、科学コミュニケーションの課題だとも思う。
さらに難しい点は、そこには「未知の窓」にどのくらいの費用を投じられるか、という費用対効果の問題もつきまとうことだ。高柳氏はその点について以下のように語っている。
科学研究推進の是非は、KnownとUnknownのせめぎ合いの中、さらには、費用対効果と好奇心の狭間で議論されていく。特に、ビッグサイエンスに位置付けられるよう基礎研究では、その点が極めて重大な問題となるだろう。
ちなみに、桝氏は『現代化学』2月号にて、山中伸弥氏と対談している。こちらも興味深かかった。
なお、今回は科学コミュニケーションの「科学を伝える」という側面のみに着目しているが、僕は「科学を伝える」はあくまで科学コミュニケーションの一要素だと考えていることを付記しておく。