見出し画像

【ひっこし日和】12軒目:東京タワーが見える部屋

実は会社で働きはじめる前、数年バブリーな時代があった。いろいろ伏せさせていただくが、ギャラのいい仕事をしていたのでとにかくえらくお金を持っていた。洋服を買いに行って値札も見ずに、これ気に入ったから色違いのも三色買っとこうかな、みたいな生活である。であるって言われても困るだろうけどさ。

たくさん稼いでしまうと使いきれないもんなんだなあなんて思っていたんだからしょうもない。お金の使い方というものを知らなかった。いろんな呪縛が解けて糸の切れた凧のように浮ついていて、自分がどっちの方向にむかって生きてんだかわからなかったけれど、それをどうにかしなければという頭だけは常にあって、なんとか地に足をつけたかった。

それで、ひとり暮らしをはじめた。

今考えると末恐ろしいが、わたしが現在子どもたちと住んでいる家よりも遥かに家賃が高いのに狭くて駅も遠い。ええ、窓から東京タワーが見えるっていうだけで決めました。トレンディドラマか。東京タワーになんか全然興味ないのになぜそれを決め手にしたのかさっぱりわからない。なんとなくひとり暮らしするなら東京タワーだろうって思ってた。

それは窓からほんのちょこんと頭だけが光って見えるだけだったが、不動産屋は部屋に入るなりここから東京タワーが見えますよと言ったし、部屋に来た友だちは多分全員が東京タワーが見えるんだ! と言った。ほんのミニチュアサイズで見えるだけでもじゅうぶんすぎる存在感があり、ただの景色が絵画に思えた。

その部屋に住んでしばらくして、実ははじめて手術というものをした。指の先がもげるほど包丁で切ってしまっても縫わないと頑なに言ったわたしがどうしても手術で取り戻したかったもの。それは、視力だった。

小学5年生からメガネをかけはじめ、あれよあれよというまにもう何も見えなくなってしまうのではと思うくらいまで視力が落ちた。朝起きてまずメガネをかけないと何もできないし、コンタクトにおいては一度も違和感を拭い去れなかった。

目が悪いのって化粧をするときが大変なのだ。メガネをしていてはアイメイクできないし、コンタクトをしていると目元に触るのが怖い。拡大鏡を買って化粧するしかなかったが、それでもホントにちゃんとアイラインが引けてるのかたいして見えてなかった。

それから待ち合わせのときがいや。コンタクトをしていても視力に自信がないので、顔を上げて堂々と人を探すことができない。絶対にまだ相手がきてないだろうっていう15分前には到着しておいて、下を向いて立っている。誰かが見つけてくれるのを待っているしかできなかった。

あとは急に泊まったりできない。コンタクトの洗浄液がない。メガネも持ってきてない。だから今日は帰る、と言ったことが恋を邪魔したのか自分を守ったのかどうなのか。

視力がほしい。洋服なんていらないからお金で視力が買えたらいい。そう願ってたら、視力を回復することができるレーシックという手術があると友だちが教えてくれた。

当時はレーシックに使用する機械がまだ日本で認可されていなかったようで(といっても違法ではない)わずかな人たちがやりはじめたばかり、という状況だった。怖がりなくせに手術すると決められたのは、先に何人かの友だちが受けていたことが大きかった。彼女たちが口々に、コンタクトをしない生活とはなんて素晴らしいのだ! と力説してくれるんだもの。

それでやるやる! とノリみたいに決めてしまったのだけど、実際はめちゃくちゃ怖かった。手術台の上で大後悔。やっぱりやめたい、これで目が見えなくなったらどうしようと今さらの不安が駆けめぐったが時遅し。手術自体は麻酔の点眼をしたあと10秒ほどレーザーで角膜に傷をつけていくだけの短い工程なのだが、これがねえ、レーザーが動きはじまると、ジリジリジリ……っていう音とともに角膜が焦げるにおいがしてくるの。自分の一部が焼けるにおいだよ? 怖すぎて正気保っていられないよ。

眼球が動いたりまぶたを閉じてしまったりしたらすぐにレーザーが止まる仕組みだと説明されたが、なんでしょうねアレ。怖すぎて目を閉じられない。ブレアウィッチプロジェクト状態。ホント恐ろしかった。そして何がもっと恐ろしいかって、これ二回やんなきゃいけないわけよ!! 目玉がふたつあるんだもの!!

そのうえ残念なことに手術は一度に二玉できないのです。というのも手術後は玉ねぎ切ったときみたいに目玉がヒリヒリしてるから目をうまく開けられず、開けてもぼんやりとしか見えないから、一週間くらいは手術していない方の視力だけで生活しなくてはならないの。術後の経過がよく、しっかり見えるようになってはじめてもう片方の手術ができるようになるという流れなので、最初の術後は「終わったー!」じゃなくて「これもう一回……」っていう絶望感しかないわけ。

そういうわけで人生初の眼帯をつけたまま家に帰り、目に光を入れてはならぬとばかりに安静に過ごした。眼帯を外した翌日以降も手術した方の目はぼんやりしていて手術前より見えていない感じ。コレ本当に見えるようになるのかしら……という不安を抱え、左右の視力が違うことに疲れて頭が痛くなったりしつつ、何日かをやり過ごした。

ある日、さあ仕事に行くかとベッドから起き上がろうとしたら、なんだか違和感があった。何がおかしいんだろうとぼんやり天井を見ながら考えた。しばらくして、あ、見えてる、と気づいた。天井の壁にある縦線がはっきりと見えていた。

見える! 見えるわ!! ってひとりで叫んだね。手術していない方の目を手で覆って、部屋の至るところを見に行った。鏡の中の自分、カレンダーの数字、冷蔵庫に書いてあったメーカーの名前、こんなにうち汚かったの? ってくらい床の隅にホコリが見えた。人生の中で感動したことを挙げなさいって言われたらこのときのことを入れるだろうなっていうくらい感激して、二度目の手術が少しだけ怖くなくなった。

結果、わたしの視力は0.03くらいから一気に2.0まで行き、その後1.5で定着した。今はたしか10代では受けられないことになっているし、そのときも10代のうちに受けても視力が戻ってしまうかもしれないという説明を受けたが、今現在0.7かそのくらい。ぎりぎりメガネをかけなくても運転ができ、映画を観るときにメガネを忘れてしまっても困らないのだからじゅうぶんだ。

ふたつの目がよく見えるようになって、わたしはメガネとコンタクトを棄てた。メガネをかけてもぼやっとしていたあまりに小さい東京タワーがくっきりと光って見えた景色を忘れられない。わたしの記憶にあるのはその、よくなった目で見た東京タワーだ。どんな構図より、わたしはあのちっぽけな東京タワーが今でも好き。


つづく


※おわかりのこととは思いますが、もちろんレーシックを勧める記事ではなく、あくまでわたしの体験談にすぎません。レーシックはその後合併症や後遺症を伴うこともわかってきており、後悔している方もいらっしゃる手術ですから、これを読んで手術しようなどと思わないでください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?