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インタビューの仕方が変わったときのこと

取材という仕事をはじめて、20年ほど経つ。最初は会社勤めしていたときで、経営者インタビューなどを担当していたのだが、ただただ決めた(決められた)質問をぶつけて答えてもらうだけで、会話も脈略もない時間だった。

でも、当時のわたしは、決めた質問以外のことを問いかけてみようなんてまったく思わなかった。どうせ聞いたって記事には書けないから。決められた枠や文字数があり、決められたテーマがある。それ以外のことを聞いたって時間の無駄だし、ときどきテーマから外れたことを長々と話しはじめる人に出くわすと、早く終わりたいのに困ったなあと思っていた。

でも、あるときを境に変わった。

フリーになってわりとすぐのころ、とある雑誌の記事を書くためにインタビューに行ったのだが、なんと二時間も話し込んでしまった。文字数についてインタビュー前に先方に説明したかどうか定かではないが、枠はたった1000文字弱……。二時間話させたなかの、1/10くらいしか書けないのである。

まず、なぜそこまで話し込んでしまったのかというと、わたしがその人にとても興味を持ったからだと思う。ちょっとだけ特別なサービスを生み出した人で、わたしが興味のある分野だったから、この人はなんでこの仕事をはじめたんだろう、どうしてそれを思いついたんだろう、その前は何をしていたんだろう……と、ぺらぺら聞いてしまった。

そしてとても誠実な方だったので、ひとつひとつ丁寧にわたしがわかるように説明してくれ、時間が経ってしまったわけである。

帰ってきて、どうしよう、と青ざめた。

あれもこれも話させてしまったのに、そんなに書けるわけがないし、そもそもその人がどうしてその仕事をしているのかというのは記事には必要ない。ただそのサービスを紹介すればいいだけの記事だったんだもの。

えー、困った。でもとりあえず2000字くらいで出してみようと無謀にも思い、出してみたけど、やっぱダメだった。文字数は絶対に増えないのである。特に当時わたしは編集作業からではなく、完全にライター業しかしていなかったから、構成も編集さん任せだったし、デザイン先行の媒体だった(わたしが知る限り雑誌のページ作りは2通りあって、ひとつは構成を決めて先にデザインしてもらい、その文字数に合わせて文字を書いていくというもの。もうひとつは構成と文字情報、写真などを一気に渡して、文字がおおよそ入るようにデザインしてもらう。前者の方が一般的で文字数を増やすのが難しい)。

そうだよなあ、困ったなあと思いながら、しぶしぶ1000文字に削った。もう、聞いたことはほとんど反映できていない。でも、それでもわたしはその人が話してくれた言葉のかけらを埋め込みたくて、まるで作詞をしていたときのように言葉探しをした。このことを4文字で表せる言葉はないか、ここの「それ」は取っても意味が通じるか……。駆け出しだったし、たくさん辞書を調べたなあ。調べなくては出てこないような難しい言葉を使っても、通じないからダメなんだけど。

そうやってあれこれやったことが先方に通じたかどうかはわからない。「こ、こんなに少なかったんかい!」って思われたような気もする。それから一度も会っていないし、未だにそのことは謝罪していない。

確認出しして、校了して、雑誌が届いても、しばらくそのページをひらけなかった。インタビューって、その人がわたしに託してくれた思いだもん。わたしだけに特別に話してくれてるんじゃなくて、わたしが書いて届けないと意味がない。その思いを踏みにじったのだから、とてもひらける精神状態ではなかった。

でも、そのときからインタビューの仕方が少しずつ変わった。
もちろん2時間聞いたのに1000文字ってことはさすがにないけれど、聞きたいことだけを聞くスタイルをやめたのだ。それは、1つ聞いて1つ書くのと、10個聞いて1つ書くのとでは、全然違うものが書けることを知ったからだった。

見えているものが全然違う。どんなサービスであっても、どんな人であっても、どんな店であっても、そこに歴史や背景や物語があって、それを知って書くのと知らずに書くのとでは違う。知り得たことをそのまま原稿には反映できないかもしれないけれど、ちょっとした言葉の選び方が変わってくるし、何がいちばん書きたい要素になり得るかは、いくつか聞いてみないとわからない、ということを知ったのだった。

それに、案外雑談のなかに書きたいことが落ちている。おもしろいなと思うことが雑談の中で拾える確率は高いのだ。自分が取材を受けてみるとわかるのだけど、やっぱり質問されて答えて、そのこととはまったく関係なくまた別の質問がやってきて……という流れだと、準備していた答えしか出せないし、深まらない。

「会話」になっていると、受け答えも饒舌になれるし、的確な返事が思いつく。「あ、そういえばそのときに……」とか、「そうやって思い返してみるとあのときたしか」みたいなことも出てきてくれる。だいたいどんなに取材され慣れている人だって、そのことについてずっと考えているわけではないだろうから、話しているうちに思い出してくることだってある。

だから今は、聞かなくてはならないことはもちろん聞くけれど、雑談や横道にそれることをとても大切にしている。早く終わってほしいのにと思っている人もいるかもしれないが、この20年で「いや、もっと話してもらわないと書けないです」と言えるくらい図太くはなった。

インタビューって、ほんと責任の重い仕事だ。わたしが書いた記事を読んで、読んだ人がその人のことを好きとか嫌いとか会ってみたいとか買ってみようとか、いろんな評価をする。こちらは熱い思いで書いていても、それが強すぎると鬱陶しく感じるかもしれない。

だからわたしはいつもいちばんに原稿を読んでくれる編集さんを頼りにしている。わたしは、ひとりでは原稿は作れない。朱字が入ってこそ言葉はもっと磨かれる(もっとも、いい朱字を入れてくれる編集さんということにはなるのだけれど)。

そんな、若かりしころのできごとをまたちゃんと思い出して、今年もインタビューをたくさんしたいと思う。





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