見出し画像

ありがとうの言葉は、たぶん世界を救う。/「#温泉むすめありがとう」について思考してみた


ここ数日、巷をにぎわせている「#温泉むすめありがとう」というハッシュタグ。

これは自称フェミニストたちによる汚い言葉に対して生まれてきた、最強のカウンターパンチだ。

この秀逸で、決して誰も傷つけず、フェミによって放火された火をそのままキャンプファイヤーの火に応用してパーティーしちゃうかのような、鮮やかなカウンターパンチに、普段から差別問題やジェンダー問題を鼻で笑っているだけ(※) の僕も、めちゃくちゃ感じ入るところがあった。
なので、改めて、ここで取り上げたいと思う。

※ちなみに誤解されたくないので言及しておくけれど、差別問題やジェンダー問題自体をバカにしているわけではありません。権利を守ろうと主張を強くした結果、逆に差別発言をしてしまっていることに気付かない自称活動家たちのことをバカにしているだけです。

そもそもの発端は、とあるフェミの発言だった。

事情を知らない、何が起きてるかも全く知らない、という方が読んでくださっているかもなので、ことのあらましだけ触れておこうと思う。

もしかするとだいぶ前から自称フェミニストの間で「温泉むすめ」は有名だったのかもしれないが、僕がまず目にしたのはこんな発言だった。

このツイートを発端に、自称フェミの界隈が大いに燃え盛る。

通りがかりの自称フェミたちが「温泉むすめ」に向けて、醜い論争の火種たる松明ツイートを投げ入れる。
全体の士気が下がってくる頃合いを見計らっては、仁藤夢乃が煽りの旋風ツイートを巻き起こし、火を再び大きくする。
その火を目印に、新手の自称フェミ達が松明片手に群れをなして、はせ参じる。
以下、そのループ。

というような流れで、醜い言葉たちが松明のごとく、次から次へと「温泉むすめ」に投げかけられ、消し炭にしてしまわんという勢いで焦土作戦が敢行された。

いや、もはや松明なんていうマトモなものじゃない。

うんこだ。うんこを投げつけるゴリラだ。

余談だが、ゴリラは気に入らないものに対する威嚇行動として、うんこを投げているわけではなく、うんこを投げたときの逃げ惑う人間のリアクションが面白いから投げているらしい。

つまりは、燃え盛る火により、温泉街で働く人々・制作に携わる大勢のスタッフとキャスト・「温泉むすめ」というコンテンツを愛するファンが傷ついていく様を、万歳三唱あげながら喜んでいる自称フェミたちの精神性もまたゴリラであると言える。

いや、ゴリラは愛嬌があるし、うんこを投げつけられても笑い話になるだけで誰も傷つかないし、自称フェミ達の方がよっぽどタチが悪いか。

とにもかくにも、こうして醜い論争の小さな火種は立派な大火に仕上がってしまったのである。

もともとは室井佑月さんにケンカを吹っかけ、論破されかかった仁藤夢乃が、目をそらすために「温泉むすめ」を利用したという話もあるが、憶測を超えないので、ここで簡単に触れるのみとします。

傷つく「温泉むすめ」側の反撃

醜い言葉の松明を投げつけられ、傷つく「温泉むすめ」を見て、ファンたちも傷つき、見かねた一部の抗戦派ファンたちは、仁藤夢乃陣営のコメ欄に突撃・引用RTを使っての反撃を開始。攻防を繰り広げた。

これはフェミ論争に発展した際によく見る光景の一つだと思う。

なかには過激派ともいえる人間まで現れはじめ、次第に醜い論争へと発展していく。

その渦中で、当の本人である「温泉むすめ」や温泉街の方々は、予想外の反撃に出た。

#温泉むすめありがとう

冒頭にお伝えしたハッシュタグである。

売り言葉に買い言葉。
汝、右のホッペタ殴られたら、相手の左のホッペタにジャーマンスープレックス。
やられたらやり返す。倍返しだ!

という戦い方ではなく、「温泉むすめ」の有意性を示したうえで、「#温泉むすめありがとう」の感謝のハッシュタグを添えたツイートを展開した。

正直、「反撃」という言葉も、ありがとうという愛の言葉の前では不相応な気がする。そのくらい愛に溢れたツイートが一斉に打ち出された。(上にあげているツイートは一部です)

当の本人たちの愛の言葉に、知ってか知らずか、ファンたちも、担当されている声優さんたちも、温泉街の関係者の方たちも、こぞって「#温泉むすめありがとう」の感謝のハッシュタグ付きで、それぞれの想い、温泉地での思い出、「温泉むすめ」を通して出会った素敵なことを話し始めた。

もちろん、世界の片隅で起きていたフェミの大火のことなんか露知らず、純粋な応援と愛の気持ちでつぶやいている人も多いと思う。
でも、反撃の意を持たずにつぶやかれた特上のありがとうも、反撃を意図して言葉にされたありがとうも、どちらも愛が込められているのは間違いない。

これには正直、心が震えた。

そうだよ。そうなんだよ。
醜さは醜さでしか返ってこない。
素敵なものにこそ素敵なものが返ってくるんだ。
そうじゃなきゃ、やってられねえよ。

ありがとうの言葉に込められた愛は、たぶんきっと世界を救う。

そう強く思った。

愛はある。しかし、憎しみの炎は消えない。

燃え盛った炎は、人を傷つける大火ではなく、楽しい気持ちにさせるキャンプファイヤーである。

炎上というものの価値観を鮮やかに塗り替えてしまったように感じている人が多くいる一方、まだ憎しみを抱え、呪いの言葉を込めた松明を投げ続ける人たちも多い。

相変わらず、仁藤夢乃は呪詛の言葉を投げつけているし、それを見ておれもおれもと乗っかっている自称フェミも多い(しかもそれを仁藤夢乃がRTしているという始末)。

女性の権利を、女性の心を守りたいという崇高な志のもと、活動し続けていたはずのフェミニストたちは、いつのころからか、自分にとって都合のいい権利、自分の味方になってくれる女性の心をのみ守りたいという歪曲した矮小な志のもとで活動するようになってしまったらしい。(もちろんフェミニスト全員ではないですよ)

差別問題もジェンダー問題も、人としての当たり前な姿勢を表す「ありがとう」・「ごめんなさい」の心持ちなくして、解決になんか向かうわけがない。
その心持をなくした途端に、本来、忌避すべき差別主義者と同じポージングをとってしまうことになるからだ。
そんなことにも気づかずに、まだまだ憎しみの炎を投げかけている様子を見ていると、人間の愚かしさに脱力してしまう。

その逆に「温泉むすめ」の鮮やかカウンターには見習うべき点が本当に多く、対比させて見てみるとやっぱり勝ち目ないなあと思わざるを得ない。

愛を持って、理解しよう。
愛をこめて言葉を使おう。

自省して、そんな風に思ったけれど、まだまだ僕にはそれが出来なそうだ。
やっぱり腹が立ってしまうし、傷ついたら傷ついたと言って、同情されたり慰めてもらいたいと思うズルさを持ち合わせているから。

そんなまだまだな僕でも、せめて、ありがとうの言葉だけはしっかりと愛をこめて言うようにはしたい。

ここまで、読んでいただきありがとうございました!

追記
激化するフェミ論争によって、さまざまな実害が生まれ始めている現状を「温泉むすめ」サイドは諫めているので、そこまで、過激にならないよう心掛けて、記事を書いているつもりですが、何かあればご一報ください。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?