誕生日前の感傷と食べ物で涙が出る話。

モノを食べる行為の時に涙が出たことはありますか?

食事を取る。毎日。なんならおやつだって食べる。

ただ、わたしは感情が感傷的になっている時に、食べ物を口にすると、何故だか無性に泣きそうになる。そして現に、職場でたまたま奮発で出たシューアイスをソファーに友達と並んで食べながら、堪えきれず涙が溢れたこともあった。


今日、なぜこのテーマで書こうと思ったか、は恐らく滅多に連絡が来ることの無い、父から『夕飯にお弁当と、飲み物類、スイーツ類を買っていくから、5時45分頃家に居ろな』という電話がかかってきたからだ。なんとなく、あぁ、そうか、と時期で察した。

わたしは明日、4月10日で31歳になる。

普段別段わたしをかまわない父は、誕生日の日や当日が無理なら前日などに、ささやかな好物類を買ってきてくれる。今日もその恒例行事だ。

嬉しいか嬉しくないかで問われれば嬉しいだろう。
買ってきてくれた量がもし親の愛情なのなら、一家そろって経済状況芳しくない中、コンビニのお高めスイーツ3つに、オムライス、更には牛乳と(野菜ジュースがなかったから、と)ヨーグルト飲料まで買ってきてくれた。

けれど、きっとわたしの方の捉え方の問題なのだけれど、
例えば3つもスイーツがあるのだから、一つは父が食べて、食べてる間だけでも、少し会話する、とか、きっとそういうのを今でも微かに期待している。
一方で、父がコンビニの袋2つをわたしに手渡して、玄関であっという間に、「んじゃ、帰るからよ」と言った時、さほど残念でも無いのだ。予想はついてたから。ある程度は奇麗好きな父が家に来ると電話で聞いて、けれども散らかりまくった部屋を、片付けようともしなかったのは、まぁ、そういうことだ。
けれども笑っちゃうほど一瞬の受け渡しだったので、不服と言うよりはリアクションとして、「はっや」と言った。・・・・・・・・・・・・それに対する父の返答に、ちょっと、なんて言うか、昔とは違うニュアンスで、わたしは困った。


「早く帰って酒飲みたいからよ」


わたしの好きなヒトはある依存症である。何の、かは、伏せたいところだがなんだかきっと読まれてしまうと思う。


父が買ってきてくれたオムライスを食べながら、やはり少し、感傷的になった。涙腺が、少し緩む。けれど涙は流さなかった。何故、わたしは食べるという行為の時に、メンタルが弱っていると泣けるか。それはきっと、"何を食べるか、より、誰と食べるか”と全然違う話のようで、でもどこかこれに近い話だ。

家族仲がオカシイ家だったから、食事は、たとえみんなで食べるときがあっても、純粋に幸せなものでは無かった。楽しい面だってある、けれど、楽しいエピソードの中にどうしたって暗い影のような部分がどの思い出だって存在する。

そして、数十年経って、わたしは、毎日、独りきりで食事を取る。殆ど3食、365日。
たとえ明日が誕生日でも、ただの平日と変わらないような日だ。昔も、今も。


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入院中、いつものようにテレビを見るふりをしながら、いつでもヒトに囲まれているあの人の話を盗み聞く。いつかの元カノの話。付き合ってるから一緒に住んだとかじゃ無く、めちゃくちゃ気が合ったから女友達とルームシェアしてて、朝先に起きた方が起こしておはようって言ったり、お互いが時々お互いの食事作って、たまにお弁当なんかも詰めて、仕事終わって帰ってきたら一緒に鍋とかつついて、おいしいねって言ってる内に、そういう仲になってったって。

なんて幸せな話だろうって思った。本来、嫉妬とか、複雑な感情が芽生えるだろうところで、けれどもなんだかそのエピソードは、とてもあの人らしい気がして。どこまでも自然体なあの人が、とても自然な流れで、一時なのか、それよりはもっと長いのか、けれども幸せだった。

やっぱり、わたしの恋心はどっかオカシイ。その彼の幸せが、今も続いていたら良かった、と思ってしまうのだ。


わたしは、いいから。

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明日、わたしはどんな気持ちで普通の平日を過ごすだろう。なんとなく、精神的に荒れてしまいそうな気もする。でも、荒れて、例えば泣き喚いても、家には誰も居ないから、何気に防音もリフォームで万全だ。きっと、誰にも迷惑かからない。



あの人の白昼夢でも見れたら幸せだ。




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