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【ひっこし日和】13軒目:紅葉丘の二階建て

ひとり暮らしはあっけなく終わった。母が紅葉丘というかわいらしい地名のところに一軒家を借りたので、わたしはそこに出戻った。駅から遠くてかなり年季の入った家だったが、二階建てで広い庭がついている。母は草がぼうぼうだった庭と毎日のように格闘し、そこにきれいなタイルを敷きつめ、わたしが初任給で買ってあげた木製のブランコを置いた。夕飯が終わると、犬を連れてそこへ出て夕涼みするのが母の日課になっていた。

母もわたしも丸くなっていたのでお互いに歩み寄っていろんなことを話し……ていられたらよかったけど、実際は毎日のように大げんかをしていた。けんかのタネの9割は家事をしないわたしに対する文句で、こちらとしては母親なんだから家事ぐらいしてくれたっていいじゃんってことなんだが、あちらの言い分としてはとうにハタチも過ぎたんだから自分のことぐらいやりなさいというわけで、ケンカしては歩み寄り、ケンカしては歩み寄りのくりかえしだった。

なかよしのときは、ふたりでよくブランコに乗って庭を眺めた。母はセミの抜け殻をタッパーに山もり集め、こんなにたくさんのセミが庭から生まれてったのよと誇らしげに見せてくれた(けど気持ち悪かった)。またあるときは温かいコーヒーやミルクを持って外に出て、名前のわからない星が光っているのを指差してたしかめた。あげたことなんてすっかり忘れた昔々の母の日のカーネーションが今年も花をつけたとか、はじめて植えたジャスミンが香りすぎて頭が痛くなって仕方なく抜いたとか、母はわたしが外に出てくるといそいそと庭を紹介してくれた。

この家でのことは言いたいことがいくつもある。結婚するまで住んでいたのもこの家だったから、自分がだれかの子どもという立場でいられたのはここまでだったように思う。

さて、そのなかでもいちばんを選ぶとしたら、やっぱりオートバイの免許をとったことがとても大きい。原付にも乗ったことがなかったのに、二輪免許をとりに教習所へ行った。当時つきあっていた男にはじめてオートバイに乗せてもらったとき、こんなに便利で楽しいものがあるのかとあっさり魅了されたのだった。

もっとも、親は大反対。母はおろか普段わたしの決めたことに文句を言わない父だって大反対も大反対だった。そんなことで引き下がらないわたしは、免許は取るけどバイクは買わないという大嘘を掲げて教習所にかよった。

オートバイの教習所は、それはそれはおもしろかった。車の免許をとったときと違って(というと語弊があるかもしれないが)オートバイの教官たちはみな本気。死ぬか生きるかの世界だもの。死なないように、安全に乗れるように、道で転んでしまっても困らないように、スパルタ指導してくる。オートバイを倒しちゃっても全然助けてくれないし、いつまでも縦列できなかったわたしに「ほら! ここで切り返して! もー、しょうがないなあ。ハイ合格」とか言ってくれない。そんなふうに甘やかしたらわたしが困るってことをちゃんと知っているからだ。

通いはじめたら、オートバイはあっさりと自分のからだに馴染んだ。自転車にはじめて乗れたときのように身体とタイヤが一体化して、すぐにS字も平均台も楽々進めるようになったけれど、最後まで苦戦したのはその重さだった。いったん倒してしまうと、思い切り力を入れてもびくともしない。腕だけで引っ張り上げてもダメで、腰で支えるようにして起こすのだけど、コツを掴むまでに相当な時間がかかった。

いちばん好きなのはギアチェンジ。カタカタとギアを変えて速くしたり遅くしたりするのが楽しくて、ぴかぴかのヤマハSR400というオートバイを買った。買ったんかい! ええ、もちろん買いました。見に行くだけだからって嘘ついて。

トゥクトゥクとエンジンが不安げに鳴る、やや小ぶりのオートバイ。教習所で乗っていたものより軽くて扱いやすく、カスタマイズを楽しむためのオートバイでもあるからごくごくシンプル。

ただ、大変なことがひとつあって、実はエンジンをかけるのにコツがいる。そんなことって普通ないよね。買った本を開くのにコツがいるとか、新しい電子レンジの電源を入れるのにコツがいるとか、そういう話だもの。

どんなふうか簡単に説明すると、SRはキックスタートといってペダルを思い切り踏み下ろさないと、エンジンがかからない仕組みになっている。今やほとんどのオートバイはボタンひとつでエンジンがかかるというのに、いちいちペダルに足をかけて立ち上がり、片足だけ思い切り下ろすという動作を繰り返すわけです。

これが恐ろしく大変で、まず寒い時期はどんなにやってもなかなかかからない。真冬の小雨降る中で何十回もキックしてようやくかかった……ということはザラで、夏でももろもろうまくいってないとかからない。かかったときにはもう汗だく。でもそういうひねくれたところが好きだった。

新しいSRに乗ってルンルンで帰ってきたわたしを母は呆れた顔で出迎え、「やっぱりね」と言った。そうしてかわいいブランコのある庭の前にドーンとオートバイを停めることになり、近所の人からは「お宅、お嬢さんだけだったんじゃなかったかしら」と言われる始末。でもこれが、のちのわたしを救う足になったのだった。

実はある日いつものように通勤電車に乗ろうと思ったら足が動かなくなってなり、そこからまったく電車に乗れなくなってしまったのだった。慣れている京王線だったのに、調布を過ぎたら新宿まで扉が開かないと思うと怖くてたまらなくなり、各駅停車でやりすごそうと思ったけどダメだった。

駅まで行っては家に帰る日を繰り返し、あるときハッとオートバイに乗って行ってみようと思い立った。ちょうど会社が国道20号沿いにあったので、紅葉丘の家からすぐ20号に出て、ずうっとずうっとひたすらまっすぐに行けば着いた。

雨の日も風の日も暑い日も寒い日も。
調布、つつじヶ丘、烏山、幡ヶ谷、初台。ずっとずっと。

家の前でブルンとエンジンが機嫌よくかかれば、跨っているだけで会社に着く。終電も気にしなくていいし、どこにでも停められた(昔はオートバイの路上駐車が当たり前だった)し、これほどありがたい乗り物はなかった。

いまは手放してしまったうえに、子どもを産んだときうっかり免許を失効してしまった。車はなんとか仮免許から取り直せたけれど、二輪の免許は未だ持っていないまま。でもなんだか楽しみなのだ。
いつかまた、あの教習所に通える。


つづく

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